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僕は誰からも気づかれない  作者: ユメオニ
7/10

その7

師匠の教えその一。こうなりたいとかああなりたいとかいう邪念を捨てるべし。

師匠の教えその二。なるべく下を向いて歩くべし。

師匠の教えその三。口は半開きにすべし。

師匠の教えその四。人と目は合わせないように。

師匠の教えその五。呼吸するようにため息をつけ。

師匠の教えその六。歩くときはダラダラと。

師匠の教えその七。動く回数を可能な限り減らせ。

 師匠の教えは正直最初聞いた時は効果の疑わしいものがほとんどだった。でも、実践している内に効果が徐々に出始めてきたので、さすが師匠と思うようになった。

 ただ、一つだけ気になることがあった。

 僕が気づかれにくくなるのとは正反対に、師匠は街中で気づかれることが多くなっていた。

 ねえあそこに変な人いるよ、と付近の人がひそひそ声で言い合うのを耳にすることもあった。僕ではなく、明らかに師匠の方を見て言っていた。

 師匠はそのことに気づいていないようだったが、僕はそのことを師匠には言わなかった。師匠に口を出すのは弟子の仕事ではない。

 師匠の教えその三二。食事はなるべく噛まずに食べろ、を実践しているある日のこと、師匠が重々しく言った。

「弟子よ。そろそろやるか」

 僕は顔をあげた。

 師匠の目は爛々と輝いていた。

「何を、でしょうか?」

「決まっているだろ」


 僕と師匠は銭湯の目の前に立っていた。本来券売機で入浴券を買って受付を通過しなければならないのだが、僕も師匠も入浴券など買わずに受付前を通過した。それでも何も言われなかった。気づかれなさのトレーニングによる成果だ。

 僕はこの頃は受付嬢の柴坂さんのすぐ目の前で変顔をしても、柴坂さんをくすりともさせないほどに気づかれなさを高めていたので、女風呂に入った所で誰にも気づかれない自信はあった。少なくとも僕は。

 女風呂の脱衣所には幸い人はいなかった。

 僕がまだ服を脱いでいる時、師匠は勢いよく女風呂の浴室に続くドアを開いた。

「弟子よ。先に行っているぞ」

 その時の満面の笑みを浮かべた得意げな表情が、僕が生で師匠の顔を見た最後だった。

 女風呂からは悲鳴が響き渡り、僕は瞬時に何が起きたのかを察知し、脱ぎかけていた服を慌てて身につけ、走って逃げた。

 その晩、女風呂に全裸で侵入したとして、師匠がニュース番組で報じられた。住所不定無職の男。師匠の本当の名前をそのニュース番組で初めて知った。どこにでもあるような名前すぎて、聞いた途端に忘れた。

 僕は師匠が気づかれやすくなってしまった原因に何となく気づいていた。

 師匠は師匠の教えその一をいつの間にか守らなくなっていたのだ。

 師匠の教えその一。こうなりたいとかああなりたいとかいう邪念を捨てるべし。

 師匠はいつの間にか、僕のいい師匠でありたいという邪念を抱くようになっていた。僕の前でいい格好をしたいと思うようになっていた。そうした師匠の邪念が師匠を気づかれやすくしてしまったのだと思う。

 僕はそのことに薄々気づいていたけど言い出せなかった。だって師匠が楽しそうだったから。

 

 


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