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赤ずきんのヴェンデッタ 〜ギフト未所持の最弱転移者、赤ずきんの少女に拾われて人生リスタート〜  作者: まぴ56


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第3話:弱者の闘い方

夜が明ける――はずだった。

けれど、目を開けた先にあったのは、見慣れた天井ではなく、見知らぬ石畳の地面。

そして、気がつけば目の前に立っているのはチンピラ。

田中誠二十九歳(浪人生)、異世界デビュー一秒で人生のピンチ。


だが、その時。

血に染まる視界の先に、赤い外套の少女が立っていた。

陽をはね返す金の髪、冷たい翡翠の瞳――


路地裏で始まる最悪の出会い。

だがそれは、彼にとって――世界を変える“邂逅”の始まりだった。

 ――やけに明るい、と田中誠二は思った。


 瞼は閉じたままなのに、強い日差しが顔に刺さる。薄い皮膜を透って光が眼球の裏を叩き、鼓動に合わせて明滅する。

 おかしい。彼の部屋のカーテンは、受験に失敗して引きこもるようになってから一年近く、閉めっぱなしだった。日光が差すはずがない。


 それでも、身体じゅうがぽかぽかと温まっていく。久しく忘れていた心地よさ――紛れもない太陽の手だ。しかも全身に。


 理解が追いつかない。屋根でも吹き飛んだのか。寝ている間に父親に外へ放り出されたのか。嫌な想像が脳裏を駆け抜け、最後にひとつだけ馬鹿げた希望の前で止まった。

 本当に異世界に来てしまったのではないか、と。


 目を開けるのは億劫だった。ろくな未来図が浮かばない。このまま芋虫のように地べたで生きていくほうが楽かもしれない――。

 だが、もしも現実から抜け出し、異世界の勇者になる類いの奇跡が起きているのだとしたら。もし、目の前に異世界の美少女がいるのだとしたら。開けない理由は、もはやなかった。


 固まった眼筋に力を込める。一年ぶりの光に慣れない瞼は重い。それでもどうにか持ち上げ、現実を迎える。


 目の前には――チンピラが立っていた。


 思考が止まる。上半身裸、浅黒い肌、漂白したような金髪。教科書に載せられそうなほど典型的な、チンピラ。なぜここに。彼はヤクザにでも売られたのか。


 状況を呑み込めずに固まる誠二へ、男は声を投げた。


「おい、てめぇ。こんな路地裏でなにやってんだよ」


 砂利を噛んだような低音。威圧が皮膚に刺さる。恐怖が恐怖を増幅し、誠二の身体はこわばって、動かない。


「なに無視決め込んでんだ。酔ってんのか? おい」


「あ、い、ああ、えと」


「ちゃんと喋れ。何言ってるかわかんねぇ」


「いや、あの……ごめん、なさい」


 久々の会話は情けなく裏返ったが、それでも声は出た。


「なんだよ、喋れんじゃねぇか」


 男はニカッと笑い、黄ばんだ歯を見せる。その笑みに、ほんの一瞬、誠二は期待しかけたが――。


「ところでよ、金貸してくんねぇか?」


 期待は即座に撤回された。良いチンピラなる種別が存在するのかは知らないが、少なくとも目の前の男は確実にろくでもない。


「い、いや、その……お金、持ってない、です」


「ガキ。大人ナメんのも大概にしろよ。そんな良い布の服着て、金がねぇ? 俺をバカだと思ってんのか」


「いや、これは……母さんがシマム――」


「母さん、ねぇ。ボンボンかよ」


 男はまた、にやりと笑った。誠二は、まずいことを言ったと悟る。


 助けを求めようと周囲を見渡す。だが助けはない。そもそも誰かを呼べば来てくれる場所ではなかった。

 すぐ横も反対側も、汚れた壁。両脇を建物に挟まれた、路地裏のいちばん奥――彼は、ここに捨てられている。


「なぁ兄ちゃん。ちょっと面貸してくんねぇかな。俺よ、金がなくて困ってんだわ。だからさ、ママに頼んでくれよ? ちょっと金、貸してくれって」


 誠二は地面に座った姿勢のまま尻で後退し、その反動で立ち上がる。逃げる。掌が地面で擦れ、血がにじむが構っていられない。背を向け、走り出そうとして――止まった。

 首根っこを掴まれ、前へ進めない。脚に力を込めても、片手で摘ままれた猫のように宙ぶらりんだ。


「おいおい、俺たち友達だろ? 友達見捨てて逃げる悪い子にはよ……お仕置きが必要だよな」


 握力が増し、身体が軽々と持ち上がる。次の瞬間、視界が振り回され、石造りの外壁が迫った。

 頭部が叩きつけられ、吊られて全身が強く打ち付けられる。骨のきしむ音、折れる音が狭い路地に響いた。痛みが濁流になって押し寄せ、声が出ない。


「あ……うぐ……い……た、ぁ」


 額から血がぼたぼた落ち、視界は赤に染まる。鼻腔にも血が満ち、呼吸ができない。魚のように口をぱくぱくさせて、空気を掠め取る。


 力が抜け、身体がだらりと垂れた。その有様が、彼の無力を相手に確信させたのだろう。


「よし、逃げる気はなくなったな。じゃ、話の続き――」


 首根っこを掴んだまま床へ下ろそうとした、そのときだった。

 路地の口――遥かな出口に、人影が立つ。血の膜越しでも際立つ、緑色の瞳。誠二は確かに目が合ったと思った。だがすぐに血がまた流れ込み、視界は闇に戻る。


「た……すけ……」


 死にたくない――その一念で、腕を伸ばす。動かすたび、刹那の激痛が脳を白く焼く。骨が折れているのだろう。それでも、かまわない。

 彼は、ゆっくりと、腕を――さっきの人影のほうへ伸ばした。


 ――路地の口に立っていたのは、先ほどギルドから姿を消した赤頭巾の少女だった。


 頭巾は深く、顔の大半を影に沈める。縁から陽を弾いたブロンドが一房こぼれ、切子細工めいた緑の瞳が静かに光った。背は低い。だが、立ち姿には隙がない。

 肩からは身体をすっぽり覆う紅の外套。風が抜けるたび、黒い裏地が一瞬だけ閃く。外套の下には旅装に軽革の胸当て。喉元は簡潔な留め金でまとめ、胸元に擦れた銀の留め具が一つ。腰には左右逆向きに二振りのナイフ――細身の刺突刃と葉型の実用刃――が対の鞘に収まり、握り革は使い込まれて艶を帯びている。背には身丈に不釣り合いな大鞄。磨り減った紐に寝具のロール、金属マグ、筒型の地図ケースが括り付けられていた。

 編み上げのブーツは泥を払い、指先の抜けた革手袋が白い指を覗かせる。外套の裾からは濃色のズボン。歩の音は驚くほど小さい。視線だけが、路地の奥――血に染まった青年と、その首根を掴む男――を正確に測っていた。


 赤が陽に冴える。

 それだけで、路地の温度が一段、冷えた。


 誠二の微かな身じろぎに気づいたのか、男も視線を口へ向ける。獣じみた殺気が瞳に宿った。目と目が合い、無言の時間が張り詰める。先にそれを裂いたのは、ざらついた低音だった。


「お嬢ちゃん、悪いこた言わねぇ。見なかったことにして帰りな。金ぶん取るだけだ。殺しはしねぇ。怪我なんざ、ごめんだろ?」


「……それもそうね」


 拍子抜けするほど短い返事に、誠二の耳が裏返る。幻聴か。現実か。信じたくないほうが勝った。


「ふざ……けんな。た……すけ……ろよ」


 本能が口を動かした。誠二は震える腕を伸ばし、もう片方の手で男の前腕を掴む。力は通らない。だが爪が食い込み、白い痕が残った。


「まだ抵抗できるか。手間のかかる友達だな。逃げられちゃ面倒だ――腕と足は、折っとくか」


 男の目が誠二へ戻る。仕事に戻る職人の、それは無表情だった。

 そのとき、少女がほとんど息のような小声で零した。


「……ほんと、どうして私はこうも馬鹿なのかしら」


 答えは出ている。彼女はわずかに肩を落とし、しかし一歩を踏み出した。コツ、コツ――靴底が路地を二度叩く。去っていく音に聞こえたのは、遠近の錯覚だ。足音は近づいていた。


 歩きながら、背の大鞄の紐を解き、通り側へ無造作に放る。荷が石畳に転がる乾いた音が、合図のように響いた。


「怪我するぜ。いいのかい」


「……無償でリスクは負わないわ。もし彼が何もせず転がってるだけなら、助けなかったと思う」


 少女は一瞬だけ誠二に目をやり、すぐに男へ視線を戻す。獲物を射抜く猛禽の目になる。


「でも、彼は彼なりに戦った。助けを求める――それは誰にでもできる行為じゃない。さらに痛めつけられるかもしれないのに、それでも生きるために抗った。弱者の勇気は、ときに強者の武勇を凌ぐ。私は、そう思う」


 男の口元が歪む。


「殊勝なこった。で、どうする。俺をぶっ倒すってか、嬢ちゃんが」


 誠二から手が離され、身体が重力に従って落ちる。石畳が背を打ち、蛙のような声が漏れた。男は拳をこきこき鳴らし、上体はわざと無造作、下半身だけ半身にひねって間合いを作る。合理的で、経験の匂いがする構えだ。


「その腰のナイフで、俺が怯むとでも?」


「ええ。逃げてくれれば一番よ。……そうはいかないみたいね」


 少女は葉型の実用刃に右手をかけ、鞘を鳴らさぬ角度で静かに抜く。銀の刃は路地の灰色を吸って、薄黒く光った。


「悪いが期待外れだ。俺は冒険者だ。修羅場はいくつも越えた。二本のナイフなんざ、年寄りの杖と同じだ」


「そう。――いくわよ」


 挨拶のように軽い声。

 刹那、地が爆ぜた。少女は踵で石の目地を噛み、離陸するように低く滑る。右へ、左へ――壁際の古い木箱、欠けた樋、石畳の僅かなうねり。障害物の“死角”だけを使って斜めに切り込む。男のリーチの外、数センチ手前で二度目の踏み切り。身体がふわりと宙へ浮く。


 男の右拳が、遅れて空を突いた。空気が割れる音。ほんの一拍、体幹が浮く。少女は空中でひとつ回転し、前傾した肩甲骨の縁に踵を置くように軽く蹴って、自身の身体だけをさらに高く押し上げた。

 裏拳が即座に返る。外套の裾が紙一重で裂け、布が舞う。少女は壁に垂直に着地し、踵で石を強く叩き――反動で跳ねると同時に、手のナイフを放った。


 風が裂ける。刃は一直線に男の顔面へ。

 間際、男の指が柄を掴んだ。瞬時に握りを返し、関節で衝撃を殺す。呼吸は乱れず、汗も浮かばない。達人同士の“間”が路地に満ちた。


 少女の動きは止まらない。壁面を蹴る音が二度、三度。低い姿勢のまま一直線に切り込み、囁いた。


「ミスト・バーン」


 男は直感的に視線を落とす。掴んだナイフの柄元――金色の細糸が一本、結わえてある。反射で手を放った次の瞬間、刃の根から白い煙が弾け、視界が乳白に塗りつぶされる。

 煙は湿り気を帯び、空気を重くする。火と水が混ざる匂い――霧を一瞬だけ沸騰させて起爆した、そんな手触り。


 対処の思考が追いつくより早く、上方から踵。頬骨に鈍い衝撃。巨体が後方へ撥ね、石畳を擦って火花を散らした。


「わざと後ろに飛んで衝撃を逃がした。やるわね」


 煙が薄れる。男がのそりと起き上がる。鼻梁を肩で圧し、指先に赤を滲ませながら。怯みは浅い。

 少女は残る細身の刺突刃を抜いた。刃先だけが男を指し示す。肩は落とし、重心は地を舐めるほど低い。


「二つの元素……二次元魔術か。炎と水――水多め。ナイフに仕込むとは、やる」


「ありがとう。弱い者は、小細工がなきゃ戦えない」


「小細工を笑うつもりはねぇ」


 男が踏み込む。重い足音。速度は驚くほどではないが、体格が迫力を補う。真正面からの圧。

 少女は逃げない。左手を地に触れるほど落とし、腰で呼吸を合わせる。男は大振りを避け、ボクサーのように構えて小刻みにナイフを薙いだ。水平、斜め、逆袈裟――肩の力を抜いて連ねる実戦の刃筋。

 金属が鳴る。少女は左の短刃で弾き、角度を一度ずらし、体を半枚ずらし、足運びで死角に回り込む。男の打ち込みは重く、石畳に刃が触れるたび火花が散った。


(上から下へ落とす力は強い。でも軌道は単純になる)


 小さな身体で覚えた定理。踏み込みの足音、肩の揺れ、肘の角度――予兆を読む。

 男は痺れを切らし、構えを変えた。腰を切り、回し蹴りがうねりながら迫る。至近距離、避ける余地は薄い。

 勝機、と男が思った刹那、少女は逆に踏み込んだ。


 胃袋を拳で掴まれたような衝撃が内側から鳴る。抱え込んだ蹴り足へ、左手の刃を短く突き立てた。筋肉の束が刃を止め、切っ先は数センチで食い止まる。

 それでも十分だった。刃は「導線」だ。


 男の口端が吊り上がる。


「俺の勝ちだ」


 脚を振り抜く。少女の身体は子犬のように弾かれ、石畳を二度、三度跳ねた。

 土埃の向こう、少女の瞳が細く笑う。


「――スタン・ザップ」


 言葉と同時に、突き立てた刃から微電流が走る。布越しでは笑い話の電撃も、血と汗で濡れた筋肉に直接触れていれば、話は変わる。

 男の身体がびくりと震え、膝が落ち、重い掌が石畳を叩いた。


「……ぐ、あ」


 決着はあっけなかった。


 少女はゆっくりと起き上がり、外套と膝についた土をぱたぱたと落とす。呼吸は浅く、整っている。男へ向き直り、事務的に告げた。


「勝負あり。私の魔力じゃ命までは削れないし、大きな後遺症にもならないはず。――貴方の筋肉のおかげで、よく効いたわ」


 足音を返し、少女は通り側へ放った大鞄を回収する。革袋を引き出すと、小瓶と包帯が現れた。誠二のもとに膝をつき、切り傷と擦過に薬液を垂らす。しゅう、と乾いた音がして、揮発の冷たさが皮膚を撫で、裂け目が目に見えて閉じていく。その上から薬を含ませた綿を当て、包帯で固く巻いた。


 地に仰向けたままの男が息を吐く。


「……お前、何者だ。そこらの嬢ちゃんってわけじゃ、ねぇ」


「いいえ。残念だけど正解。そこらの嬢ちゃん。それ以上でも以下でもない」


「二次元魔術の扱いは素養がいる。……魔術学校の出か?」


 少女は鞄の口を整えながら肩をすくめた。


「ただの村娘よ」


 処置を終えると、少女は立ち上がる。


「ねえ。この辺に教会は?」


「通りを北へ真っ直ぐ。冒険者がよく世話になる。腕は立つ」


「助かるわ」


 少女は荷を背に戻し、誠二の首根を掴むと、ずるずると引きずりはじめた。石畳に残る擦過の白線が、二人と一人の行方をなぞる。

 赤い外套が陽を受けて冴え、路地の奥から風が一つ流れた。少女は振り返らない。靴音は小さく、しかし確かに、路地裏の暗がりから遠のいていった。

路地裏に残ったのは、焦げた煙と、かすかな血の匂いだけだった。

誰もが見過ごす、無名の戦い。だが、確かにそこに「救い」があった。

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