断罪-3.11人への鉄槌
「……まずは、あなたたち四人。そこへ並びなさい」
アイリス姉さんの指が、僕のすぐ後ろにいたボーン、ニヴェ、アルム、ガロを指した。
いつもなら、僕の命令以外では眉一つ動かさない「最悪」という異名を冠する怪物たちが、まるで死刑宣告を受けた囚人のように肩を震わせ、一列に並んで正座した。
「まずは、ボーンさん。あなた、表の顔は医師なのでしょう?」
アイリス姉さんは、ボーンの前に立ち、その鋭い赤い瞳で彼を射抜いた。
ボーンは一瞬、かつての「死神の解体師」としての矜持を取り戻そうと、震える声で反論を試みた。
「……あ、アイリスさん。誤解しないでいただきたい。俺が解体したのは、法で裁けない外道どもだけだ。俺の手術台に乗った奴らは、それ相応の罪を――」
「黙りなさい」
その一言で、ボーンの言葉は物理的に喉に詰まった。アイリス姉さんの背後から立ち上る、言語化不能の精神的プレッシャーがアジトの岩壁に亀裂を入れる。
「命を繋ぎ、育むためにあるべきその手で、あなたは何人を『解体』したのですか? 知識を、技術を、人を壊すために使うなんて……。それは医学への冒涜であり、命に対するこの上ない侮辱です」
「い、いや、それは……悪人を……社会のゴミを掃除して……」
「悪人なら殺していいと、誰が決めたのですか? あなたは神様なのですか? いいえ、ただの『傲慢な殺人者』よ。今すぐその汚れた道具を捨てなさい。聞こえないの!?」
「……ひ、はいっ!!」
世界最高の外科技術を持つボーンが、泣きそうな顔で愛用のメスを床に投げ出した。
次はニヴェだ。彼は氷のような冷静さを保とうと、静かに口を開いた。
「……アイリスさん。俺の冷気は、この腐った世界を浄化するために――」
「ニヴェさん。その冷気は、誰を温めるためのものですか? あなたが凍りつかせた街には、明日を夢見る子供も、帰りを待つ家族もいたはず。あなたの『美しい絶滅』という言葉の裏で、どれだけの体温が奪われたと思っているの?」
「……っ」
「美しさに逃げるのはやめなさい。あなたはただ、冷たい心で世界を拒絶しているだけです。……その氷、今すぐ溶かしてしまいなさい」
ニヴェは、絶対零度の魔力を霧散させ、子供のように丸まって震えだした。
「アルムさん、あなたも。その酸は、大地を腐らせるためにあるのではありません」
アルムは自らの過去――差別され、すべてを溶かしてやりたかった幼少期の悲劇を語ろうとしたが、アイリス姉さんの眼光はその「言い訳」さえも許さなかった。
「ガロさん、あなたの『声』は、誰かを泣かせるために授かったものですか?」
「うっ、俺は.......」
ガロも自らの信念を語ろうとしても彼女には無駄でしかなかった。
「不幸なら、人を傷つけてもいいのですか? 痛みを失った心で、正義を語らないで! あなたたちがしているのは、ただの甘えです。力という暴力に頼って、対話を、理解を放棄しているだけ!」
アイリス姉さんの論理は、感情的な怒号ではない。相手の存在意義を根底から否定し、逃げ場のない「正解」で魂を叩き潰す、絶対的な断罪だった。
「……道具を、捨てなさい。その醜い武器も、その歪んだ思想も、すべて。今、この場で」
国家を一夜で滅ぼせるはずの四人が、ガタガタと歯の根も合わないほど震えながら、地面に額を擦りつけた。
「……申し訳……ありませんでしたぁっ……!!」
一国の軍隊を相手にしても不敵に笑っていた彼らが、一人の保育士の前に平伏している。
僕はそれを見ながら、次に回ってくる自分の番――そして、他のメンバーたちに訪れるであろう「地獄」を思い、自分もまた、絶望に身を震わせることしかできなかった。
「……次。ライさん、セーダさん、パペさん、ヌーベさん。そこから出てきなさい」
アイリス姉さんの視線が、アジトの薄暗い影や、僕の後ろに隠れるようにして気配を消していた四人を射抜いた。
『白爪』の中にあって、圧倒的な物理破壊と情報操作を担う四人。だが、彼らは今、国家機密を盗み出す時よりも、敵軍の包囲網を突破する時よりも、絶望的な顔をしていた。
まず、ライが立ち上がった。重力を操る巨大な白鉄槌を杖にし、彼はなんとか「戦士」としての誇りを保とうとした。
「……アイリスさん。俺たちの力は、あんたみたいな善良な人間を……踏みにじる奴らを叩き潰すためのもんだ。この破壊こそが、弱者の盾なんだよ!」
「ライさん」
アイリス姉さんの静かな、けれど地響きのような声が重力使いの言葉を撥ね退けた。
「その強大な腕力で、耕せる畑がどれだけあるか考えたことはありますか? 重力を操るその力があれば、荒れ地を肥沃にし、何万人の飢えた子供たちにパンを届けられたはず。それを……ペシャンコの肉塊を作るために使うなんて。そんなのは『盾』ではなく、ただの巨大な『凶器』です」
「そんな、馬鹿な……」
「セーダさん、パペさん。あなたたちも。……視認不可能なほど繊細な糸を操り、万の紙を舞わせるその指先。それは、子供たちに暖かい服を縫い、美しい物語を読み聞かせるためにあるものでしょう? 知識を『断罪』のために、技術を『拘束』のために浪費して……恥ずかしいと思わないのですか?」
パペは一瞬、隠し持った魔法紙でアイリス姉さんの視界を奪い、その隙に逃亡――あるいは、この「異常な空間」を終わらせるために彼女を無力化しようという考えが脳裏をよぎったはずだ。
だが、彼が指をわずかに動かした瞬間。
アイリス姉さんの瞳が、燃えるような紅蓮に染まった。
「……何か、企んでいますか?」
「ひっ……!」
魔法紙が、パペの指からバラバラと力なく崩れ落ちた。
世界最高の幻術師であるヌーベも、得意の霧でこの場をやり過ごそうとしたが、アイリス姉さんの怒号がその幻を霧散させる。
「ヌーベさん。その霧は、恥ずべき行いを隠すためのものではありません。真実から目を逸らし、自分たちが『正義の味方』であるという空っぽな幻想を見せるためのものでもない。……『死神』などと格好をつけて、結局は自分たちの力を誇示して、酔いしれたいだけ。滑稽だわ」
「滑稽」。
その言葉が、僕たちのプライドを粉々に砕く。
アイリス姉さんの言葉は、僕たちが「弱者を救うため」という免罪符で塗り固めてきた信念の矛盾を、容赦なく抉り取っていく。
「あなたたちが救った一人の影で、何人の子供が親を失ったと思っているの? あなたたちが『悪』と断じた者にも、家族がいて、生活があった。それを奪う権利が、誰にあるというのですか? あなたたちは救世主ではない。ただの……ただの、自分勝手な暴力の塊よ」
世界最高の幻術師であるヌーベが、膝から崩れ落ちた。
仮面の下で、彼は子供のように声を上げて泣き始めた。
ライも、セーダも、パペも。
国家を転覆させるほどの魔力や技術を持っていたはずの怪物たちが、アイリス姉さんの放つ「絶対的な善意」という名のプレッシャーの前に、ただの「道を踏み外した子供」へと引き戻されていく。
「武器を捨てて、顔を上げなさい。……あなたたちの本当の『罪』は、その力で誰かを救えなかったことではなく、救おうともせずに『殺すこと』を選んだ、その心の傲慢さにあるのです」
四人は、もはやアイリス姉さんの瞳を直視することさえできず、ただ涙を流して項垂れるしかなかった。
アジト内には、もはや戦う意志を持つ者など一人もいなかった。
最後に残った三人の女性メンバーに対し、アイリス姉さんはもはや怒号さえ発しなかった。そこに漂うのは、冷徹なまでの静寂。それは嵐の前の静けさよりも、さらに重く、深く、逃げ場のない「終わり」を予感させた。
「……最後。ペルラさん、リリオさん、サレさん。前へ」
宝石商、花屋、塩屋。表の世界では、アイリス姉さんとも笑顔で言葉を交わし、時には孤児院に寄付さえ持ってきた彼女たちが、まるで重罪人のように引きずり出される。
「ペルラさん。あなたの放つその真珠は、美しさの象徴ではありません。それはあなたが奪った未来、遺された人々の涙の象徴よ。リリオさん、その花は……誰かを弔うためにだけあるのではないはず。そしてサレさん。塩は場を清め、命を育むためにあるものであって、他人の命を枯らすためのものではないはずよ」
「……っ、それは……!」
ペルラが、震える拳を握りしめて顔を上げた。
「私たちは……私たちは依頼者を救うために! 法が捨て去った人たちの叫びに応えるために、この手を汚してきたんです! あなたみたいな、陽だまりにいる人に何がわかるっていうの!?」
アイリス姉さんは、その反論を一瞥で切り捨てた。
「その『救い』の結果、あなたたちの手には何が残ったの? 誰かの返り血と、虚しい勝利だけでしょう。あなたたちは、私に微笑みかけてくれたあの日も、孤児院の子供たちと遊んでくれたあの日も……その服の下に、誰かの命を奪ったばかりの感触を隠していたのね」
「それは……っ……」
「それは、ルウ様をお守りするために……!」
リリオが消え入りそうな、けれど必死な声で漏らした。
「ルウ様が、あなたの隣で笑っていられる世界を維持するために……私たちは、彼の爪となり、牙となって、闇を払ってきたんです……!」
その言葉が、アイリス姉さんの「真の逆鱗」に触れた。
「――ルウくんを汚したのは、あなたたちよ!!」
ドォォォォォンッ!!
物理的な衝撃波がアジトを揺らしたわけではない。けれど、空間が、次元が、彼女の絶叫に近い恫喝に悲鳴を上げた。
「ひ、ぃ……っ!」
三人は、魂を直接掴み取られたかのように、その場に崩れ落ちた。
「彼に『死神』という役割を与え、彼に『王』という孤独を背負わせ、その純粋な心を血の海に沈めた……! あなたたちが彼を支えていたんじゃない。あなたたちが、彼を人間から遠ざけていたのよ!!」
アイリス姉さんの瞳は、いまや深淵のような紅に燃えていた。
その背後に見えるのは、死神など比較にならない「絶対的な正義」の化身。
世界を震え上がらせてきた11人の「逆らってはいけない人リスト」の住人たちが、全員一列に正座し、一人の保育士の前でガタガタと震えながら号泣し、赦しを請う。
国家が軍隊を出しても成し得なかった「『白爪』の完全な解体」が、言葉という刃だけで達成された。
静寂が戻る。聞こえるのは、かつての怪物たちの啜り泣きだけだ。
そして、アイリス姉さんはゆっくりと、最後の一人へ向き直った。
そこには、絶望の表情で立ち尽くし、声も出せずに震える僕がいた。
「……ルウくん」
名前を呼ばれた瞬間、僕の全身の筋肉が硬直した。
超がつくほどの神速で走る脚も、空間を裂く双剣も、今は何の役にも立たない。
僕は、僕のすべてを否定し、書き換えてしまうであろう「宣告」を、ただ待つことしかできなかった。
アイリス姉さんの瞳が、僕の魂の最奥を覗き込む。
そして――すべての元凶である、リーダーの僕だ。




