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11話 ぼくらの未来

「うん。うん。わかった。そっちも、身体には気を付けてね。うん。また電話する。じゃあ」

 久々の両親との会話を終え、ぼくはスマートフォンをポケットにしまった。

 宣言した通り、ぼくは春から、ぼくのことを誰も知らない街に住んでいる。工場での仕事は中々慣れないし体力を使うけれど、中には一番年下のぼくを心配したり、気遣ってくれる人もいるから、居心地は悪くない。

 天気もいいし、少し外を散歩しようとアパートの部屋を出た。ついでに郵便ポストを確認する。チラシ入れを化しているポストになにも期待していなかったけれど、そこには珍しく葉書が入っていた。取り出して、思わず笑みが零れた。差出人の名前は、真白自由。裏面には細かいちぎり絵で、可愛らしい黒猫と、白い花が描かれている。この花には見覚えがある。彼女の好きな、シロツメクサという花だ。その下には近況や、暑くなる気候に準じて、ぼくの体調を心配する文章が、丁寧に綴られていた。

 ポケットに入れると折れてしまいそうだから、帰りに持って帰ろうと、ぼくは苦笑しながらそれをポストに戻した。

「心配性だなあ」

 呟いて、公園にでも行こうかと向きを変えて歩き出す。

 眩しい真っ青な空の真下、後ろから土を蹴る足音が微かに聞こえる。

「うわっ」

「心配ですよーだ」

 振り返ると、ぼくの背に飛びついた彼女が、いたずらっぽく笑っていた。

「今日、約束してたっけ」

 電車で数時間かかる距離だ。驚いて目を見開くぼくに、真白自由は首を横に振る。当然のようにそこにある髪飾りがリンと鳴る。

「びっくりさせようと思って。行き違いになるところだったね」

「びっくした」

「でしょ」

 時々、予想もつかない行動を取る彼女は、この青空のように眩しい笑顔で笑う。

 一緒に公園に向かうことにして、途中の自動販売機でジュースを買った。日曜日の公園は小さな子ども連れで溢れていて、ぼくらはそれを遠くに見ながらベンチに腰掛けた。

「久しぶりだねー。前会ったの、いつだったっけ」

 りんごジュースのプルトップを開けながら彼女が言う。

「五月の、終わりくらいじゃなかったかな」

「じゃあ、一ヶ月以上経ってるんだ」

 お互い何かと忙しく、ここしばらくは連絡はしても顔を合わせる機会は中々持てなかった。

「前は毎日会えてたから。何か、不思議な感じ」

「そうだね」

 ぼくも自分のジュースを喉に流しながら、五年間、ほぼ毎日彼女と顔を合わせていたことを思い出した。けれど奇妙なことに、あの頃より話をする時間は圧倒的に減っているのに、その距離はずっと縮まっているように感じる。

 今にも崩れてしまいそうな吊り橋を渡るように、ぼくは必死に彼女への言葉を選び、そのくせ近づきすぎないよう距離を測り、保つことに精いっぱいだった。けれど今は不思議と、あのころ固まっていた心のどこかが柔らかくなった気がする。心許なかった吊り橋は強く強く補強され、全力で駆け抜けることさえ可能にも思える。

「ねえ!」

 彼女が瞳をきらきらさせて、思い出した、とばかりにぼくの方を向いた。

「私、卒業式泣かなかったよ!」

 ぼくは少しの間、ぽかんとしてしまった。その時間が過ぎると、何だか急に可笑しさがこみあげてきて、思わず吹きだしてしまう。

 すると彼女は不満げな顔をして、「なんでー」と口を尖らせた。

「わかんない。なんか、おかしくってさ」

「えー。佑樹くんに笑われないように泣かなかったのにー」

「あはは。ごめん」

「笑いながらじゃ意味ないよ」

 彼女は不貞腐れていたけれど、ぼくを見ているうちに誘われたのか、ふふっと声を漏らしてくすくすと笑い始めた。

 ぼくらはジュースの缶を握ったまま、二人で笑った。中々それは収まらず、互いに疲れて深呼吸をするまで笑い合っていた。

「そういえば、そんなこと、言ってたね」

「そういえばじゃないよ、もう」

 えいえいと、不器用に肘でぼくの腕を小突く。その彼女の笑顔は、相変わらず向日葵のように明るく、それでいて華やかすぎず、見る者を安心させる。しかし、それも以前とは少し変わったような気がする。どこが、といわれればはっきりと説明はできないけど、そこに無理な力がこもっていないから、ぼくも素直に笑うことが出来る。

「佑樹くん、変わったね」

 そう言って、彼女は優しい瞳でぼくの目を見る。

「自由もね」

「そう?」

「うん」

「そっかあ」

 缶に両手を添えて、彼女は足をぶらつかせながら、どこか嬉しそうに言った。

「最近どう、順調?」

「うん」

「今年も暑いみたいだけど、大丈夫?」

「大丈夫だよ。自由こそ、順調なの」

「もちろん!」

 彼女は子どもっぽく胸を張ってみせる。

「このままだったら、志望校にはちゃんと手が届くって。もしかしたら、もう一ランク上を目指せるかもって」

「そっか。よかった」

 彼女の言葉に、ぼくは心からほっとした。予備校に通う彼女は、にっこり笑って「うん」と頷いた。

「佑樹くんは、やっぱり、大学行かないの」

「お金が貯まって、勉強ができたら、もしかしたら、ね」

「今度は私が、勉強教えてあげるよ」

 そういう彼女に笑いかけて、ぼくは缶に残ったジュースを飲み干した。今の生活に大きな不満があるわけでもない。未来のぼくがどちらを選ぶのかは、ぼく自身でさえまだわからない。

「佑樹くんがどんな道を選んでも、私は応援するよ」

 そう言ってくれる人がいるだけで、ぼくは十分だ。

「何かあったら、いつでも言ってね。約束だよ」

 そうして、手を差し伸べてくれる。

「そういうのは、男の台詞だよ」

 きょとんとする彼女の手を、ぼくは握りしめる。

「自由に辛いことや困ったことがあったら、ぼくはいつでも駆けつける。いつでも、絶対に」

 握る彼女の小さな手は、細く、柔らかく、温かい。

 自由がぼくを見上げる瞳が、潤んだように見えた。しかし涙は零れなかった。

 ぼくらは確かに隣にいる。渡っている橋が今にも崩れそうな脆い吊り橋でも、誰もが渡れる頑丈なものでも、手を離さずに、歩いていく。手を繋いで、生きていく。

「うん!」

 彼女がしっかり頷くと同時に、鈴の音が鳴った。晴れ渡った空の下、ぼくらを繋ぐように、どこまでも余韻を響かせて。

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