ノイズの午後
昼休みのチャイムが鳴った。
同じ音が、もう一度鳴った。
同じ高さで、同じ長さで、同じ間で。
——誰も、顔を上げない。
弁当のふたが開く音。
笑い声。
椅子の脚が床を擦る音。
全部そのまま続いている。
三井明だけが、少し遅れて顔を上げた。
「……今、二回鳴らなかったか」
「は?」
それ以上は言わない。
言葉にした瞬間、消える気がした。
机に頬を戻す。
温度がない。
さっきまで机に残っていたはずの昼の熱が、指先をすり抜けて、きれいに消えている。
放送が入る。
「えー、本日もお昼の校内放送、始まりました」
「暑いね」
「レコード反ってる気温だね」
「ドラム遅れる」
「スネアが諦めてる」
「楽器に感情持たせるのやめて」
「持ってるよ」
(無音)
「木曜日。珍盤奇盤です」
「今日は変なの」
「ラベルが昨日と違う」
「音も、たぶん同じじゃない」
「でももう流れてる」
カチ。
ベースが鳴る。
その瞬間、空気が揃う。
見えないものが一度だけ形を持って、ぴたりと噛み合う。
箸が落ちる。
椅子が鳴る。
誰かが笑う。
全部、同じ拍で起きる。
明だけが、遅れる。
ペンを持ったまま、手が止まる。
それから、わざと一拍遅らせてノートを書く。
インクが、ほんの少し滲む。
次の瞬間、崩れる。
「……なんだよ」
音はいい。
体に馴染む。
でも、逃げ場がない。
隣でページがめくられる。
ぱら。
同じ音が、もう一度鳴る。
ページは一枚しか動いていない。
明は何も言わない。
放送は続く。
「まだ来てない感じ」
「流行る前の音だね」
「流行らないと思うけど」
明は目を閉じる。
音を追う。
ベース、ドラム、ギター。
本来は別の場所にあるはずの音が、同じところにある。
境目が溶けて、区別がつかない。
やさしすぎるほどに、混ざっている。
揃いすぎてる。
音に聞こえない。
チャイムが鳴る。
一回。
もう一回。
もう一回。
誰も数えていない。
窓際に、女子が立っている。
風が吹いている。
カーテンが揺れている。
でも、髪だけが動かない。
指先だけが、わずかに動いている。
何かを数えるみたいに、空中をなぞっている。
——一拍遅れて、止まる。
次の瞬間、何事もなかったみたいに動き出す。
明は目を逸らす。
——止まらない。
そう思った。
放課後。
廊下は熱を持っている。
足音がやけに揃って聞こえる。
校門を出る。
無意識に、駅と反対へ歩く。
路地に入る。
音がばらける。
足音も、風も、遠くの車も。
息がしやすい。
その奥に、店がある。
看板はない。
ガラスは曇っている。
ドアを開ける。
音が消える。
水の中に入ったみたいに、輪郭だけが遅れて残る。
静かすぎる。
レコードが並んでいる。
壁一面。
「いらっしゃい」
カウンターの奥の男が言う。
明は頷くだけ。
一枚、抜き取る。
触れた瞬間、温度がある。
ラベルは読めない。
「……これ」
「読めなくていい」
「試聴できますか」
男は頷く。
「最後まで聴かない方がいい」
カチ。
ベースが鳴る。
同じ音。
——違う。
どこが違うのか分からない。
音が逃げ場を塞ぐ。
終わらない。
進まない。
ただ続いている。
「……止まらないんですか」
「止めるのは簡単だよ」
間。
「でも、止めない方がいいこともある」
そのとき、別の音がする。
ノイズ混じりのカセット。
奥に、少女がいる。
ヘッドホンをつけている。
目を閉じている。
指先が動く。
音をなぞるみたいに。
空中に、見えない線を引いている。
ほんの少しだけ、レコードとズレている。
明は、そのズレに気づく。
指が、一瞬止まる。
迷うみたいに。
それから、ぴたりと合う。
空気が揃う。
少女が目を開ける。
少しだけ視線が下に落ちる。
「それ」
間。
「最後まで聴かないで」
明は頷く。
でも。
目を離せない。
回っている。
同じ場所をなぞりながら、少しずつずれていく。
逃げ道みたいに。
指が、ポケットの中で小銭を弾く。
不規則な音。
あと一周だけ。
そう思う。
その考えが、揃っている。
明はまだ気づかない。
止めなかった。




