第六話
スグルはいつの間にか、意識を失っていた。
見慣れたシミだらけの天井が見えるーースグルはソファの上にいた。
気が動転して、自分の身に何が起こったのか、理解できない。
スグルは、立ち上がって感覚強化機器を外した。
そして、今まで忘れていた事を思い出していた。
「ーーーー」
髪をぐしゃぐしゃに掻きながらスグルは絶叫した。感覚強化機器を足で粉々にする。
この機器に、叔父が記憶を阻害する細工をしていた事は間違いなかった。
悲痛な叫び声は獣のようで、その咆哮が静謐なロビーの中でこだまする。
失っていた記憶が色彩を帯びて、スグルの頭の中を支配する。
ーー僕は、姉さんをーー
「……殺してしまったんだ。僕が、姉さんをーー」
厳密に言えば、スグルがカナタの身体を傷つけた事による免疫低下。それによるウイルス性疾患が姉の死因だ。
だが、スグルにとってはそんなことは些末な事に過ぎない。自分は姉を間違いなく解体しようとーーいや殺そうとしていた。
何よりスグル自身の右手が、その殺人を肯定している。
お前は癌だ。九鬼家の腫瘍だーー
ヒトですらないーー
実の父親から言われた言葉や、母親の恐怖しか読み取れない瞳を思い出す。
そして、なにより、涙をためて精一杯痛みを堪えている姉の顔を。傷ついた身体をーー
最初のうちは、身体を傷つける行為は廃虚のホテルでのみ行われていた。だが、何度か姉の身体を傷つけていくうちに、どうしようなく抑えきれなくなって、スグルは家のリビングで姉の足首を切ろうとした。そして、たまたま帰ってきた父親に、その行為を見られたのだった。
叫び声は止まない。自分の声帯から出ているとは思えない化け物じみた太くて大きい音。身体がそのままバラバラになってしまう程、哀切な叫び。
なんで忘れていたんだーーそう自分を苛む。
脳の中でようやく整理整頓された記憶。それは父母が、カナタとスグルの事が原因で離婚するという、当然の帰結。そしてスグルはその後、精神病院に強制的に入院させられていた事。
孤児施設だと思っていた場所ーーそれは実際のところ、くすんだ白い壁の精神病院だったのだ。姉を直接殺さなかった事、そして父母の最低限の配慮で、スグルがカナタがしたことを公表はしなかった事がこうじて、スグルは少年院には行かなかった。
彼の脳にどんな異常があるのか、医師たちは知りたがった。殺人欲を抱くサイコパスのひとりだと、そう認定されたのだ。
スクリーニングをひたすらされた。人体実験されているような、そんな気分を味わった。
その後、叔父が現れスグルを引き取り、以前のように学校に通えるようになった。裏事業に通じている、叔父のはからいで、スグルの過去はいつの間にかもみ消されていた。
少女の亡霊が、こちらを見ていた。
スグルがかつて、バラバラにしようとしたの少女ーーそのカタチをしたhIE、フィーが、今にも泣きそうな顔をして、スグルの頬を触れようとしてくる。
「スグル……」
「触らないでっ……!」
「きゃっ!」
差し伸べられた手を、近づいてきた身体を、強引に押しのけた。まだ彼女と出会ってから、二週間程度しか経っていないのに、何度も払いのけたかわからない、スグルより小さなその身体は、衝撃でそのまま後ろへと倒れる。フィーは尻餅をつくような体制になり、デニムスカートがずり上がり、太ももが露わになる。
健康的で、ほどよく肉のついた二本の肌色の塊。ソレが目に入ってしまったスグルは、誰かに脳内のスイッチが押されたかのように、自動的に身体が前のめりになる。体内の血液がすべて脳に集まっているようなーーそんな感覚。
理性をどこかに置き忘れたかのように身体の抑制が利かず、屍のように少女に向かって歩く。身体中が焼け切れてしまうほど、熱を持っているのがわかる
これから自分がしでかそうとしていること、右手が望んでいること。
ーーその先にある未来を幻視する。
太ももの敏捷な人工筋肉や、粘液がぽたぽた落ちそうなくらいこびり付いている骨や、美しくも醜く剥かれた皮膚。バラバラになった人肉が、なにかの屋台のバーゲンセールのように並んでいる。慈しむように作業をしているのは、スグル以外の何者でもない。
そのまま解剖を続ければ、ヒトの臓器にも移植可能だろう五臓六腑ーー汚れをしらないピンク色をした肺や、原始生物のような腸。魂のない心臓がステンドグラスから差し込む太陽の光の下に、さらされることになるだろう。
綺麗だと思った。
その光景を、ずっと眺めていたいと、そう思った。
スグルは、思ってしまっていた。
完璧に、自分を理解した。
ーーああ、これが僕のーー僕の望んだものーー空っぽの僕の肉体に血を、注がなければ、これは輸血のような行為だ。僕の機械的な身体を満たされる為には、その肉塊になったものをこのホテル中に並べなければいけないーーそれで、幻も消えるし、僕は一瞬だけ幸福になれる。そうやって、これからも何度も同じ行為を繰り返していけばーー誰でもいい、それがクラスメイトでも、先生でもhIEでもーーその行為と結果が、僕の生きるおかしいになるーー
「……叔父さんの……言うとおりだ……僕の方がよっぽど狂っている……はは……」
笑った。あまりにも壊れてた自分に。気が狂ったように笑った。笑うしかなかった。幼い頃の自分が幾度か繰り返したその行為、その感触はどうやっても消えない。
きっと、一生。
だから、解決策はひとつしかない。誰にも迷惑がかからないやり方がひとつだけあった。
肉はそぎ落とされ骨ばかりで、中身を見ても面白みに欠けるだろう左手の甲をスグルは見た。
セラミックナイフは、無意識のうちに右手で握っていた。
そして、何の躊躇もなく、手の甲に力一杯その刃物を突き刺したーー
肉の中に金属が入っていく。おびただしい血液が流れる。その液体を見ていると、身体が更に熱病にうなされているかのように熱くなる。
にもかかわらずーー
「あ……れ?」
何故か痛みがない。
確かにナイフは直角に突き刺さっている、角度を変えると骨のような固い部位に当たる。
骨の軋みを、身体で感じることが出来ない。
わけがわからなくて、ナイフを何度も抜き差しする。無造作に皮膚が切り刻まれる。既に手は血まみれになっている。
まさか今日の出来事がすべて冗談だったのかーーそんな妄想に駆られる。いや、いっそのこと、幼い頃からの思い出がすべて幻であればいいと、スグルは思った。
ここに今、存在しているのは姉で、帰ったら家族が待っている。お母さんが料理を作っていて、お父さんは休暇をとって家で大きな犬と遊んでいる。
そんな平凡な、幸福な場所がもしあるとすれば、帰りたいと、そうスグルは願った。
目の前に笑顔があった。
以前出会ったときのように、もういちどスグルはその笑顔を"ヒト"だと、そう認識した。
少女の右手は、スグルのすぐ側にあった。真っ赤に染まった手。ゴツゴツとしたスグルの手とは違う、誰かを抱き寄せるためだけに作られたかのような手から、おびただしい血液が流れている。
「……よかった……スグルが怪我をしないで……ううっ……痛い……」
フィーはスグルをかばって、瞬時にスグルに自分の手を重ねていたのだった。
「あ……あっ……そんな……姉さん……」
自分がしでかした事をスグルは瞬時に理解した。理性が徐々に回復する。
スグルは泣いた。ただ涙は流れた。これは、悲しみの涙ではない。
恐怖だったーー
自分も、姉も、このhIEも、なにもかもが怖かった。失うのが怖かった。だから泣くしかなかった。
「大丈夫……大丈夫だから……」
姉のカタチをしたものは、無理矢理笑みをつくる。これがスグルの為に作られた機械だとするのなら、痛覚に対してこういった振る舞いをするようにプログラムされているだけーーそんな事はスグルもわかっている。だがーー
「見ないでーー」
涙混じりに懇願した。フィーの手にナイフが刺さったまま、手を離して後ずさる。
「姉さんの顔で……そんな顔でこっちを見ないで……頼むよ……」
精一杯の拒絶の言葉が、か細い声で漏れる。その間もフィーの手からは血が流れる。
「壊れそうだよ……」
「……壊れない、よ……」さらにか細い声でフィーが言った
「壊れないよ……スグルは壊れない。それからーー」
フィーは、ナイフを自身の手から引き抜く。血はかえって流れるが、もう痛みを感じている様子はない。それでもフィーはスグルを抱きしめる。今まで何度もそうしてきたように、ぎゅっと。
血なまぐさい、生き物の匂いがするーー
「アタシも壊れないんだよ……だってアタシはhIEーーインターフェースなんだから、ね?」
今すぐこのぬくもりから、離れたいのにーーこんな匂いを嗅いでいたらまた、自分の中で怪物が目覚めそうでーーだだをこねる子供のように少女の身体を突き放そうとする。
「嘘だっ! 離して! 離してよ! なんで……フィーも……姉さんも、そんなに優しいんだよ! 怖いよ! こんなのヒトとして間違っているのはわかりきっているのに……おかしいよっ……!」
しかし、その繊細な両腕はヒトではない。とんでもなく強く、抱きしめられていて、解かれることは無かった。スグルは意気消沈して、言った。
「もう、誰かを自分の都合で、傷つけたくないよ……」
フィーは首を横にふる。ちがう、ちがうよ、と。フィーの長い艶やかな髪と、スグルの黒髪が耳元で絡み合う。
「ーースグルは、もう誰も傷つけないよ。……その為に、アタシがいる。アタシは、その為だけに、作られた、hIEなんだからーー」
その言葉、スグルは瞬時には理解出来ない。
「なに……言ってるの? どういうこと……なの?」
フィーは、いつもの快活な様子とはまるで違う、改まった口調で、語りだした。
「ーーーー」
それは少女の、弟に宛てたメッセージだった。
*
スグル、久しぶりだね。
多分、このメッセージを聞いているということは、アタシはこの世にはいないのかなぁ。こんなカタチでしか、本当の気持ちを伝えられなくて、ごめんなさい。
アタシは、ずっとスグルが怖かった。
ペットのフィーが壊された日の事が、アタシの心の中でずっと残り続けていた。叔父さんがね、言ってたの。スグルの心は先天的に、殺人欲求を持っているんだって。それは、スグルにとって御飯を食べるのと同じくらい当たり前の事なんだ、って。
怖いと思ったよ。だって、スグルがパパとかママをフィーみたいに殺してしまったらどうしようって、ずっと思っていたから。でもねーー
でも同時に、なによりも大事だった。大好きだったの。アタシのまだ鮮明に覚えている一番最初の記憶は、スグルが産まれた時のものなんだぁ。凄いちっちゃくて、可愛くて、ああ、この子がアタシの弟なんだって、アタシがお姉ちゃんだから、守ってあげなきゃって、そう思ったのをはっきりと覚えてるよ。
スグルはほんと小さい頃から大人しくて、アタシが一緒に居てあげないと、一人でずっと同じ場所に立ってたりしてた。だから、大丈夫かな、不安だなーーっていっつも心配だったよ。でもアタシはそんなスグルと一緒に居ることが幸せだった。いつまでだって一緒にいたかった。
そして、アタシは、スグルに少しでも幸福に生きて欲しかった。
でも、きっとね。ヒトってそんな簡単に変われない。だから、スグルは、この先も、その欲求を、他のヒトとは少しだけ違った欲求を持ち続けながら、生きていかなきゃいけない。
スグルの幸福が、アタシの身体を壊すことで見つけ出せるなら、アタシはそれでいい。でも、社会はそんなスグルを、きっと放っておかないと思う。きっとつらい目にあう。心も体も、痛い目にあう。
アタシは、そんなの嫌。
アタシ、自分の未来なんて、どうでもいいんだぁ。ずっと、自分がなんなのかわかんなくて、このまま消えちゃいたいって思っていたし。
それでも、家族には、せめてスグルにだけは幸せに生きて欲しかった。
だから、アタシは、叔父さんに頼んで、アタシの身代わりを作ってもらったの。いっぱい無茶を言ったよ。なるべくそっくりに、あと身体の質感も近い感じにしてほしいとか。難しい事はわかんなかったけど。叔父さんは、アタシに興味を持ってくれて、無償でやってくれるって言ってた。代金を返済してくれ……なんて事になってなければいいんだけど。
これを聞いている? んーーと、読んでいるということは、きっとアタシそぉーーくりのhIEが喋ってるっとことなのかなぁ。それってアタシとそっくりのはずなんだよね。
自分の分身がいる感じなんだろうなぁ。でもhIEだから、アタシよりちょっと可愛く作ってあったりして、ね。そしたら、お姉ちゃん少しだけ嫉妬しちゃうかも。
えっと、だから、きっとこの先もつらいかもしれない。スグルは変われない。
それでも、希望は捨てないで欲しいーー
きっと一瞬でもいいんだと思う。スグルが一瞬でも、今までのしがらみなんかぜーーんぶ忘れて、幸せになれる瞬間があれば、凄い嬉しい。アタシはそれだけで、最後まで、頑張れる。
出来るだけ、長生きして、いろんなモノを見て、世界を知ってください。
そのために、今、スグルの目の前にいるhIEをどうか、役立てて下さい。
これは、アタシが、スグルにかける呪いだよーー
*
「……これで手紙は終わり、だよ。アタシの設計基盤のカナタちゃんからでした。うう……いっぱい喋ったら益々血が無くなってきた……」
「なんで……そんな……」
スグルは、姉が必死に守ろうとしていたものーー
それは、こんなにもーー優しかった。思えば、今までスグルはカナタの気持ちを考えたことが一度でもあったのだろうか。もし仮にあったとしても、何を考えているのかは全く検討もつかなかった。
両手を見た。
フィーの返り血を浴びて、真っ赤に染まった手。涙はまだ流れていた。その滴が掌にぽとり、と落ちて、血と混じりあう。確か夢の中でも、こんな光景を見た事があった。
血と涙は完璧には混じり合わない。
それを見ていたら、過去は消えないし、罪は消えないんだと、スグルはそんな事を思った。自分の欲求ーーきっとそれは、死ぬまでずっと向き合っていかなければいかないものなのだと、はっきりとわかった。
「何だって出来るよ、スグル」
フィーはいつの間にか、スグルから離れていた。
何だって出来るーースグルには、どんな可能性があるのだろうか。どんな未来があるのだろうか。姉にとって未来とは、今現在のことなのかもしれないと、スグルは感じた。姉が永遠に知ることの無い未来を、スグルは生きている。
「だってスグルはまだ十五歳なんだもん、ね。お姉ちゃんが言ってたみたいに、これからいっぱいいろんな世界を見ることになるんだよ……」
誰かを傷つけるかもしれない。誰かに傷つけられるかもしれない。でも、それはスグルだけが抱える問題ではない。
ーーそれでも、希望は捨てないで欲しいーーこれは、アタシが、スグルにかける呪いだよーー
確かに、これは呪いだ。ただこれは、酷く歪で、優しい呪いーーそんなものを、コトバとカタチの二つを、姉は残していったのだ。
だから、少しだけ、まだ少しだけ、生きてみようと思った。もし、姉の言葉にあった、ほんの一瞬の、ささやかな幸福がこの先にあるとするなら。
「いや……違う……」
幸福は、きっと過去にもあった。その証拠に、もう会うことはないだろう姉の笑顔が頭の中から消えない。
きっと、このhIEを見る度に、彼女の笑顔を思い出す、何度だってーー
「……う……もう限界かも……」
フィーは頭を押さえてよろけていた。額から、汗のようなものが大量に流れている。
「……血が足りないっぽい……アタシ生体hIEだから……輸血と止血しなきゃまずいかも……」
ふわりと、軽そうな身体が地面へと倒れかける。顔は真っ青で、身体の中にもう水分が残っていないんじゃないのではと思うほどーー
スグルは右足を前に、そして両手を前に、前に持って行く。
それはスグルの最初の一歩だった。
フィーを助けなきゃーー何かを失わない事なんて無理かもしれない、いつかは壊れてしまうかもしれない。それでもかまわないのだと、姉が自分にしてくれたように、自分以外の誰かの為に生きてきたいとーーその願いが、スグルの身体を動かした。
最初は届かないと思った。さっきまで抱きしめられていたというのに、いつのまにかフィーとの距離は離れていた。それでも、また一歩、一歩。普段のスグルからは想像も着かないほど腕と足は素早く動いた。全神経を集中させて、抱きしめる姿勢をとった。
ーーーー
フィーを無事、地面すれすれで抱きかかえると「……スグル。ありがとう、ね」そうフィーは言って、意識を失った。
とんでもなく軽い身体だった。姉の身体も、こんなに軽かったのかーーそう思うと、自分の背丈があの頃に比べて成長した事を改めて実感した。
フィーをソファに寝かせる。スグルはシャツを脱いで、それを破くと、フィーの傷口にぐるぐると巻き付ける。それでも血は流れ続けていて、早く処置しないと、どうなるのか、生体hIEに詳しくないスグルはいまいちわからなかった。だから少しでも早く、修理ーーいや治療してあげたいと思った。
そして、先ほどまで猜疑心しか抱いていなかった叔父の電話番号に、何の躊躇も無くダイアルしたーー




