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再び廻る時計

 白ウサギはまたしても笑った気配を見せるが、その紅い瞳は何一つ笑っていない。

 動物には時として表情がある。だが、兎の姿をした紳士は、人参を小さくぽりと囓ると、何も表情がなく浮かぶ感情が何なのか理解できぬ表情だった。

 憎しみを超越した愛しさのような物がちらついているのが、頼には判った。

 琥珀が時折見せていた狂気の瞳だ、畏れから崇拝していた哀れな傀儡の。


「貴方がたは結局の所、私の息子に救われて、それでハッピーエンドなんですよ。私の息子がいない未来が何よりものハッピーエンドなんです。そんな……そんな現実、素直に認めたくないでしょう? たとえあの子が望んでいた形だとしても、私は納得しません。何せ、貴方達は何一つ口答えができない。あの子に救われて幸せである事実を否定できない。ねぇ、ヨダカ――貴方だったら、消滅を止められた。それをしなかったのは、貴方が疲れていたからでしょう? 忘れられる悲しみより、私の子の消滅を選んだのでしょう?」


 白ウサギは頼の苦痛を言い当てた。


「レプリカのお嬢さんは、あの子がいなかったら死んでいた、守る術すら判らず、理想を見失っていた」

 白ウサギはリカオンの苦痛を言い当てた。


「名無しの貴方は、弱者のままで甘んじて、狂い続けた。本当に大事な物を見失っていた」

 白ウサギは若葉の苦痛を言い当てた。


「シンデレラ、貴女は種類の違う寂しいお姫様になって泡となって消えていた。独りぼっちのままだった」

 白ウサギはシンの苦痛を言い当てた。


「私の息子が存在しなくても、全てどうにかできたと思いますか? ヨダカさん」

 白ウサギは、さてこれから何て言ってくれるのか、そんな愉しみ方をしているような気配を見せた。どう苦しんでくれるのか早く見せてくれ、言外に告げていた。


 頼は……視線をそらして、何も言えなかった。

 だが、身を分け合った片割れが、はっきりと口にする。


「頼、時計を貸してくれ、私がこれを食べる」

「それじゃロワの苦労が……」

「あの子のように、私があの子を取り戻してみせるのさ! 何十年、何百年かけても、私さえ生きていれば忘れない。私があの子への罪を抱く!」

「リカオン……」


 リカオンの決意に一同は驚く、白ウサギでさえじっと言葉を待つような仕草だった。

 黙って、ロワのようにリカオンの意志を聞こうとする、固まりかけの決意を。


「あの子を今度こそ私が助ける、そうすれば今度こそハッピーエンドだ! 証明して見せよう、絵本の作家よ。私こそがヨダカだと! レプリカなんて呼ばせない! もう一回絵本を開こう、いや、今度は私達が絵本を作るんだ。ロワのいる未来を!」


 リカオンは頼から時計を奪うと、そのままカトラリーを使って食べようとした。

 若葉は止めない。リカオンとロワの間に、深い絆が産まれているのを知っているから。

 シンも止めない。ロワという存在のお陰で、皆といられる幸せが生まれ、孤独を埋められたから。

 頼は――悩んでから、一緒に食べようと、ふとポケットを探る。フォークだけでも持っていた筈だと。

 鈴よりも美しい凛とした声が、辺りに響く。


「頼、貴方は駄目よ。貴方は既に時間から抜け出した。もう二度と時間に入るのは許されない。ロワとレプリカが変えた貴方の現在を変えるわけにはいかないわ。貴方は取引を無効にしたんだから、また同じ取引をさせる馬鹿はいないでしょう? 今回の貴方は、ただの人間。脇役ですらないわ」


 凛とした声を発した少女は、くまのぬいぐるみを抱きしめて微笑んだ。

 くまのぬいぐるみをそっと撫でて、少女は黒いワンピースをふんわりとさせた。


「時間と勝負したいのは誰?」

 まるで少女が時間そのものであって、挑戦者を捜しているような言葉だった。

 リカオンはカトラリーを使うのを止めて、少女に向かって一歩進む。


「私だ! 私が時間と勝負する!」

「苦しくても? 死ねないわよ?」

「何度星になったと思っている? 私はヨダカだ――代理でも、ヨダカの宿命を背負う行いをし続けてきた、今更何百年生きるのがなんだという!? 他の次元の私はできたんだ、今の私にできないわけがない!」

「威勢がいいわね、そういうの好きよ。じゃあ貴女に時間を旅行する権利をあげるわ。ただし、あたしの本当の名前が見つけられないなら〝何もなかった〟ようになるわ。ロワだけはアタシの真名を呼ぶのは禁止よ、あの子は知ってるから。ああそうそう、貴方には時間をあげる。命の場所はこれよ」

「命の場所?」

「時間をずっと持つという行為は、星であり続けた貴女のように、他の存在になってしまうもの。ヴェルダンディだったから貴女は永遠を手に入れた。ヴェルダンディにはもうなれないけれど、あたしと勝負するなら永遠になれる依り代を手に入れなきゃ。だからね、はい、プレゼント」


 少女はくまのぬいぐるみをリカオンに差し出す。


「このぬいぐるみが一メートル以上離れたら、貴女にとって酸素は毒になって死ぬから」


 受け取った、刹那四つの違和感達は倒れる。

 目が霞む、意識が今にも消えそうな程の頭痛、リカオンは意識途絶えるまでの一瞬、確かにライバルを認めた。


「新しい絵本を作りましょう、レプリカ。ロワが自分を取り戻したら、貴女達の友情を本物だって認めるわ。それじゃあリセットしましょうか、貴女達はゼロから始まるの。何が大事だったのか、どうして大事だったのか。命を助けられたから? それだけ? ――それだけなのかどうか、判断させてもらうわ」


 この世のどこかで幾つもの産声が聞こえる――ただ一つの真っ白い産声を見つけるために、四つの違和感は旅立った。

 旅立って役者のいない幕の中で二人、影が生まれて囁く。






「見ろよ、あいつ笑いを堪えるのに必死だったぜ。みんなが苦しんでる中、あいつだけ」

「そうね、ウルド」


 影の怒りを堪える呟きに、もう一つの影が頷いた。

 少しでも、ウルドと呼ばれた影の気持ちが静まって欲しいと望んで。

 ウルドと呼ばれた影は、絵本を開く――それは自分で全て作った手製による絵本。

 頼が持っていた絵本と違い、己で継ぎ足して書き上げたノートでできた絵本だ。

 絵本の文字をなぞり、ウルドと呼ばれた影は空を見上げた。


「……願いを叶える方法を考えなければ」

「貴方ならできるわ」

梨花りか、オレは……全て。全て手に入れてみせる、夢も家族も命も――その為には勝利が必要なんだ。勝利の名を持つ、ノルンになる呪いがかかったあの子兎が。爺さんはオレを利用した、……それならオレだって利用して骨の髄までしゃぶってやる」

 ウルドと呼ばれた影の形は、「頼」でいて、「頼」ではなかった……。

 戦死を背負うウルド、勝利を持つヴェルダンディ、戦う義務を持つスクルド――この神話の行方はどうなるのだろう。

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