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第1話:世界の底のペルソナ

初めまして、NOVUCIと申します。

陰キャな主人公が、裏の知性でやり返すお話です。

スラスラ読めるように改行を多めにしています。

楽しんでいただけたら、ブックマークや評価をよろしくお願いします!

夜間定時制高校の教室。


窓の外は、完全な漆黒だった。


だが、部屋の中だけが、古い蛍光灯の不快な白い光でギラギラと照らされている。


ジジジ、と耳障りな電子音が、(よど)んだ空気に混じって鼓膜を震わせる。


ガタガタと軋む不揃いなパイプ椅子。


無数にナイフの傷が刻まれた、剥げかけの古い木製の机。


昼間のマジョリティ社会から弾き出された有象無象(うぞうむぞう)が、それぞれの陰を落として席を埋めていた。


不登校気味の若者。


素行の悪いヤンキー。


職を失った、訳ありの大人たち。


ここは社会の境界線、世界の底だ。


透矢(トウヤ)は、教室の最果てにある片隅の席で、身を縮めていた。


お気に入りの、無地の黒パーカーのフードを深く被ったままで。


パーカーの左胸の端には、小さく、白い文字が刺繍されている。


『NIX』


現実世界の誰も知らない、一部のアングラなストリート層だけが好むアパレルブランドのロゴだ。


トウヤの身長は172センチ。


世間一般で見ればごく普通の、どこにでもいる目立たない数字だ。


だが、家族全員が150センチ台という極端な低身長家系の中で育った透矢にとって、この体躯(たいく)はどこか不自然だった。


自分の肉体にだけ埋め込まれた、遺伝子の奇妙なバグ。


18歳、高校2年生。中学時代に壮絶ないじめに遭い、長い引きこもりを経て、年齢が遅れてここに入った。


髭すらまともに生えないその横顔は、不気味なほどに滑らかで中性的だ。


フードの隙間から見える世界は、いつも歪んでいた。


中学の頃の記憶が、蛍光灯の雑音に混じって脳裏に蘇る。


肉体が中性的で、周囲の「普通の男子」の記号から外れていたという、ただそれだけの理由だった。


言葉の暴力を受け、上履きを隠され、尊厳を擦り潰された。


最終的には誰もいない放課後の教室で、カーストの頂点にいる奴らに文字通り「殺されかける」ところまで追い詰められた。


あの時、トウヤは学んだのだ。


他人の承認を欲しがったり、下心を持ったり、目立とうとした瞬間に、世界は牙を剥く。


だから、自分を完全な『0』の存在として隠蔽(いんぺい)する。


気配を消し、背景のノイズと同化する。それが、トウヤがこの最悪な社会で生き延びるために導き出した、唯一の方程式だった。


彼が好む『NIX』のモノクロファッションは、お洒落(しゃれ)のためではない。


色というノイズを排し、誰の記憶にも残らないための防壁だった。


「――おい、そこ。トウヤ」


教壇に立つ、冴えない教師の眠たげな声が教室に響く。


トウヤはビクッと、わざとらしく大袈裟に肩を揺らした。


「あ、はいぇ!?」


わざと少し高く、間抜けなトーンに偽装した声を出す。


「この英語の長文、訳してみろ」


教師が黒板をチョークで叩く。


透矢はゆっくりと立ち上がり、教科書を両手で持ち直した。


へらへらとした、締まりのない「おバカな笑み」を、完璧にお面に張り付ける。


(黒板に書かれた英文、全28単語・・・)


(主節の構造、倒置の発生、使われている構文の意図、すべて一瞬で分かった)


本当は、引きこもり時代にネットのあらゆる海外論文を呼吸するように読み漁っていたため、この程度の英文は、赤子の手をひねるよりも簡単に理解できる。


(だが、ここで正解してはいけない)


(ここで正解を出せば、周囲のヤンキーどもの『ヘイト』を浴びる)


(自分の存在を『0』に保つためには、この教室の退屈なカーストの底辺を演じるのが一番合理的だ)


トウヤは、あえて口を開けたまま、バカのフリをして頭をかいた。


「えっと・・・『アイ・アム・ア・ペン』・・・ですか? えへへ、僕ちょっと頭悪いんで、英語とか全然分かんなくてぇ」


あえて的外れな、教科書の最初のページにあるような定番のボケを口にする。


その瞬間、教室のあちこちから、ドッと下品な笑い声が湧き上がった。


「ハハッ、トウヤお前マジでバカだな!」


「高校2年でそれはヤバすぎだろww」


(よど)んだ空気を切り裂くような、容赦のない嘲笑(ちょうしょう)の嵐。


クラスのリーダー格で、ネットのゲーム配信でイキり散らしている(レン)が、机を派手に叩いて大笑いしている。


その隣で、取り巻きの女子生徒たちもスマホを片手にクスクスと冷ややかな視線を送ってきた。


「はいはい、座れ座れ。トウヤ、もう少し予習してこいよ」


(あき)れた教師の気の抜けた言葉に、トウヤは「すんませーん!」と何度もペコペコと滑稽(こっけい)に頭を下げながら席に戻った。


(これで、いい)


トウヤは黒いフードの奥で、小さく息を吐き出す。


教室の全員が、自分を()()()()()として認識した。


自分のカーストは最底辺に確定された。


誰の脅威にもならない、誰の視線ヘイトも集めないこの最底辺の場所こそが、世界で最も安全なシェルターだった。


目立たず、存在の熱量を限りなく低く保つ。


それが、このドブのような社会で生き延びるための最善の手順だ。


やがて放課後を告げる気怠(けだる)いチャイムが鳴り、有象無象(うぞうむぞう)たちが騒がしく帰り支度を始める。


トウヤがカバンにボロボロのノートを押し込んでいると、背後から椅子の脚を引きずる不快な音が響いた。


「おい、トウヤ」


振り返ると、先ほど大笑いしていたレンが、ニヤニヤと見下すような笑みを浮かべて突っ立っていた。


ブランド物の派手なアウターを着たレンの手には、百円玉が数枚握られている。


「ちょっと下の自販機行って、買ってこいよ。お前、英語もできなくて暇そうだろ?」


差し出された安っぽい金属の小銭を、トウヤは両手でおどおどと受け取る。


下心。承認欲求。他者を見下すことでしか保てない、歪んだマウント。


レンから漂う凡俗(ぼんぞく)な感情のノイズを瞬時に察知しながら、トウヤは再び、あの締まりのない笑みを浮かべた。


「あ、いいですよお! ボタン押し間違えちゃうかもしれないですけどいいですかあ?」


「ハッ、本当にトロいな。いいから早く行けよ。炭酸のやつな」


廊下へ向かうレンの背中に、女子生徒たちの黄色い声が追従(ついじゅう)する。


「うわ、トウヤくん本当にパシリじゃん。ウケる」


「レンくん、ゲームだけじゃなくてリアルでもボスって感じだよねー」


レンは満足げに胸を張り、カーストの頂点にいる全能感に酔いしれている。


トウヤは何度も頭を下げながら、引き戸の(ゆが)んだ教室のドアを開けて廊下へ出た。


バタン、と建付けの悪い重い音を立ててドアが閉まる。


その瞬間。


トウヤの顔から、へらへらとした締まりのない笑みが、完全に消え失せた。


古い蛍光灯の光すら届かない、薄暗い渡り廊下。


トウヤの瞳から一切の温度が引き算され、冷徹な怪物の目へと切り替わる。


深く被った『NIX』の黒パーカーの隙間から、凍りつくような冷たい視線が暗闇を射抜いた。


「今夜の配信、楽しみにしてるよ、レン」


トウヤの口から、昼間の間抜けなトーンとは似ても似つかない、低く、温度ゼロの声が漏れ出す。


自分のゲーム配信の視聴者数が、たったの30人しかいないレン。


それなのに、この狭い夜間学校の教室の中だけでは、まるでプロゲーマー気取りでイキり散らしているハリボテ。


中身がスカスカで実体のない奴ほど、周囲の視線(ヘイト)を稼ぐために、大きな音を出して威嚇(いかく)したがる。


それは、中学の時に自分をいじめて尊厳(そんげん)を奪おうとした奴らと、何も変わらない量産型の記号だ。


(夜、ネットの裏側で、その安っぽいメッキを一枚ずつ剥ぎ取ってやる)


(お前が現実(リアル)で稼いだ薄っぺらい優位性(マウント)を、データの海で100%詰ませてやる)


トウヤは無言のまま階段を下り、誰もいない夜の自販機へと向かう。


カチカチとレンから渡された百円玉が、ポケットの中で冷たい音を立てた。


トウヤの着ている無地の黒パーカーの襟元で、誰の目にも触れない「NIX」の白いタグが、静かに夜の闇に沈んでいた。

【次回予告】

教室でのへらへらした偽装ペルソナを脱ぎ捨て、夜のボロアパートの自室で純白のハイエンドPCを起動するトウヤ。

学校帰りの夜の配信で、王様気取りでイキり散らしているレンの薄っぺらい優位性(マウント)を、データの海で100%詰ませるためのカウントダウンが始まる。

次回、第2話『夜の戦場、ハリボテの解体』。

お楽しみに!

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