断罪-2.怒りの咆哮
その瞬間、空気が変わった。
「……いい加減にしなさい!!!!!」
アイリス姉さんの絶叫が、アジトの堅牢な岩壁を震わせた。アイリス姉さんのここまで恐ろしい爆発は見たことがない。生まれて初めてだ。
彼女の穏やかだった水色の瞳が、沸騰する鮮血のような「赤」に染まり、恐るべき怪物のような形相に変わる。
「取引? 引越し業者? ……私を、そこまで馬鹿にしないで!!」
物理的な衝撃波など、何一つ放たれていない。それなのに、世界を震撼させてきた12人の猛者たちは、まるで巨大な隕石がこの星から頭上から降ってきたかのような、凄まじい精神的圧迫感に襲われた。
「ひっ……!?」
重力制御を操り、数トンの鉄槌を軽々と振り回すはずのライが、真っ先にその場に膝をついた。僕の知る彼は、軍隊に包囲されても眉一つ動かさない不動の男だ。その彼が、まるで透明な巨人に肩を押さえつけられたかのように、情けなく震えている。他のメンバーも同様だ。国家の存亡を左右する怪物たちが、ただ一人の女性の眼光に射抜かれ、呼吸の仕方を忘れたように喘いでいた。
「ルウくん……何よ……これ。アイリスさんのこんな顔……あ、ありえない……ルウくん、何とか言いなさいよ……ッ!」
僕と同い年で、普段は不遜な態度を崩さないペルラも、その強気な瞳を涙で潤ませ、ガタガタと歯の根を鳴らしている。超がつくほどの神速を誇る僕の脚も、いまや深海に沈められた鉛のように重く、指先一つ動かすことさえ叶わない。
「ずっと……ずっと隠してきたんでしょう。あなたが、この街の人たちが怯えていた、あの忌まわしい『白爪』のリーダーだなんて……!」
般若の形相の彼女の瞳から溢れ出すのは、怒りだけではない。深い、底知れないほどの「失望」と「哀しみ」だ。目を背けたい、逃げ出したい。だが、僕の意識は、磁石に吸い寄せられる鉄屑のように、彼女の赤い瞳に釘付けにされていた。
「人を殺めて、嘘を重ねて……。そんな汚れた手で、孤児院の子供たちの頭を撫でていたの? どんな顔をして、私たちが作ったスープを飲んでいたの……!?」
アイリス姉さんから放たれるのは、444人のリストに載るどんな猛者も持ち得ない、「絶対零度の純粋悪」を裁くための、剥き出しの正義。
僕は初めて、自分がこれまでに刈り取ってきた数万人の命の重みよりも、目の前の女性一人を激昂させたことの報いに、魂の芯から震え上がった。
アジトの空気は、彼女の怒りと共鳴するように「真空」へと変貌した。ただの石だらけの洞窟のような薄暗い場所だが、酸素そのものが失うように感じる。周辺にも蜘蛛の巣があるが、それすらも彼女の怒りだけでプツンと切れてしまう。
もはや、呼吸をすることさえ許されないような、圧倒的な物理法則や魔術すらも無視した支配。
「あ……姉さん、落ち着いて、一度ゆっくり話を……」
僕は、この場から逃げ出したかった。
影移動を使えば一瞬でこの場を去れる。だが、僕の意識が「逃走」を選択し、右足がわずかに後ろへ下がろうとした、その時。
アイリス姉さんの赤い瞳が、僕の魂を貫通して、地面に縫い付けた。
「一歩でも動いたら、一生軽蔑します。逃げるなら、あなたとは一生会いません」
その一言は、世界最強の暗殺者のあらゆるスキルを封印し、物理的な鎖よりも強固に僕を拘束した。
魔王を瞬殺するはずの白爪のメンバーたちも、一人として武器を手に取ることすらできない。彼らは本能で理解していた。ここで彼女に抵抗することは、肉体の死よりも恐ろしい「存在の完全な否定」を意味すると。
「……座りなさい」
未曾有の震災に直面したかのように、僕たちの足は震え、膝が笑っている。もはや立っていることさえ限界だったが、アイリス姉さんは生まれたての小鹿のように震え上がる僕たちを見据え、氷点下の声で追い打ちをかけた。
「座りなさいって言ってるの!!!」
アイリス姉さんが世界の法則を書き換えるほどの絶対に逆らえない命令を下す。
僕たちは、国家を滅ぼせる武力を持ったまま、叱られた子供のように地面に釘を打つかのようにその場に正座をさせられた。
彼女の背後に見えるのは、死神や悪魔など比較にならない、この世界の理そのものである「絶対的な正義」という名の深淵だった。
「あなたたちのしてきたこと、これから一つ残らず吐き出しなさい。……嘘は、私の瞳が許しません。いいわね?」
「……うっ……はい、姉さん」
黒檀の机の上に置かれた、ネギの飛び出した買い物袋が、今の僕たちの惨めさを嘲笑うかのように静かに横たわっている。
最強の暗殺者ルウ、医師ボーン、氷菓子屋ニヴェ、染物師アルム、養鶏家ガロ、酪農家ライ、呉服商セーダ、本屋パペ、気象予報士ヌーベ、宝石商ペルラ、花屋リリオ、塩屋サレ。
世界最悪の犯罪組織にして正義の死神チーム『白爪』の「威厳」は、彼女が放つ赤い眼光の前で、塵となって霧散した。
そして、この後に待ち受ける「さらなる制裁」が、僕を小さな、足の短い、鳴くことしかできない存在へと変えてしまうことへの儀式が、今ここで始まる。




