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救済-死神の遺産と、失われた居場所


僕がアイリス姉さんの指先一つで、短足の白い塊――マンチカンの子猫に変えられてから数日が経った。

視界は以前の半分以下の高さになり、誇り高き『白狼(ビャクロウ)(ソード)』を握っていた指先は、今は肉球がついた頼りない前足だ。


そんな僕の正体――「便利屋のルウ」が「最悪の終焉」であったという事実は、僕が大切に隠し持っていた一冊の古びた手帳によって、アイリス姉さんの知るところとなった。

それは暗殺の記録ではない。僕たち『白爪』が、闇の中で牙を剥き、その結果として救われた人々から届いた「その後」を記した、僕にとっての唯一の光――『救済の記録』だった。


アイリス姉さんは、孤児院の暖炉の前で、静かにそのページを捲っていた。


手紙A(元農奴の男性):

「ルウ様、あの日、非道な地主から土地を取り戻していただいてから、村には笑顔が戻りました。今では息子も学校に通えています。私たちはもう、怯えて暮らすことはありません。あなたが蒔いてくれた希望の種は、今、大きな実を結んでいます」


手紙B(魔術師の病に侵された娘を持つ母):

「娘の呪病を解くための聖遺物を、闇オークションから奪還してくださり感謝します。法も教会も見捨てた娘は、おかげさまで再び自分の足で歩けるようになりました。命に代えてもこの御恩は忘れません。あなたは私たちの、暗闇に差した唯一の月光です」


僕たちが「死罪」という、本来なら国家が総力を挙げて執行すべき判決を回避できた理由。

それは、国家の役人たちが突きつけてきた罪状よりも、アイリス姉さんが突き返した「救われた民衆」たちの無言の、しかし膨大な祈りの重さが勝ったからだった。姉さんは、それらの実績を冷徹な論理で国家に突きつけ、「彼らを殺すことは、これだけの未来を殺すことと同義である」と役人たちを黙らせたのだ。


僕が「便利屋」を営んでいたのは、単なる隠れ蓑のためだけじゃない。

実は、僕は以前から「何でも屋」としての立場を使い、救い出した依頼者たちが自立できるよう、裏でサポートを続けていた。


僕には、秘密を共有する仲間が街のあちこちにいた。

僕の依頼者たち――虐げられ、すべてを失いかけた人々だけは、目の前の優しい青年「ルウくん」が、夜には「最悪の終焉」として剣を振るう死神であることを知っていた。


「ルウさん、今日は無理をしないでくださいね」

八百屋の主人が、かつて僕が取り戻した娘さんの手を引きながら、僕にリンゴを渡してくれたあの日。彼の瞳には、恐怖ではなく、深い敬愛の色があった。

彼らは僕を「悪魔」とは呼ばなかった。自分たちのために、あえて地獄へ降りて手を汚してくれた「聖者」として崇拝していたのだ。


だからこそ、アイリス姉さんに問い詰められるその瞬間まで、街の誰一人として僕の正体を漏らすことはなかった。彼らは「沈黙」という名の盾で、僕という偽りの平和を守り続けてくれていたのだ。


日記を読み終え、元依頼者たちの感謝の声を聴いたアイリス姉さんは、長い沈黙のあと、複雑な表情を浮かべた。


「……にゃあ(姉さん……)」

僕は彼女の足元で、情けない声を漏らす。


彼女は、猫になった僕の頭を、以前と変わらない暖かさで優しく撫でた。

その瞳には再び鋭い光が宿ったが、あの時のような般若の面影はない。そこにあるのは、深い哀れみと、正しさを求める強固な意志だった。


「……ルウくん。あなたが救った人たちがこんなにいることは、認めてあげる」

彼女の声は、冬の陽だまりのように穏やかで、同時に北風のように鋭かった。


「でもね。彼らに報いるための手段が『殺し』であってはいけなかったの。彼らを救ったという功績は、あなたの罪を消す消しゴムにはならないわ」


彼女は僕の「善行」そのものは否定しなかった。けれど、その「手段」を徹底的に、冷徹に否定した。

「暴力で得た平和は、いつかまた暴力に食い破られるわ。あなたは、彼らに本当の意味での『光の中での生き方』を教えるべきだったのよ」

それが彼女なりの、僕という一人の人間に対する真摯な向き合い方であり、僕が最も向き合いたくなかった「正解」だった。



僕たち『白爪』がアイリス姉さんに屈服し、解散したという噂は、瞬く間に世界を駆け巡った。

「世界最強の暗殺集団が、女一人に説教されて猫になった」

その事実は、僕たちの「畏怖」という名のメッキを剥がし、残酷な現実を突きつけてきた。


かつての依頼者たちは、物陰から僕たちの姿を見て、声を殺して泣いていた。

「あの優しい人たちが、どうして……」「猫にされるなんて、あんまりだ」

彼らは今でも僕たちのために祈ってくれている。けれど、その祈りは、今の僕たちを救うにはあまりに微力だった。


街を歩けば(と言っても、今の僕は姉さんの腕の中か、籠の中だが)、聞こえてくるのは罵声と蔑みばかりだ。


市民A: 「知ってるか? あのお人好しのルウくん、実は何百人も殺した殺人鬼だったんだってよ」

市民B: 「ええっ、あんなに子供たちと遊んでたのに? 気味が悪いわ。関わりたくないわね」


昨日まで笑顔でお裾分けをくれていた常連客たちは、手のひらを返したように僕を罵倒した。

「俺たちの善意を騙しやがって! 人殺しの金なんか受け取れるか!」

便利屋の看板には泥が投げつけられ、かつての僕の居場所は、見る影もなく汚れ、崩れ去った。


さらに、裏社会からの嘲笑はもっと残酷だった。

ライバルの自警団: 「おいおい、無敵の『白爪』様が、女一人に泣かされて下働きかよ! 『444人リスト』の面汚しもいいところだな!」

他の外道たち: 「あんな奴ら、もう怖くもなんともねえ。今度見かけたら、その猫の尻尾でも踏んでやろうぜ」


社会的信用は「マイナス」を振り切り、僕たちはすべてを失った。

僕が経営していた「何でも屋」は倒産。国家転覆級の力を誇った12人の怪物は、今や「街を歩けば石を投げられる犯罪者」か、「アイリス姉さんの孤児院で肩身を狭くして働く下働き」へと完全に没落したのだ。


姉さんは、僕たちを「許した」わけではない。

「許しは、あなたたちがこれからの人生で、どれだけ多くの子供たちを笑顔にできるかで決まるの」

そう言って、彼女は僕に――白いマンチカンの姿をした僕に、最高級のカリカリを差し出した。


僕はそれを一口食べ、情けなく喉を鳴らす。

「にゃあ……(美味しい……)」

最強の暗殺者としての誇りは、もうどこにもない。

ただ、アイリス姉さんの足元で、世界中の罵倒を浴びながら、それでも温かいシチューの匂いがするこの場所に、僕は縋り付くことしかできなかった。

第1部はこれにて完結です。次は第1部に初登場した登場人物の紹介を載せます。

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