一花の個人授業
人気動物たちは最後に見ることにして桜ヶ岡先輩と手を繋いだまま順路に従って奥へと進む。
「由真君、由真君。」
ゆっくりと動物を見ながら奥へと進んでいると桜ヶ岡先輩が手を放し少し先にいる『ある動物』の方を指さした。
その指の先を辿ると『カンガルー』がいた。
「へえ…カンガルーいるんだ、ここ。本物見るのは初めてかも…」
「そうなんですか?あー…だから…」
そこで桜ヶ岡先輩は何かに気付いたように声を上げた。
「だからって…何がですか?」
「この前の『サイレントジェスチャー』…覚えてます?」
「もちろん。」
あの時の桜ヶ岡先輩が熱演した『猫』の姿は今も脳内メモリーに保存されている。
あのエロい…じゃなかった。可愛い猫。
そういえば俺はカンガルーを演じたっけ…
だが、改めて実物を見るとやはり想像とは違うな…
思ったよりも動かない。
「由真君、この姿…ちゃんと観察してくださいね。演技を磨くためには想像だけでは限界があるんです。自分で経験して確かめたものほど真に迫ったものになるんです。」
「なるほど…」
確かに桜ヶ岡先輩の言う通りだ。
実際に自分が体験したものはそのときの想いが思い出され感情移入しやすい。
この前桜ヶ岡先輩とした『ロミオとジュリエット』がそうだった。
かなり昔のこととはいえその物語を実際に見てその物語の世界観や登場人物たちの想いを知った。だから感情移入しやすかったんだ。
演技は下手だし、台詞も棒読みだったけど…
「大丈夫です。」
カンガルーに目を向けたままの桜ヶ岡先輩に目を向ける。
「由真君はまだ入部したばかりなんですからこれから色々学んでいけばいいんです。それに初めてであんな演技が出来るんですから。」
「先輩……」
「演技をするために一番大事なことって何かわかりますか?」
一番大切なこと…?
「洞察力…はきはきとした声…いや、やっぱり演技力?」
「ふふっ…確かにそれも大事ですけど、それは練習していけば自然と身についていきますよ。」
「だったら一番大事なことってなんなんですか?」
「それはね…」
そう言いながら桜ヶ岡先輩は俺の顔を見て可憐にほほ笑んだ。
「恥を捨てることです。」
「恥を捨てる…ですか?」
「練習でも本番でも恥ずかしがって動かなかったら本来の実力が図れないんです。今の自分の実力が出せないじゃないですか。初めから伸びるための権利を放棄することになるじゃないですか。本気を出してないことに自分で気づかずに自分には実力がない、合ってないと…やめていってしまうんです。」
そう言う桜ヶ岡先輩の目はとても悲しそうで…でも桜ヶ岡先輩はすぐに元の笑顔に戻る。
なんでそんな悲しそうな顔をするんですか?
そんなことは決して聞けなくて…
「さあ、由真君。せっかく来たんですから他の動物も見て回りましょう。時間が無くなっちゃいますよ。」
桜ヶ岡先輩に促されるまま俺は何かが心に引っかかっるのを感じながらも歩みを進めた。