再会-不確定要素の乱気流
東部へと続く街道は、まるで世界そのものが深い眠りに落ちたかのような静寂に包まれていた。湿り気を帯びた夜霧が石畳を舐め、街灯の微かな光さえも、その白濁した闇の中に吸い込まれて消えていく。
だが、その静虚を断ち切るように、一人の巨漢が影を大きく揺らしながら疾走していた。旅姿の分厚いクロークを翻し、夜風を切り裂いて進むのは、不動の破壊者――ライだ。彼の背負い袋には、かつての栄光と、そして「白爪」と「焔牙騎士」の未来が、物理的に詰め込まれていた。
ライの逞しい両腕の中。そこには、かつて世界を恐怖のどん底に叩き落とした二人の伝説が、仲良く収まっている。
銀髪の死神、時速400kmを誇る僕。
赤雷の破壊王、剛剣のティル。
……今は、白い毛並みのマンチカンと、隣で小刻みに震える茶色のチワワという、あまりにも情けない姿ではあるけれど。
「(おい、ルウ! お前とこうして肩を並べる……いや、腕を並べるのはいつぶりだ!? まさか伝説の二人が、揃って犬猫の姿でドナドナされる日が来るとはな! ギャハハ!)」
ティルの思念が、脳内に騒がしく飛び込んでくる。この男、チワワになっても豪胆さ(あるいは図太さ)だけは変わっていないらしい。
「(今は笑ってる場合じゃない、ティル。……と言いたいところだが、あの時の大喧嘩を覚えているか? 二人で脱走して、アイリス姉さんにバレるまで戦い続けて……結局、二人まとめて正座させられたあの日の借りは、今回で返させてもらうよ)」
僕は短い前足で、ライの服の硬い布地をギュッと握りしめた。
あの時は、互いのプライドのために剣を交えた。だが今は、リュカという共通の巨悪を、そして僕たちを「ペット」として完璧に管理しようとする「飼い主」たちのシステムを打破するために、この屈辱を共有している。
「(ライ、あまり怪しまれるような真似をするなよ。僕たちは元国際指名手配犯にして、現役の『迷子ペット』だ。君は旅人のフリを通せ。今の僕たちの姿を憲兵や『骸蝶』に見られたら、それだけで作戦は台無しだ)」
「わかってらぁ、リーダー。……だが、俺のガタイで『可愛いペット二匹連れの旅人』ってのは、我ながら無理があるとは思うがな」
ライが苦笑混じりに呟き、さらに速度を上げた。
彼の歩みは、かつての僕の「神速」には遠く及ばない。だが、その一歩一歩には大地を味方につけるような絶対的な安定感がある。時速400kmの世界では見えなかった、夜の空気の重みとライの心音の力強さが、今の僕には心地よく、そして何より頼もしかった。
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数分の疾走の後、ライは東部の町外れ、複雑に入り組んだ路地裏の奥深くで足を止めた。
そこには、リュカの魔力探知を欺くための、高度な隠蔽結界が何重にも張り巡らされている。だが、それは同時に「何かがここに隠れている」という微かな違和感を周囲に振りまいていた。
「どなたかな?」
霧の中から、不意に声が響いた。
自身の肉体を希薄化させ、空間に溶け込む術を持つ男――『蒼天の凪』のヌヴだ。
「俺だ、ライだ。……『白爪』のリーダーと、『焔牙』の親方様を連れてきた」
ライが慎重にクロークの合わせ目を開くと、そこから真っ白なマンチカンの僕と、茶色のチワワのティルが、申し訳程度にひょっこりと顔を出した。
ヌヴは一瞬、彫像のように硬直した。
「……はぁ? 何を言っているんだ、あんたは。……いや、最近、巷で噂の『凶悪犯を可愛い動物に変える洗濯屋や聖女』の話は聞いていたが……。まさか、あの『終焉』と『破壊』が、本当にそんな、……そんな『可愛いこと』になっていたとはな……」
ヌヴの呆れたような、それでいて深い同情の混じった視線が痛い。
そこへ、奥から苛ついたような足音が近づいてきた。気圧を操る偏屈な天才、ガレだ。彼は脇腹の傷を庇うように、不機嫌そうに眉根を寄せ、ライを見上げた。
「あんたか。……随分とデカそうな野郎だな。測量するまでもなく、質量兵器みたいなガタイだ」
「デカくて結構だ。……ガレ、単刀直入に言うぞ。あんたらはまだ、リュカの幹部を一人も仕留めてはいない。それどころか、あんた自身もあのタロとかいうガキに不覚を取ったと聞いている。……リュカは、俺たちが倒す。俺たちがいたほうが、あんたの『予報』も的中率が上がるんじゃないか?」
ライの堂々たる宣言に、ガレは鼻を鳴らした。彼はライの手の中に収まっている僕の瞳をじっと見つめる。そこには、肉体は変われど失われることのない、銀色の狼の殺気が宿っている。
「……フン。グリの野郎に続いて、仲間が増えすぎたもんだ。……だが、銀色の兄ちゃん。あんたの目を見ればわかる。実力は、牙を抜かれても衰えちゃいないはずだ。……こりゃあ、不確定要素が増えて、計算のしがいがあるな」
ガレの口角が、わずかに吊り上がった。
彼にとって、僕とティルという存在は、計算を狂わせる「乱気流」であり、同時に勝利を確定させるための「最強の変数」なのだ。
それから、夜が明けようとするまでの数時間。僕たちはガレの仮アジトで、東部の戦況を詳細に分析していた。
アジトには、グリ率いる『紫電の檻』のメンバーも合流しており、かつての敵同士が、一つのテーブルを囲むという奇妙な光景が広がっていた。
僕は、ライの膝の上で丸まりながら、地図を凝視していた。ティルは相変わらず「キャンキャン!」と騒ぎながら、グリの部下たちと(チワワの姿で)必死に格闘訓練に励んでいる。その姿は完全に「じゃれつく子犬」なのだが、本人は至って真剣なのがまた悲しい。
だが、その歪な平穏は長くは続かなかった。
東部戦争の足音は、僕たちが想像していたよりもずっと早く、そして不気味なほど正確に僕たちの首元へと迫っていた。
「(……来たか。隠蔽結界を強引にこじ開ける、この禍々しい蝶の魔力。……リュカの犬ども、もう僕たちの居場所を嗅ぎつけたらしいな)」
僕は低い声で「にゃあ」と鳴き、身を翻して床に降り立った。
ガレが脇腹の痛みをこらえながら気象観測杖『シーガル・レイザー』を手に取り、不敵に笑う。
「……予報通りだ。東部全域、これより『血の雨』が降るぜ。……銀色の兄ちゃん、あんたもその『可愛い爪』、しっかり研いでおけよ」
「(にゃあ――言われなくても。……僕たちの反撃、ここからが本番だ。……この姿で、あの『神』気取りの男を引き摺り下ろしてやる)」
窓の外、朝焼けが赤黒く東部の空を染めていく。
翌朝、荒野で最初の一撃を放つのは、果たして誰か。
マンチカンの姿をした「終焉」と、チワワの「破壊王」、そして負傷した「予報士」。
あまりにも頼りない、けれど誰よりも狂暴な反逆者たちの戦いが、今、火蓋を切った。




