第1話:赤頭巾の少女
開店前の冒険者ギルドに、赤黒い頭巾の少女が現れる。
彼女は新聞の切り抜き一枚を手に、「勇者」を探している――それが物語の始まりです。
――ギギ、と。
立て付けの悪い木の扉が、不吉な擦過音を吐いて開いた。
午前九時。冒険者ギルドはまだ看板を裏返したまま、店内には開店前の気配だけが漂っている。
薄闇を裂くように朝の光が差し込み、木の床に白い刃を走らせた。従業員たちは一斉に顔を上げる。
敷居に立っていたのは、一人の少女。背は百五十に満たない。肉付きは薄く、少し大きめの上衣に身を沈めているせいで、遠目には性別すら判じがたい。
なにより目を引いたのは――血に濡れたような赤黒い頭巾だった。縁の陰から覗く双眸は鋭く、室内の一人ひとりをゆっくりとなぞる。視線が触れるたび、空気が冷え、数人が腰を抜かして木床に尻をついた。ひと目でただ者ではないと知れる客だった。
奥から白髪の目立つ初老の男が小走りに現れ、少女の前に立つ。体格では彼の方が勝る。だが、彼女の放つ言い知れぬ圧に肩を竦め、額には冷や汗がにじんでいた。背後では、男の従業員たちが女性たちを裏へと誘導している。
「ようこそおいで下さいました、冒険者様。まことに恐れ入りますが、ただいま開店準備の最中でして……もう少々、外でお待ちいただけますでしょうか」
男は言葉を選ぶように、ひとつずつ丁寧に紡いだ。
「ごめん。少しだけ、聞きたいことがあるの」
頭巾の奥から響いた声は、拍子抜けするほど可愛らしかった。年相応どころか、もう少し幼い色すら帯びている。だが、その話しぶりは不思議と落ち着き、年齢を越えた冷静さを含んでいた。男の表情から強張りがほどけ、営業用の凛とした顔つきが戻る。
「お尋ね事、でございますか。どのようなご用件でしょう」
「人を探してるの。近くの……えっと、オムレツみたいな名前の小国の――」
「ロムレス国のことでしょうか」
「ええ、そこ。ロムレス」
少女は頷き、背に負った大きめの鞄を床に下ろす。中をごそごそ探り、新聞の切り抜きを一枚取り出して男に差し出した。
「そこのギルドで聞いたら、ひと月ほど前にこの国に向かったって。あなたたちなら何か知ってるかと思って」
切り抜きには、二十代前半とおぼしき男の写真。黒髪に黒い瞳。左手には青い宝石をはめ込んだ金の剣。いかにも優男といった面差しで、横には大きく見出しが踊っている――〈アイギス国の勇者、ついに魔王軍幹部を一体撃破〉。
男は写真を覗き込み、目を見開いた。
「ええ、もちろん存じ上げております。アイギスの勇者様――魔王討伐のためご尽力なさっている、お方ですから」
その一言に、赤頭巾の下で少女の眉間にわずかな皺が寄った。奥歯で苦味を噛むような表情が一瞬だけ浮かぶ。声色も、かすかに震えた。
「そう。ならよかったわ。それで――彼、今もここにいるのかしら。そこを知りたいの」
「お探しでしたか。残念ながら……勇者様は半月ほど前にこの国を訪れ、ギルドにもお顔を出されましたが、すぐに発たれてしまいまして」
「……わかった。ありがとう。どこへ向かったか、見当は?」
「どこだったか……申し訳ございません、近頃どうにも物忘れが」
少女の視線がわずかに細くなる。男の目、口元、喉仏の動き、指先の揺れ――嘘の匂いを探るように、静かに観察する。
(嘘は――ついてない)
結論を得ると、少女はふっと残念そうに目を伏せ、すぐに表情を無地へと戻した。
「そう。なら、仕方ないわ。情報提供に感謝するわ。失礼する」
「お、お嬢さん、少々お待ちを」
扉へ向きかけた肩が止まり、少女は半身だけを戻す。
「なに」
「実は近くの湿地帯に、魔王軍の……基地のようなものが築かれているらしく。このまま放置すれば規模が拡大し、いずれは戦を仕掛けられるのではないかと――皆、気が気でないのです。先ほどから従業員が怯えていたのも、そのせいで」
「ああ。さっきの、あれね」
少女は短く相槌を打つ。
「いつ誰が――いえ、いつ魔物どもがあの扉を蹴破るか。そう思うと、時間の問題でして」
少女は目を閉じ、低く唸るように一拍置いた。やがて薄く目を開く。
「ごめん。それは無理、かな。勘違いしてるようだけど、私はそんなに強くない。使える魔法も、ほとんどが支援ばかり。……というか、私みたいなのに頼らなきゃならないほど、この国の戦力は枯れてるの? そうは見えないけど」
「実は――」
「ちょっと待って。その話、長くなる?」
「ええ……その、まあ」
二人の間に短い沈黙が落ちる。男の顔からは先ほどの凛々しさが消え、迷子の犬のような困り顔が固まった。少女は露骨に嫌そうな顔をして、そして、深くひとつ溜息を吐く。
「今は準備中なんでしょう。他の職員さんや会員に迷惑はかけたくない。朝ごはんを食べたあと、開店してからもう一度来るわ。そのとき、話を聞いて判断する」
「よろしいのですか!」
男の目にぱっと光が差し、口角が上がる。表情が一気に明るくなった。
「込み入った事情があるんでしょう。聞いたうえで、決める」
「ありがとうございます!」
礼の言葉に応えず、少女は踵を返して歩き出す。裏口の陰からこちらを窺う職員たちの視線を背に受けながら、扉へ。
ぎい、と木戸が鳴き、少女の姿が朝の光の外へ溶ける。瞬間――バタン、と大きな音を立てて、扉は勢いよく閉じた。
舞台と人物を最小限の情報で提示し、次章への導線(湿地帯の基地)だけを置きました。
次回は、この物語の主人公が明らかになります。続きをお楽しみに。




