焦心赤心
役人の腐敗が蔓延り、黄布の賊が跳梁する乱世と言われつつも漢帝国の存在はいまだに磐石で揺るぎないものであった。実態はどうあれ、刺史や太守に多大な分権をしつつも漢帝国の意思は絶対であり、逆らう事など及びもつかない絶対の権力を保持していた。
「はむはむ、町での小競り合いが増えてるなー。乱世、乱世」
「もぐもぐ、人が増えれば軋轢が生まれるのも当然ね。警邏の数を増やそうかしら」
「がつがつ、華琳様の膝元を騒がす輩あらばこの夏候淳、一刀の元に切り伏せるまで!」
「ぱくぱく、姉者は兵の演習や鍛練があるだろう。警邏などしていてはいざという時に役に立たなくなるぞ」
朝議を終え、執務室で食事を囲みながら額を突き合わせる四人。
「まあ、活気があるのはいい事さね。とはいえ、細かい問題が多すぎるなぁ」
ゴクン、と最後の点心を飲み込みながら李円はしかめ面をする。
「その場、その場の対処は簡単ではあるが数があまりにも、な」
山と積まれた竹簡を見上げ苦笑する夏候淵。
「そんなもの、華琳様の為を思えば物の数ではない。そうだろう、秋蘭!」
ゴッゴッゴ、と茶を飲み干して大盃を机に叩き付ける夏候淳。
何も考えていないと言えばそこまでだが、その真っ直ぐな曇り無さに深く頷く夏候淵。
その横で
「えっ、普通に面倒なんだけど」
「空気を読みなさいよ、馬鹿」
李円が曹操に首チョップを食らっていた。
「とはいえ、流石に疲れるわね」
首をコキリ、と鳴らして曹操は筆を置く。
太陽が上天を照らすにはまだ間があるとはいえ、竹簡の山はまだうず高く積もっている。
「華琳でも疲れる事ってあるんだなぁ」
サラサラ、と淀み無く筆を走らせる李円。
曹操が扱うのは決定の判断が必要な重要書類の類いがほとんどで、李円が扱うのは不正や間違いが無いか確認する類いの雑事に近いものである。
当然、処理時間やそこに使う労力は比べようも無いがそれを差し引いても李円の政務に関する能力は頭一つ抜け出している。
友人である袁紹などに比べ、部下の少ない曹操にとっては有り難い存在だが、李円は刺史になった自分を祝うためだけに駆けつけた彼を拉致同然に引き止めているだけ。
本来ならば客将か、部下として待遇せねばならないが気心の知れた友人という関係に甘え、曖昧な立場のままである。
「ねえ、李円。貴方なら町での小競り合いをどう解決して見せるかしら?」
唐突な質問に李円は切れ長の目をこちらに走らせる。正面から見る福々しい表情と違い、李円の横顔は切れ長の目が睨み付ける様な鋭い印象が強い。
お茶らける普段と違い、仕事中は真面目に取り組む事の方が多いが、
「花でも植えれば心が和んで争いも減るんじゃね」
クックック、と笑う顔は悪戯を思い付いた悪童そのものである。言葉通りなら戯言染みた提案ではあるが、
「ああ……確かに女性が少なかったわね」
優秀な能力を持つ女性が多いとはいえ、男女比はやはり半分、半分である。新興の町である以上、一定の評価を得ている職人などよりは新進気鋭で一旗挙げようとする男の職人や商人などが集まりやすい。
女性が優秀な能力を持つのが常識ならば、職人、商人問わず女弟子は親方などから暖簾分けされたり跡を継ぐ事も多い。
結果として余った男達が野望高くして、陳留に集まるのは当然の帰結ではあった。
「そうね、女性を優遇する触れでも出そうかしら」
思案気に頬に手を当てると
「美女、美少女限定でな」
李円は可笑しそうに目を垂れさせて、筆を回し竹簡に最後の文を書き加える。真面目に考えていた所に虚を衝かれた一言。見れば李円は口元だけ綻ばせ、切れ長の目を真剣に次の竹簡に走らせていた。
本当に疲れていたのだろう。
心に何処か余裕が無く切羽詰まっていた。いつもなら、鼻歌混じりで対処する様な事を追い詰められた様な気持ちで煮詰まって考えていた。
一度、深く息を吸い。ゆっくりと吐き出してしばらく息を止める。
自然と呼吸は整い、無音だと思っていた執務室に遠くから陳留の町を拡張する工事の音や城中に咲く花の匂いが鼻をつく。
太陽の明るさに目をしばたたかせれば、太陽は上天にかかり、腹の中が空っぽなのに気付いた。
「お腹が減ったわね。李円、食事に行くわよ、付き合いなさい」
筆を置き放したまま、椅子から立ち上がる。
「おや、この位は終わらせてから休むんじゃなかったっけ?」
わざとらしくとぼけた顔で李円が耳の後ろを筆の持ち手でかきながら、からかう様な笑みを浮かべる。
「その位、後で詩作でもしながら片付けるわよ。それより、今は食事よ。李円、店は貴方が見繕いなさい」
腰に手を当てて李円を見下ろす。
「まだ、俺も終わってないんだがね……ならば無駄に豪勢で豪快な飯で華琳を太らせてやろうかね」
ニヤリ、と笑いながら李円も立ち上がりこちらを見下ろしてくる。
「私を満足させられる程度はある事を期待しておくわ」
挑戦的にそれが当然である様に言えば、
「そこに驚きと感動を加える事を約束しよう。いい店があるんだよ、これが」
待ってましたとばかりの笑顔を浮かべての返しよう。
ああ、このやり取りが心地よい。私の人並みでは満足出来ない事に軽々と合わせてくる彼に多少、甘えてしまうのもやはり仕方が無いのだろう。だから、今しばらくはこのままでーーー
「塩多目でこちらの美少女に感動の涙をよろしく」
「それは感動とは違うんじゃないかしら」
「塩多目ー、感動の涙を一丁ー」
「へーい」
「料理名なの!?
ちょっと……ワクワクして来ちゃうじゃない」
「だろう?」
生まれ変わり続ける陳留は今日も新しくなり続けているようです。
城中に金属音が鳴り響く。
耳障りな鉄がこすれる音は争いの持つ刺々しさではなく、その直前の今にも引きちぎれそうな縄の様な緊張感を孕んでいた。
「準備はよいかしら、秋蘭」
「はっ、姉者と李円が兵と糧食の確認をしていますれば後は待つだけかと」
城壁の上にて走り回る兵と監督官の姿を見下ろしながら、曹操と夏候淵は鎧姿に身を包む。
髪の毛にドクロの意匠を施した髪止めを当て、両肩をさらけ出した深い群青色の胸当てと紫色の軽鎧を着込み、下はスカートという異装の曹操。自ら戦う事が少なく、大鎌『絶』は圧倒的なリーチと射程に入れば叩き落とす曹操の盾であり、鎧にして剣。下手に鎧などを着込めば逆に防御能力を損なうという厄介な代物。曹操は剣や槍を一級の武人並みに扱えるにも関わらず大鎌『絶』に絶対の信頼と深い愛着を持つ。
夏候淵は普段と同じ青のチャイナドレスに左肩から肩掛けにした明るい群青色の胸当てと左肩に担いだドクロの意匠が一際目を引く。
「華琳様ー、兵は装備完了です。いつでも賊だろうが李円だろうが殲滅出来ます!!」
その二人に走り寄る夏候淳は普段と同じく赤いチャイナドレスに夏候淵と対になる様な右肩から肩掛けにした胸当てに、やはりドクロの意匠が目を引く。
「李円を殲滅出来るなら完璧ね」
「流石、姉者だ」
曹操と夏候淵の言葉に
「当然だ。私は与えられた仕事は完璧にこなすぞ、李円」
と、鍛え上げた胸筋に支えられたロケット形の胸を張る。
「畜生、仕事の配分おかしいだろう」
その後ろから武官や文官問わず、今回の遠征に携わる監督官を引き連れて現れる李円。
「雑事は貴方の役割でしょう、李円」
当然とばかりに言う曹操に夏候淳と夏候淵も頷く。
「数合わせは苦手なんだよ、ああまた合わない。どうよ、ここら辺おかしくね?」
「は……はい、確かに合わないですね」
文官と竹簡を覗き込みながら
「先鋒と後詰めの進軍速度は違うから後詰めの兵士は先に飯食わせておけな」
「はっ、しかし先鋒に追い付けなくなるのでは?」
「偵察を適当にやるからだろ。春蘭の行軍速度は連絡兵を往復させて調整するから、しっかり地形の確認と周辺住民からの聞き込み、賊の偵察に気取られない様にしてくれ」
「御意!!」
李円からの諸々の指示を受けて蜘蛛の子のように四方八方へ散っていく監督官達。
一時前の喧騒は嘘の様に遠退き、城中の張りつめた緊張感から取り残されたような雰囲気が残る。
「久しぶりって訳でもないが、最近じゃ珍しく規模がデカイ出撃からか雑事が多い事、多い事。やっぱり細かい計算は苦手だ」
肩を大袈裟に回す李円は白地に青い大翼が染め抜かれた武術服を着込み、その上に夏候姉妹に習うような群青色の胸当てがドクロを胸中にかき抱く様に意匠されている。
「全員で出撃するのはなかなか無い機会、手抜かりは無いでしょうね」
並の人間では頭と体がパンクする様な仕事を押し付けておきながら、出来ていて当然とばかりに向ける曹操の鋭い視線を李円はいつも通りに飄々と
「すまんが、今回は幸先悪いようだな」
受け止め切れずに罰の悪い表情で空いた右手を軽く振る。
李円の性格を裏切る様な完璧な仕事ぶりを知る夏候淵は驚きに目を見開き、曹操は考え込む様に唇に指を当てる。夏候淳は取り敢えず剣を抜こうとしていたので、李円が飛び付いて必死に抑えた。
「ええい、雑事一つまともに出来ない奴は斬って捨ててやる!!」
「春蘭、本来お前がやる仕事が遅いからって廻されたのがいっぱいアルンダヨ。泣きたくなるから剣を抜こうとするな。ここで止め……抑えきれん、馬鹿力過ぎるだろ!?」
「フハハハハハ、最近は兵の鍛練だけだったから時間が余ってな。貴様を倒すために一から鍛え直したんだ、凄いだろう!」
「無茶ぶりに応えたら、命の危機が増えたでござる。こんなの絶対おかしいよ!」
徐々に露になる七星餓狼の黒刃とそれに映るどこぞの魔法少女みたいな李円の叫び。
戦いは既に始まっていたーーー
「始めてたまるか、輝け俺の中の銀河系パウアー!!」
「ぬうう、高まれ私の中の華琳様への忠誠心ー!!」
「いい加減にしときなさい」
「姉者、止めといた方が賢明だぞ」
残り二人は既に武器を抜き払っていた。
「「ごめんなさい」」
謝る時は素直な仲良し二人組であった。
意識はしなかったのですが、拠点フェイズ的なものに。
次話は皆、大好き猫耳軍師さんが登場予定。原作ブレイクしても、いいよね(大幅な変更は多分無い)。
変な話、李円のツッコミには幼馴染みの曹操だけじゃ足りないという話。次話からがコメディの本領発揮であります。