第五話
いつものように埃が舞う廃墟のホテルで、姉弟は行為に耽っていた。
姉がソファに腰かけて、右足を差し出す。虚ろな顔をした弟は跪き姉の足首を抑えて、その一点を凝視する。
少女の足の裏に、果物ナイフが埋没する。スグルは、自身が他動的な機械になっているかのように淡々とその行為を行うーー
少女を少しずつ、殺していく。
錆びつくことのセラミックの果物ナイフは、スグルの身体を拡張したかのように使い勝手がいい。
カナタはまるで、ゴムのおもちゃのようにされるがままになる。
ただそのおもちゃは水やタンパク質を含んだ複合的な多細胞生物で、足の裏から鮮血がとめどなく溢れる。
悲痛な声がホテル内に響く。
脳神経系でアドレナリンとエンドルフィンが分泌し、痛覚を麻痺しようとする。
それでも止めどない痛みがカナタの足の裏から全身を巡って、気が飛びそうになるのを必死に抑える。
感受性が豊かだったカナタならなおさらだ。
床に落ちて溜まった血の量が自分から出たモノとは思えない。
上質だったであるカーペットに、ぽとり、ぽとりと落ちる真っ赤な水滴を見ながら、これでいいんだ、とカナタはひとりで納得した。
これは自分が望んだ事で、こうしなければスグルはきっと他人を、自分たちとは無関係の誰かを傷つけていた。
ーーだからアタシのした事は正しいんだーー
幼い身体と心は、まだ弟をひとつの個体として意識する前の段階にいた。弟と、なにか管のようなもので繋がっているようなーー
事の始まりは2100年、ひとつの家族が、まだつかの間の幸福を享受していた時代だったーー
*
「カナタ、奥の棚に入っている灰色の深皿をとってくれるかな」
「わかった! とっ……」
カナタは幼い身体を伸ばして、身長よりうんと高い棚の中から皿を取り出そうとした。
だが、取り出すどころか、扉さえ開けることができない。カナタの身長だと、取っ手に届かないのだ。
「ん~! 駄目だぁ! 身長伸びたのにぃ!」
カナタはしょんぼりして、仕方がない……と、部屋の隅からスツールを持ってきた。
もちろん、母もスツールを使う前提でお願いしていたのだった。
「んしょ……とれたよ! お母さん!」
これを発明した人は凄い! そうカナタは思った。いくらカナタが小さくても、これを使えば、この家にある高い棚に置いてあるものの大半は取ることが出来る。
「カナタ、いつもありがとうね。お母さん助かっちゃうよ」
「えへへ」
母は病弱そうな顔色で、微笑みをを浮かべて、それに釣られてカナタも笑った。
それでもいつかは、自分の身体だけで届くようになりたい。自分で何でも出来るようになりたい。病気がちな母を楽にしてあげたい。いつか、母と同じくらい料理が作れるようになって、それを食べた家族みんなが笑顔になって欲しい。
そんな未来を思い浮かべていると、カナタの背中の服の裾が、控えめな力で何度か引っ張られた。
振り返ると、カナタよりも背丈が小さくて幼い風貌の少年が立っていた。
「おねえちゃん。おねえちゃん」
弟のスグルだった。
スグルは姉が振り向いてからも、まだ裾を引っ張って離そうとしない。
構って欲しい、というわけではなさそうだ。スグルは感情に乏しい子供で、自分から自発的に行動を起こしたりするのが苦手だった。
寂しくても、姉に意思表示することは殆ど無くて、こういった事は珍しかった。
「だーめ。服がのびちゃうでしょ。一体どうしたの?」
「おねえちゃん。フィーが動かなくなっちゃったよ」
フィーとは、九鬼家が自宅内で飼っているalEのペット事だ。カナタの10歳の誕生日に家にやってきてから、ずっと大事にしてきた。もはや家族の一員で、カナタはフィーの事が大好きだった。
alEーーanimal interface Elementsは動物型のインターフェースだ。九鬼家のように母親が動物アレルギーを持っていたり、家を日中空けたりすることが多い家族にとって、alEは本物のペットの代替品となる。
特に九鬼家は、父親が飛行機パイロットで、留守にすることが多い家だ。大きな犬は番犬に向いているし、aIEであれば、娘が万が一犬にかまれたりすることもないと考えたのだった。フィーは大型のゴールデンレトリーバーを模して作ってある。クリーム色の典型的なゴールデンレトリーバーのカタチをしたこのaLEは、本物のように人懐っこくて、忠誠心が高い。
動かなくなったということは壊れてしまったのかな……大丈夫かな……とカナタは不安に煽られる。
この少女にとって、自分より大きな身体の犬型aLEが本物だろうが偽者だろうがあまり関係の無いことだった。
「カナタ、手伝いはいいから、スグルとフィーをみてやってくれる?」
話を聞いていた母が、カナタにそう言った。
「……わかった。いこうスグル」
「うん。こっち」
カナタとスグルは、二人の相部屋へと向かいべく階段を上っていった。
*
「なにこれ……」
兄妹の部屋には、陰惨な光景が広がっていた。
毛のようなものとシリコンのようなものがまき散らされている。
それだけでは部屋中で散らばったものが何なのか、一瞬ではカナタはわからなかった。
部屋の中央で、顔だけになってもまだ輝きを失っていない瞳と目が合ってしまった事で、この惨状を理解した。
「……これ……フィーなの?」
それは、かつてフィーだったものの顔だった。
フィーは、バラバラになっていた。散らばっていたのはポリエステルの人工毛と、シリコンベースの人工皮膚だった。
露わになった鈍色のパーツからは生命の息吹を感じない。
これは故障しているどころの話では無い。
フィーは、何者かによって解体されていた
少女の目頭が熱くなる。二年間の思い出が走馬燈のように頭の中で再生される。初めて出会った日の事。最近は毎日引きずられながらも散歩に連れて行けるようになったばかりだったのだ。それなのにーー大好きだったのにーーなんでこんな事にーー
「どうしよう……フィーが死んじゃった……」
そして、親犬を失った子犬のようにカナタは声を上げて泣いた。涙は止めどなく溢れて、身体の中の水分が失われていく。
ぬくもりを感じたくて、カナタは血を分けた弟を強く抱きしめる。スグルは、なんで自分が抱きしめられたのかわからなくて、驚きで目を見開いて、聞いた。
「おねえちゃん……痛いよう。それに、なんで泣いているの」
弟はまだ幼すぎて、フィーがどうなってしまったのか理解できないのかもしれない、そうカナタは考えた。
「うう……あっあのね……フィーは……死んじゃったんだよ」
機械だから修理出来る、そんな発想は気が動転しているカナタには到底思い浮かばない。
「おねえちゃん、フィーが死んじゃったから、泣いているの? なんで?」
カナタの腕の中に収まったスグルがそう聞いた。
「だってぇ……うう……こんなの酷いよ……フィーがバラバラなんだよ? いったい誰がこんなことを……」
フィーを壊した犯人を捕まえて問い詰めたい気持ちに駆られるが、なによりもカナタは悲しみで涙が止まらない。
スグルが小さな声で、わかんない、わかんない、と呟く。
「おねえちゃん、ぼく、わかんないよ……ぼくは、フィーと遊んでただけなのに……」
そう。スグルはここで散らばった、元は動物型ペットだったはずのものと遊んでいたはずだ。スグルが何か知っているかもしれない、カナタはそう思って聞いた。
「……ぐすん……誰かが入ってきたりしなかった?」
「きてないよ……ぼくはフィーと遊んでただけなんだ」
フィーと遊んでいたーー
「そしたらフィーが動かなくなっちゃっただけだよ」
スグルが何を言っているのか、カナタはわからなかった。
カナタはスグルの事をまだ抱きしめていた。自分の膝の辺りに固い、金属的なものが当たったような気がした。
カナタの膝のあたりは、ちょうどスグルのパンツのポケットの辺りだった。何も言わずにスグルのポケットをまさぐる。
金属の正体は小さめのドライバー、ペンチ、レンチだった。
どうしてこんなものがスグルのポケットの中に入っているのだろう。
どう考えても、悪意しか感じないこの惨状、誰も部屋にやってきていなくて、スグルの持っていた工具たちーー
そんな馬鹿な、スグルがそんなこと出来るわけない。スグルはおとなしくて優しい、アタシの弟なんだからーー
カナタはふと考えてしまった答えを心にしまい込もうとする。
そんなはずない。まさかスグルがこれをやっただなんて。
だがカナタの視線や振る舞いは、懐疑心を隠せていなかった。
言葉には出さなくとも、カナタの考えはスグルに伝わってしまっていた。姉と弟は、限りなくひとつの個体に近い存在だった。
「ちがう……ちがうよ……おねえちゃん。ぼくね、フィーと遊んでて、フィーが身体をかゆそうにしてたから、すこしこれでかいてあげようと思っただけなんだよ」
かいてあげようーーそれが何故こんなことになったのか、カナタはスグルの事を理解できなかった。
いつの間にか、カナタの涙は止まっていた。
「信じられない……スグルが……これを……」
大好きだったフィー。鉄くずになってしまったフィー。
「おねえちゃん……聞いてよ……ちがうんだーー」
弟の声は、気の動転した姉にはもはや届かない。
弟には、ヒトとは違う、”ナニカ”があるーー
カナタに、そんな不安がよぎる。
この事を家族には伝えない方が良い、そんな気がした。
こんな風になってしまったフィーを見られてはいけないーーそう思った。
ーーキッチンから大きなゴミ袋を持ってきて、フィーだったものをその中に入れようーーそして押し入れの奥に、母親もめったに掃除しないような奥にフィーの身体を隠そうーー後で、こっそりとどこかに捨てに行こう。だから今日のことは何も無かった事にしよう。フィーの事は悲しいけど家出した事にしようーーそうじゃないとーー
スグルがどこか遠い場所へに行ってしまう、そんな気がした。
大人ならいつかはわかってしまうような嘘だった事は、カナタにもわかっている
それでも、どうしてもスグルを責める気にはならなかった。スグルがなんでこんなことをしたのか。どうやって解体なんて真似をしたのか。その本当の意味がわからないと、大好きな弟を苦しめる事になる気がした。
「おねえちゃん……ごめんなさい……ごめんなさい……」
懐疑を向けられた少年は、自分がしてしまったことの重大さをはっきりと理解しないまま、姉へ謝っていた。
だから、もう一度、離してしまった小さな身体を抱きしめる。もう、二度と離さないように、強く。
「大丈夫……大丈夫だから……」
カナタはスグルを守りたかった。
遠くない未来、スグルに向けられるかもしれない敵意、悪意から守りたい。家族を守りたい。
それが、まだ小さな少女に不釣り合いな、生きる意味となっていた。
*
結局、犬型alE、フィーの破損した身体が家族にみつかることは無かった。
だが、あの日を境に、何故か家族の歯車は次第にかみ合わなくなっていった。少しづつ、家族全員で過ごす時間は減っていった。
飛行機のパイロットである父は元々留守が多かったし、母親も病院通いが続き、あまり家事が出来なくなっていった。
それでも今まで家族の仲が良好だったのは、ひとえにカナタのおかげだった。
カナタは今まで、周囲をいつも気にして、雰囲気を察し、家族の誰にも反発しないで平等に愛嬌を振りまいていた。
家族の潤滑油のような役割をしていたのは、間違いなくカナタだった。
そのカナタが、この事件をきっかけにスグルにべったりになって、出来るだけスグルと一緒にいるようになった。
それは、周囲からみると異様なまでの執着に見えた。
カナタはそれだけ不安だったのだ。
スグルがなんでフィーを壊すことが出来たのか、そんな事をしたのか、それは未だにわからないままだ。
スグルがもう同じような事をしないようにーーそう考え、学年は違ったが、休み時間はなるべく二人でいたし、それ以外の時間の殆ど二人で過ごした。
スグルにとっても、そんな毎日が当たり前だったし、姉がいつでも側にいてくれるのは嬉しい事だった。
そうして、犬型alEのフィーの事は家族間で忘れ去られ、これといった事件も起きないまま三年が経とうとしていたーー
*
廃墟のホテルのロビーで、カナタは一人、天井を見上げていた。
「なんか、このまま天井に吸い込まれて、消えて無くなっちゃいたいな……」
このホテルは、カナタが人通りの少ない道を求めて空港の郊外を歩いていて、偶然見つけたモノだった。
中のロビーは、夏の熱い日差しが遮られていて、涼しかったし、誰も立ち入ってこないところが気に入った。
やたらと高くてシミだらけの天井をじっと見ていると、平衡感覚がなくなりそうになる。
いつからか、こうやって上を見上げることが多くなった。
生きている実感が、毎日少しずつ稀薄になっていく。やりたいこともなく、勉強は出来ないし、何の取り柄も無いーーカナタは自分の事をそう思っていた。
「ーー家族を守りたかっただけなのに、なんでこんな事になっちゃったんだろ」
もはや、家族の関係は最悪だった。
母親はついに入院した。元々病弱なのに加えて、精神的なストレスによって負荷がかかったらしい。父親が殆ど家に帰らなくなり、病院と自宅を往復する変わらない毎日に疲れてしまったのかもしれない。
父親は、もはやいないに等しかった。元来生真面目で、仕事以外の事に興味が無かったはずだ。しかし飛行機のパイロットは二十世紀のように憧れの仕事ではなく、ただ過酷なだけーーそれはトラックの運転手のようなものだった。カナタが久しぶりに会った父からは甘い香水のような匂いがした。カナタはそれ以上は父の事を考えないようにした。
家には、必然的にカナタとスグルしかいなくなっていた。
幸い、カナタは家事ができたし、父親は最低限の賃金は稼いでいたので生活に困ることは無かった。
「初経もこないしなぁ……」
周囲の友人たちはどんどん大人になっていくのに、自分だけが子供のまま、取り残されている。カナタはそう感じていた。
三年前見た、ペットのフィーのバラバラの身体ーーあの光景は、未だに鮮烈なビジョンとしてカナタの記憶の片隅に貼り付いていた。だが、当時はあんなに悲しかったのに、今のカナタにとって、あの光景が何の意味をなしているのか、わからなくなっていた。スグルがなんであんな事をしたのかもわからずじまいのまま、長い時間が経っていた。
「おねえちゃん……」
いつのまにか、カナタの隣にはトイレから戻ってきたスグルが座っていた。小等部には制服はない。パステルブルーのポロシャツはカナタが洋服屋で選んだものだった。
「わわ! スグルいつからそこにいた?」
「うーーん。わかんない」
「……聞いてた?」
スグルは何のことだかわからない……といった様子で首を傾げた。
あまりヒトの話を聞かない子だったし、そもそも初経の意味はわからないだろう。
変わらない、ずっと前からこんな調子で、大人しくて、気が弱くてーー。
そんな弟の姿に、姉は胸をなで下ろした。
カナタにとって、スグルが居る事だけが救いだった。稀薄になっていく現実感の中で、スグルと過ごす日々ーー御飯を作ってあげたり、二人で何もしないでぼんやりと過ごしたりする毎日はありふれたものだったが、それこそがカナタの求めたモノだった。
それは、いわゆる幸福な家族のカタチをしていなかったかもしれない。父母はカナタたちの事を忘れてしまったかのように、無関心だ。
それでもいつかは、家族がまた手を取り合って生きていける日が来たら良いのに、そんな事をカナタは考えていた。
「おねえちゃん、何を考えているの?」
それはスグルの口癖で、姉の心や体がどういう仕組みで出来ているか、よく知りたがった。
「ふふ……なんだと思う?」カナタは微笑む。
「わかんないよ」
「アタシの考えていることが、全部スグルにもわかっちゃえばいいのにね」
「僕も、そう思うよ。あ、そうだ」
その時、スグルはカナタを見ていたのだろうか。スグルのほの暗い瞳には、何も写っていないように見えた。
「おねえちゃん、ここのキッチンにね、こんなものが落ちてたよ」
弟はデニムパンツのポケットから、鋭利なモノを取り出した。
セラミックナイフだ。いつまでも錆び付かない素材の、切れ味のいいナイフ。柄の部分は柔らかな白っぽいオレンジ色で、スグルの肌色と調和している。
カナタは嫌な予感がした。
あの日ーースグルがフィーを解体ーーいやあれは解剖といった方が正しいかもしれないーー以来、こういった刃物などの類は、スグルの手の届かない場所に置くようにしていたのだった。
スグルへの信頼と恐怖がごちゃ混ぜになって、カナタは額から嫌な汗をかいた。
「これで、おねえちゃんのこと、わかるかな?」
スグルの瞳孔がやけに開いている。いつもと、ナニカが違うーー
「なに……言っているの……?」
わからない。スグルが何を言おうとしているのか、カナタにはわからない。
この子は、この研ぎ澄まされた小さい得物を使って、アタシに一体なにをーー
スグルが近づいてくる。ゆっくりと、刃物を持ったまま。
「おねえちゃんは、しりたくないの……? 僕は知りたいよ。」
「スグル……やめて……」
原始的な快楽と知的欲求がスグルの頭の中でミキサーをかけたようになめらかに調和している。この状態のスグルにはには倫理観というものがまるでない。
フィーの次は、自分の番だったのだ。こうやってフィーが解剖されたように、今度は自分が解剖されるーー
カナタは、恐怖の中で、悟った。
きっとこの子は、知りたいだけなのだ。心や体が何故こんなカタチをしているか。肉の裏側に心があるのかをーーそれを知ることがスグルにとって一番大切で、それ以外は、社会の倫理観やしがらみはどうでもいいことだったのだ。
ーーそんなスグルにとって、カナタはどういう存在なのだろう。どんな風に写っているのだろ。
カナタは、身の危機が迫っているというのにそんな事を考えていた。
刃物が向けられて、少しずづこちらに近づいてくるスグルは、これからやろうとしていることに囚われている。これは極めて理性的な行動だ。少年は狂っているわけではない。
ただ求めているのだ。ヒトの身体のかたち。、純朴な子供がなんでも「なぜ?」と聞きたがるのと、今から行われる行為はさほど変わりが無い。
カナタの服の中、皮膚の裏側のビジョンが、スグルの頭の中を支配する。
スグルのナイフを持っていない方の腕が、カナタの首筋を通り過ぎた。ソファに手をついたのだ。
あと少しで、刃物がカナタの身体へと到達する。カナタが後ろに後ずさりしようとするが、ソファに座っていたので無理だった。年代物のそふぁからギシ……と悲鳴がした。
ふとカナタは、自分がいなくなった未来を考えたーー身の危機を感じたカナタの五感は鋭くなり、時間がゆっくりと流れているような錯覚に陥る。
灰色の部屋だった。必要最低限のものしか置かれていない簡素な部屋。
そこで、たった一人の、血をわけた弟は、誰かの血に濡れた身体で、一人ぽつんとたたずんでいた。よくみると、元は何かのカタチをしていた塊がいろんな場所に散らばっている。
カナタの身長をひとまわりも超えたスグルが、誰にも理解されることのないまま、いつかはその異常なまでの解体欲、殺人欲を見も知らないヒトに振るう。そんな未来を幻視したーー
どうすれば、スグルをつなぎ止める事が出来るのだろうーー刃物が自身に向けられていて、この身体に入り込むまでのほんのわずかな時間、少女は必死に考えた。
「待って! スグル」
自分が死ぬのは、いい。
生きがいなんて無かった。ただ友人や教師、大人、そして両親に笑顔を振りまくのも疲れてしまった。明るい元気で、誰とでも仲良く出来る自分ーーそんなパブリックイメージはもうこりごりだった。家族に笑顔でいてほしかっただけなのに、結局自分が何もかものバランスを崩してしまったような気もしていた。
ーーでも、不安だった。自分がいなくなった未来で、弟がたったひとり、社会に断罪されるその日まで生きていく。そんな最悪の結末を想像してしまったからーー
だから、家族が、スグルが、一日でも長く幸福に生きるためーーカナタは決断する。
スグルの、もはや少女を肉としか見ていないような瞳を、カナタはじっと見つめた。絶対に目をそらしちゃ駄目だと、カナタは思った。
そして、ゆっくりと伝える。
「お願い。アタシを、すぐには壊さないで」
スグルの刃物が、カナタの額で止まった。なにをいっているの? これからおねえちゃんはしりたくないの? おねえちゃんのカラダをーー
スグルの瞳は雄弁にそう語った。
「少しずつ、見えないところから、背中とか、足の裏とか」
セラミックナイフを優しく両手で包み込む。
「少しずつだったら、壊して良いから。ね?」
スグルは、姉の言っていることの真意が理解できなかった。
「……本当?」
それでもスグルが従順であることに変わりなかった。しばしの沈黙の後、うなずいた。ナイフを握る手に力が無くなった。
カナタはそれを奪うことも出来ただろう、でもそうはしなかった。スグルにそのナイフを返した。
「いつか、アタシのすべての中を見せてあげる」
これで、アタシは、少しだけ生き延びる事が出来るーー
「うん。約束ね」
「ん……約束、する」
姉弟は指切りをした。
ーーもしアタシが嘘をついて針千本飲まなくても、どっちにしても死んじゃうなぁーーそんな事をカナタは思ったのだった。
*
それからの日々はあっと言う間に過ぎていった。
ーーおねえちゃん、凄いよ。これ、綺麗に身体に入っていく。ヒトの身体って凄い。みて。みてーー
そうやって、スグルは姉の言いつけを守り、一週間に一度だけ、姉の身体を傷つけた。なるべく、他のヒトから気付かれないような部位から、少しずつーー
カナタは徐々に傷だらけになって、スカート、半袖などが着られない程傷ついていた。
こんなのは時間稼ぎでしかない。ひょっとしたら、刃物を突きつけられたショックで即死するかもしれない。
どちらにせよ、自分は死ぬ。いつかはわからないが、もう長くは持たない事は自分がよくわかっていた。
それでも希望は捨てていなかった。カナタは、その後の短い人生を、その為だけに費やしたのだったーー