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転生-もふもふの子猫


「ひ、ひぃぃ……っ! こ、これが、あの……『最悪の終焉』なのか!?」


 石造りの冷厳な謁見の間。贅を尽くした絨毯の上に、僕たちは無様に転がされていた。

 僕の手首には、魔力を完全に霧散させる特注の「聖銀の鎖」が食い込んでいる。いや、そんな物理的な拘束など、今の僕たちには何の意味もなさない。


 僕の背後、左右に控える11人の仲間たち——かつて南の大陸、ましてや世界を震え上がらせた暗殺結団『白爪』の面々は、全員が青ざめ、畳んだ膝をガタガタと震わせていた。


「累計殺害人数が5桁だと……。南の大陸を一夜で焦土に変え、国家の外交方針を一人で塗り替える、災厄の化身……」


 壇上の玉座で、この国の王が泡を食って叫んでいる。隣に立つ大臣は、手にした羊皮紙を震わせ、今にも気絶しそうな顔で僕たちを見下ろしていた。


「……えぇい!即刻、死罪だ! ギロチンだ! いや、火炙りか!? この怪物どもを野放しにすれば、我が国は明日には地図から消えるぞ!」


 王の怒号は、恐怖の裏返しだった。

 実際、僕たちがその気になれば、この程度の警備兵など、僕がまばたきをする間に全員が「処理」されている。僕のメイン武装『双極・白狼剣』が手元にあれば、この城ごと空間を切り裂くことだって容易だ。


 だが、僕は動けなかった。僕の影移動も、IQ計測不能の戦術脳も、今は全く機能していない。理由は、僕たちのすぐ後ろに立つ、「彼女」の存在だ。


「……お静かに。国王陛下」


 鈴を転がすような、けれど心臓を直接握りつぶすような冷徹な声が響く。アイリス姉さんだ。

 彼女は、数千人の重武装兵が守る王城の正門を、ただ「お話があります」という笑顔と、立ち塞がる者を一人残らず失神させる圧倒的なプレッシャーだけで突き進んできたのだ。


「聖女アイリス……いや、孤児院の主よ。貴殿がこの賊を捕らえた功績は認める! だが、彼らは魔王より恐ろしい444人のリストの頂点だぞ!」


 大臣が叫ぶ。アイリス姉さんは、ふわりと水色の髪を揺らし、僕のすぐ横まで歩いてきた。


 そして、彼女の瞳が——あの、穏やかな空の色が、沸騰するような「赤」に変色した。


「……死罪? 国家による処刑? そんな甘いことで、この子たちの罪が消えるとでもお思いですか?」


 その瞬間、謁見の間から「音」が消えた。

 アイリス姉さんから放たれる精神的重圧。目が赤く血走っているのがその証拠だ。


 重力を操るライが、床に顔を叩きつけられた。聴覚を破壊するガロが、自分の耳を塞いで蹲った。


「絶対に逆らってはいけない444人リスト」の猛者たちが、たった一人の「一般人(保育士)」の言葉に、魂を削り取られている。


「彼らを殺して終わりにすれば、あなたたちの過去の汚職も、彼らが奪った未来も、すべて闇に葬られるだけ。それは救済であって、罰ではありません」


 彼女は、震え上がる王を真っ赤な瞳で射抜き、冷徹な論理で言葉の檻を組み上げていく。


「彼らには、命の重さを、その指先が覚えるまで償ってもらいます。国家に引き渡せば、どうせあなた方は彼らの武力を利用して『汚い仕事』を継続させるのでしょう? ……そんなことは、私が、絶対に、許しません」


「ひっ……! も、もちろんです! おっしゃる通りに!」


 王が情けない声を上げて、玉座から転げ落ちた。

 国家の最高権力が、一人の女性の「正義」に完全に敗北した瞬間だった。


-----


 判決は下された。『白爪』の解散。そして、メンバー全員の「保育士・奉仕作業員」への強制就業。僕たちはアジトへ戻ることを許されず、そのまま街へと引き立てられた。


「おい、見たかよ……。あの『便利屋のルウくん』、実は世界最悪の暗殺者だったんだってよ」


「信じられない。あんなに優しそうな顔をして、四万人も殺したのか? 汚らわしい」


「人殺しの手で、うちの子を助けてくれたのかと思うと、ゾッとするわ」


 街の人々の視線は、昨日までの親愛をすべて忘れ去り、汚物を見るような蔑みに変わっていた。一方でライバルギルドの刺客たちが、建物の陰からこちらを嘲笑しているのがわかる。


「終わったな、最悪の終焉。女の尻に敷かれて、一生泥水をすするのか?」


 そんな声が聞こえるたび、僕の心はズタズタに引き裂かれた。孤児院の裏庭。夕焼けが、僕たちの無様な姿を照らしている。


「さて、ルウくん。最後はあなたね」


 アイリス姉さんが、僕の前に立った。赤い瞳は少しだけ和らぎ、けれどそこには抗いがたい「断罪」の意志が宿っている。


「あなたは、この子たちのリーダーとして、誰よりも大きな罪を背負っている。……だから、誰よりも大きな贖罪が必要よ」


「姉さん、僕は……どんな罰でも受ける。自害しろというなら、今ここで……」


「死なせたりしません。……あなたは、これから一生、私に愛され、守られ、無力さを噛みしめながら生きなさい」


 アイリス姉さんの指先が、僕の額に触れた。脳が焼けるような熱。全身の細胞が、未知の法則によって再構築されていく。


「にゃ……っ!?(体が、あつい……!?)」


 ぐにゃりと世界が歪んだ。IQ計測不能の頭脳が、真っ白な霧に包まれる。時速400kmを誇った脚が、意志に反して短く、丸くなっていく。

 銀髪の整った顔立ちは、ふわふわとした白い毛に覆われ、世界を俯瞰していた視界は、アイリス姉さんの靴が見えるほどの高さまで失落した。


——ボフッ。


 乾いた音と共に、僕の「人間」としての存在が消滅した。


 代わりにそこにいたのは、短すぎる四肢と、長く美しい毛並み。そして、左右で色の違う、大きな瞳を持った——マンチカンの子猫だった。


「にゃあ……あ……っ!?(な、なんだ、この情けない声は……僕が猫だと!?)」


 慌てて立ち上がろうとしたが、重心が低すぎて転んでしまう。かつて戦場を蹂躙した、神速の身のこなしはどこへ行った?一振りで空間を断つはずの腕は、今や爪を立てるのが精一杯の、柔らかな肉球に変わっていた。


「あら、とっても可愛いわ、ルウくん」


 アイリス姉さんが、僕の脇に手を入れてひょいと持ち上げた。あんなに強固だった僕の「俺」という人格が、彼女の腕の温もりに触れた瞬間、パチンと弾けて霧散した。


「これからは、私の足元で、ゴロゴロと鳴いて過ごしなさい」


 首元に、小さな鈴のついた赤いリボンが巻かれる。ちりん、と高い音が鳴った。それが、世界最強の暗殺者の「終焉」を告げる、弔いの鐘の音だった。


-----


 それからの日々は、僕たちにとっての、真の意味での地獄だった。今までにくぐってきた修羅場という意味ではなく、全く別のベクトルだ。

 孤児院の食堂では、かつて「最悪の解体」と恐れられた五十五歳の元修行仲間、ボーンが絶叫していた。


「うああぁぁ! なぜだ! なぜ、この私の神業をもってしても、この赤ん坊のおむつが完璧に装着できないんだ……!」


 彼は、震える指先でおむつを握りしめ、赤ん坊の泣き声という名の「精神攻撃」にさらされ、白目を剥いていた。

 アイリス姉さんの声が飛ぶ。


「ボーンさん! そこでメスを出すのをやめなさい! 爪切りで十分です!」


「は、はいっ、姉さん! 申し訳ございません!」


 一方、庭では「最悪の凍結」のニヴェが、虚無の表情でかき氷を削り続けていた。


「……シロップはイチゴか? ……そうか。……絶滅とは、冷たいものだと思っていたが、これほど甘いものだったとはな」


 街の子供たちが彼を囲み、「おじさん、もっと冷たくしてよ!」とはしゃぎ回る。国家を凍土に変えるはずの魔力は、今や子供たちの舌を潤すためだけに浪費されていた。


「最悪の警鐘」のガロは、アイリス姉さんから「大声禁止令」を出され、一言も発せずに鶏の世話をさせられている。


 彼は、必殺の台詞「コケコッコー」を喉元で必死に抑え込み、顔を真っ赤にして卵を拾っていた。もし一言でも叫べば、アイリス姉さんの「般若のお面」が待っているからだ。


 そして僕は——。


「ルウくん、お昼寝の時間よ」


 アイリス姉さんの柔らかな膝の上が、今の僕の定位置(檻)だ。


「にゃあ……(離してくれ、姉さん。僕はまだ、再起を諦めていないんだ……)」


 口ではそう言いながら、彼女の指先が僕の顎の下を撫でると、脳内に麻薬のような快楽が走る。


(だめだ……抗えない……。ゴロゴロ……ゴロゴロ……)


 勝手に喉が鳴る。僕の身体能力、反射神経、そしてプライド。すべてが、猫という生物の圧倒的な「愛され本能」に敗北していた。


-----


 そんなある日のことだった。

 孤児院の門前に、殺気立った集団が現れた。南の大陸で名を馳せた暗殺ギルド『黒蛇ブラック・スネーク』。「最悪の終焉」が失脚し、猫にされたという噂を聞きつけ、白爪の首を獲って「444人リスト」に入ろうとしているアサシンの連中だ。


「おいおい、情けねえな! あの『白爪』が、今じゃエプロン姿で子守りかよ!」


「ガハハ! リーダーのルウはどこだ? 猫になったってのは本当か? 刺身にして食ってやるぜ!」


 リーダー格の男が、大剣を担いで孤児院の庭に踏み込んできた。

 ボーンやニヴェが、一瞬だけ鋭い「殺し屋の眼」を取り戻す。だが、彼らは動けない。アイリス姉さんとの「お約束」があるからだ。


「にゃ……!(こいつら、僕が相手だ……!)」


 僕はアイリス姉さんの膝から飛び降りようとした。たとえ足が短くても、心臓への点穴突きさえ決まれば、猫の爪でも……!


 だが。


「……騒がしいわね。子供たちが、お昼寝をしている時間なのに」


 僕よりも先に、一人の女性が前に出た。水色の髪を揺らし、花柄のエプロンをした、この世で最も無害に見えるはずの女性。

 刺客たちは鼻で笑った。


「ああん? なんだこの女、どけよ! 俺たちはルウを……」


 アイリス姉さんが、静かに目を開けた。


 ——瞬間、孤児院を囲む空間そのものが、ひび割れるような衝撃に襲われた。


「…………え?」


 刺客のリーダーの言葉が止まった。彼の視界には、目の前の女性が「巨大な赤い羅刹」に見えていた。

空は赤く染まり、地面からは無数の亡者の手が伸びて自分を引きずり込もうとしている——そんな

「魂の錯覚」が、彼らを支配する。


「誰の許可を得て、この聖域に土足で踏み込んでいるのかしら?」


 アイリス姉さんの一歩。

 そのたびに、刺客たちの防具が、魔法障壁が、そして「心」が、目に見えない圧力でミシミシと音を立てて崩壊していく。

 彼女は一発のパンチも、一条の魔術も放っていない。

 ただ、彼女の持つ「絶対的正義」の質量が、彼らの存在そのものを否定しているのだ。


「ひ、ひっ……あああああぁぁ!!」


「助けてくれ! 化け物だ! 444人リスト以外にあんなのがいるなんて情報屋ですら聞いてねえ……!」


 最強のはずの刺客たちは、失禁しながら門の外へと逃げ出した。ある者は精神が崩壊し、ある者は武器を捨てて山へと消えた。

「白爪」のメンバーですら、その背中を見送りながら、冷や汗を流して震えていた。


「……ルウくん。怖かったわね、もう大丈夫よ」


 アイリス姉さんは、何事もなかったかのように赤い瞳を戻し、僕を優しく抱き上げた。


「にゃ、にゃあ……(姉さん、一番怖いのは……間違いなく、あなただよ……)」


 僕は彼女の胸に顔を埋め、震える心を落ち着かせた。

 かつての僕は、「絶対に逆らってはいけない人リスト」の444人のうちの一人だった。

 けれど、今は知っている。

 その444人を一人残らず正座させ、おむつを替えさせ、猫に変えてしまう「真の頂点」が、この世には存在することを。


-----


 今日も街には、奇妙な噂が流れている。世間の評価は、最低の極みだ。かつての畏怖はどこにもない。

ライバルからは嘲笑され、裏社会の歴史からは「最も無様に敗北した天才」として記録されるだろう。

 けれど、夕暮れの孤児院。

 ボーンが子供たちに「高い高い」をせがまれて苦笑いし、ニヴェがかき氷の余りを分け与え、ガロが無言で鶏と心を通わせている、この静かな時間。


「ルウくん、夕飯にしましょうか。今日は特別に、美味しいお魚よ」


 アイリス姉さんに呼ばれ、僕は短い足でトコトコと廊下を歩く。


――ちりん、ちりん。


 首元の鈴が、誇らしく鳴る。

 最強の暗殺者、ルウ。

 僕の伝説は、あの日、愛くるしい効果音と共に終わった。けれど、こうして彼女の傍で、無力な猫として生きる毎日も、悪くないのかもしれない。いや、そう思わされていること自体が、彼女の最強の魔術なのだろうけれど。

 僕は彼女の足元に体を擦り寄せ、今日一番の、情けなくも幸せな声で鳴いた。


「にゃ~ん」


 それは、かつて世界を震え上がらせた「最悪の終焉」にとってのある意味では「最悪の終焉」でもあった。

ルウの戦闘力:1,000,000 → 1

ルウの威厳:1,000,000 →-1,000,000

ルウの社会的信用度:100→-1,000

愛くるしさ:100→1,000,000

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