断頭台-英雄たちが「ペット」になる日
窓の外には、嵐の後のような、それでいて不気味なほど抜けるような青空が広がっていた。
僕――元・伝説の暗殺者『最悪の終焉』ことルウは、今や白銀のマンチカンとして、アイリス姉さんの家のソファで丸まっている。首元には、屈辱の象徴であるイチゴ柄のフリフリドレス。重なり合ったレースの感触が、かつての「狼王」としての誇りをチクチクと突き刺す。
低い位置の視線見えるのは、一匹の黒いウサギだ。このウサギはかつて僕と共に『白爪』で戦場を駆けた参謀、ヌーベだ。彼もまた、先の「冥静戦争」での独断専行と脱走の末、アイリス姉さんの手によってこの姿に変えられた。
「にゃあ(ヌーベ。改めて聞くけど……あの戦争、正直に言うと君にはどう見えていた?)」
僕は前足で顔を洗いながら、猫の鳴き声に魔力を乗せて問いかけた。ヌーベは長い耳をピクつかせ、ウサギ特有の鼻をひくひくさせながら答える。ヌーベもこの小さな黒い体にはどこかぎこちない様子もある。
「キュ(……幹部の一人を止められただけで十分ですよ。正直、俺があの場で動かなければ、アイリス姉さんも間違いなく死んでいたはずだ。最後はルウさんが止めてくれて助かりましたが……。やっぱり、人間の姿の方が何倍も楽だったのは間違いありませんね)」
「(普通ならそう思うだろう? でもさ、信じられるか? アイリス姉さんは、あの破壊神ベスパと管理者マンティが激突する、文字通り『世界が終わる』ような最終決戦のど真ん中に、掃除用具を持って割って入ったんだぞ)」
僕がそう告げると、ヌーベの耳がピンと直立した。
「(それでだ、ルウさん。あの大物二人は結局どうなったんです? どこかの監獄にでもぶち込まれたんですか?)」
「(あいつらも……僕たちと同じさ。犬や猫に変えられた。おまけに記憶まで改ざんされたんだ。かつての野望も、憎しみも、殺し合った記憶も全部消されてな。……ある意味、戦士としては死んだも同然だろ)」
「(……あの女にとって、あの凄惨な全面戦争は、ただの『お片付け』程度にしか見えていないということですか。何を考えてるんだ、一体)」
ヌーベの言葉には、戦慄が混じっていた。僕も同感だ。世界を震撼させた巨悪たちが、今やどこかの家で「ワン」だの「ニャー」だの言っている。その光景を想像するだけで、僕の尻尾は勝手に膨らんでしまう。
その時、玄関のインターホンが鳴った。
「はい、どなたかしら?」
アイリス姉さんがおっとりとした声で玄関に向かう。扉を開けると、そこにいたのは街の郵便局長、ゼトだった。彼はかつて僕たち『白爪』に命を救われ、今は情報伝達の「繋ぎ屋」として僕たちをサポートしてくれている協力者だ。
「あ、アイリス様……いつもお疲れ様です。郵便物をお届けに上がりました。ええ、今日も平和で何よりですね」
ゼトは120%の善意を張り付けた笑顔で接しているが、その視線は部屋の隅にいる僕……そして、新顔の黒ウサギ(ヌーベ)に向けられていた。
(……その気配はもしや、ヌーベ殿!? その姿は一体……。ルウ殿に続いて、白爪二人目までもが……!?)
ゼトさんの瞳に、隠しきれない動揺が走る。白爪の双璧が、揃いも揃って小動物に変えられている。裏社会の人間が見れば発狂しかねない光景だ。
「フッ(ゼトさん、驚くのもわかるけど、頼むから静かにしてくれ。アイリス姉さんに感づかれたら終わりだ。……その様子だと、何か伝えたい情報があるのか?)」
ヌーベが低い鼻鳴らしで問いかけると、ゼトはアイリス姉さんに背を向けた隙に、表情を強張らせて隠語を混ぜた囁き声を漏らした。
「……裏社会でも、とんでもない噂が流れていますよ。『冥静戦争』の結末が、あまりにも異常だったと。南の大陸を支配していた二大巨頭が、一夜にして蒸発した……いや、『別の何か』に置き換わったと……」
ゼトは喉を鳴らし、さらに衝撃的な言葉を続けた。
「……それに、あの『月下狂牙』も……壊滅したようです。リーダーのカリス殿を含め、全員が……」
「(……!? どういうことだ、ゼト! カリスがやられただと?)」
ヌーベが詰め寄ろうとしたが、アイリス姉さんが戻ってくる気配を察して、ゼトは慌てて郵便鞄を締めた。
「では、また。……どうぞ、お気をつけて」
嵐のような情報を残し、ゼトは逃げるように去っていった。月下狂牙が、あの剣聖カリス率いる最強の義賊集団が滅びた? 信じられない。ベスパやマンティの軍勢ならいざ知らず、彼女たちを正面から捻じ伏せられる存在なんて――。
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数日後、僕はアイリス姉さんに抱きかかえられ、近所の広場へと連れ出されていた。僕はその日も変わらずにイチゴのドレスを着せられていた。人間の姿に戻ったら、僕は女の子じゃないと正々堂々と伝えたい。実は後にこの忌まわしき衣装は纏わりつく運命となっていたことをまだ知る由もない。
「ルウくん、今日はいいお天気ね。あ、あそこにいるのは……」
姉さんが足を止めた先。そこには、移動花屋の屋台を引く一人の女性がいた。ルピナだ。穏やかな微笑みを湛えた彼女の腕の中には、大きな耳を蝶のように羽ばたかせる、一匹の優雅な小型犬――パピヨンがいた。
(……カリス!?)
僕は思わず姉さんの腕の中で身を乗り出した。そのパピヨンから放たれる「気配」は、間違いなくマゼンタ色の剣気を操ったあの死神、カリスのものだった。
「……にゃあ(あなた……カリスなのか? カリス、君まで飼われたのか!?)」
僕が猫の言葉で絶叫すると、パピヨンの姿をしたカリスは、長い耳を揺らしながら冷ややかな、けれどどこか自嘲気味な視線を返してきた。
「……アン(あら、ルウ。……あなた、随分と可愛らしい女の子にされたのね。そのイチゴのドレス、よく似合ってるわよ?)」
「(……からかうのはやめろ、僕は男だ! それよりカリス、君のメンバーはどうしたんだ。全員、やられたのか?)」
僕の問いに、カリスは深く、犬の姿で溜息をついた。
「(……みんな、この『ルピナ』っていう女に負けたわ。今頃は、発狂するレベルの重労働(庭仕事)をさせられてるはずよ。……認めるのは癪だけど、ベスパやマンティの軍勢を相手にする方が、まだ何倍も楽だったわね)」
「あら、アイリスさん。お元気ですか?」
「ええ、ルピナさん。この子、最近勝手にお外へ抜け出そうとするから、どうしようか困っていたところなの」
目の前で繰り広げられる、保育士と花屋の長閑な会話。だが、僕とカリスは知っている。この二人の足元で、世界の均衡は完全に「おままごと」のように書き換えられているのだ。
(……『月下狂牙』も死んだな……)
僕は悟った。誇り高き死神も、神速を誇った狼も、この女たちの前では「教育が必要な迷子」でしかないのだ。
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その後、近くのベンチで始まったお茶会。
アイリス姉さんとルピナさんは、冥静戦争という未曾有の災厄を、まるで昨日の夕食の献立でも振り返るかのように語り始めた。
「本当に……あの戦争は大変でしたね。誰かが欲を出しすぎると、世界の庭が荒れてしまいます。特にあの子たち……ベスパくんとマンティくんは、少しお庭を走り回りすぎて、大切なお花をたくさん踏み潰してしまいました。だから、少し静かにして、お外の世界がどれだけ温かいか、一から学び直してもらうことにしたんです。もう二度と、あんな悲しい火遊びはさせません」
アイリス姉さんが、紅茶を啜りながら穏やかに言う。
「あらあら、ベスパさんとマンティさんは……。確かに少し元気すぎましたね。伸びすぎた枝は、いつか自分を支えられなくなって折れてしまいます。だから私が、丁寧にハサミ(剪定)を入れて差し上げました。今はそれぞれ、優しいお家で新しい『役割』を見つけているはずです。あの子たちが、愛される喜びを知ってくれるといいのですが」
ルピナさんも、ジョウロを傍らに置いて微笑む。
「(……『あの子たち』、か……)」
僕は膝の上で丸まりながら、内心で舌を巻いた。
ベスパ。マンティ。あいつらは間違いなく、この大陸の王だった。触れる者すべてを灰にし、逆らう者すべてを消去する、文字通りの怪物だった。
けれど、この二人の「飼い主」の目には、奴らですら「お庭を荒らした悪戯っ子」程度にしか見えていない。
もし僕があの場にいたら、間違いなく奴らを殺害して決着をつけていただろう。だが、この人たちは殺さない。殺す価値さえないと断じるかのように、存在そのものを「愛される小動物」へと書き換えてしまう。
死よりも深い屈辱。そして、死よりも徹底した救済。
これが……「飼い主」の理。僕たちを、ただの迷子としか見ていない圧倒的な「格」の差だ。
「そうそう、アイリスさん。今回の件に関わっていない、白爪の残りのメンバーの方々も、戦後復興のボランティアに行かせたらどうかしら?」
ルピナが、思いついたように提案した。
「そうね。ボーンさんやニヴェさんも、最近孤児院のお手伝いばかりで退屈しているかもしれないし……。ちょうど、あのエルバさんも今、瓦礫の下で一生懸命お掃除してくれているみたいだから、一緒にお仕事してもらうのもいいかしら」
「(……!?)」
僕は毛を逆立てた。
ボーンにニヴェ、そしてアルムやガロたちを、あの狂った薬剤師エルバと一緒に働かせる!?
信じられるか。あの高潔な義賊たちが、かつて自分たちが命懸けで戦った巨悪と、泥にまみれて「仲良く」瓦礫を運ぶなんて。
ボーンがメスを置いてシャベルを握り、ニヴェがかき氷の氷で街の消毒をし、その隣でエルバが「ゴミめ……」と毒づきながらゴミ拾いをしている。
……それは、どんな地獄よりも恐ろしい、平和の光景だった。
「ルウくん、どうしたの? 震えちゃって。……大丈夫よ、あなたはもうどこへも行かなくていいの。私が、ずっとずっと、このドレスみたいに可愛がってあげるから」
アイリス姉さんの優しい手が、僕の頭を撫でる。
その手の温かさが、今の僕にはどんな魔法よりも逃れられない呪縛のように感じられた。
(……助けてくれ、みんな。僕たちは……僕たちはとんでもない『聖母』たちに捕まってしまったんだ……)
南の大陸に訪れた「平和」は、かつての英雄たちの矜持を、フリフリのレースと甘いお菓子の香りで、ゆっくりと、確実に、塗り潰していくのだった。
これにて第5部は終了となります。次回は444人リストパート5となります。




