第一章‐3
ラングランが去ったことで、不可視結界も解除されていたのだろう。暫くすると、部下の二人を引き連れたエリカが到着し、何事もなく細長い島に下りてきた。
「やっほぉー、アッシュぅ。久しぶりぃ」
「お久しぶりです」
ショートカットの赤毛を頭の右上で括り、ミニスカートにオーバーニーソックスという服装で、自分の身長ほどもある長銃身のアンチマテリアルライフル型の魔装銃を背負った、小柄な体躯のアリーセ=フィアリス軍曹と、同僚の銀髪のおかっぱ頭に額冠型の魔装具をかぶった、細い身体をゴスロリ風ファッションで包んだサーニャ=ストラビニスカヤ伍長が揃って挨拶してくる。アッシュも軽く右手を挙げて挨拶を返した。
「おう。アリーセ、サーニャ、久しぶり」
「申し訳ありません、アッシュ。アルバイトを抜けるのに手間取ってしまいまして」
活動的なサブリナパンツ姿に、サーベル型の魔装剣を既に抜刀しているエリカが、黄金色の真っ直ぐな長い髪をなびかせて着地する。アッシュは、彼女たちが遅れたその理由を推測していないわけではなかったが、予想通りだったので少し呆れてしまった。
「……たいへんだな」
「いえ……。そんなことより、密入星者は?」
エリカが珍しく誤魔化すように尋ねてくる。アッシュは気まずげな表情で頬を掻いた。
「あー、済まん。転移で逃げられちまった。多分、近くにシャトルかなんかを待機させてたんじゃねぇかな」
「サーニャ?」
それを聞いたエリカが、サーニャを振り返る。観測魔法用の青白い魔力光を放つアンテナをこめかみの左右から生やしたサーニャが、淡々と答えた。
「半径五キロメートルの圏内に魔力反応はありません。この国の航空機や船舶を含む人工物も感知出来ません」
魔力反応がないということは、飛行魔法を使っている生身の魔法使いなどはいないということだ。大気圏内往還船や航宙船の魔力炉は厳重にシールドされているので、仮に近くにいたとしても魔力感知出来ない。サーニャも広域探査魔法で周囲の物体は捕捉しているのだろうが、それで大気圏内往還船や航宙船を発見出来たとしても、移動されたらさすがに生身の魔法使いの飛行魔法程度では追跡は不可能だろう。
「そうですか……。仕方ありませんね」
エリカは残念そうに魔装剣を納刀する。そのとき、チッピィが全員に向けて念話を発した。
(ラングラン、いない。帰った)
元々、チッピィは『彼女』のペットだ。『彼女』の兄貴分のラングランとは面識があっても不思議はない。アッシュは、エリカたちに気付かれないように内心で舌打ちする。チッピィに口止めするのを忘れていた。こうなっては、ある程度の事情を説明するしかないだろう。
「ラングラン? ここにいたのは、『緑風』のラングランだったんですか!?」
予期せぬ大物犯罪者の名前に、エリカが驚きの声を上げる。アッシュは感情を表に出さないように、ポーカーフェイスで頷いた。
「ああ、そうなんだ」
「先日のことと言い、どうして、あの盗賊がこんななにもないところに……?」
不思議そうに呟くエリカに、アッシュは説明する。
「実は、この前のとき、話し忘れてたんだけど、あいつは『彼女』の兄貴みたいなもんなんだとさ。それでここへ」
アッシュは、未だに波間に浮かんでいる青い花の花束を指差した。それで、エリカも察しが付いたようだ。
「あ……、そういうことですか……」
「ここへは墓参りに来ただけで、この星で盗みをするつもりはないって言ってやがったよ。全面的に信用してもいいもんかはわからないけど」
そのアッシュの言葉に、エリカは黄金色の髪を揺らして頷いた。
「それについては、ある程度信用してもいいでしょう。彼らにも彼らなりのルールがあるようで、私どもの連邦のことが知られていない未開惑星では盗みを行わないというのが、不文律となっているようです」
「そうなのか」
アッシュは相槌を打つ。
「それでは、おそらく『緑風』のラングランはすぐにでもこの星を離れてしまうのだろうと思いますが、念の為、暫くの間は警戒を厳にするように」
「あいあい、まぁむ」
「了解」
エリカの指示にアリーセとサーニャが返答するが、どちらにせよ、魔力監視装置が反応しないことには、彼女たちには出来ることがなにもない。アッシュは、彼女たちの駐留基地という名の古びたアパートの居間の隅に鎮座している、この星のミニチュアらしき球の立体映像を浮かび上がらせているSF映画にでも出てきそうな装置を思い出した。実は、あれが警報を鳴らすのを未だに見たことがない。今日はラングランに反応して警報を鳴らしていたはずなので、惜しいものを見逃したなどとアッシュはどうでもいいことを考えた。
「それから、『緑風』のラングランがこの星に出没していたということを、報告しなければなりませんね。彼らの今後の動向を推測する手掛かりの一つくらいにはなるでしょうし……」
エリカが独り言のように呟く。アッシュは、ラングランに逃げられたのか、それとも逃がしたのか、を突っ込まれる前に、と話を変えた。
「仕事が立て込んでるとこ悪いんだけどさ。ちょっと話があるんだ」
エリカは彼のほうに向き直ると、人差し指を細い顎に当てて小首を傾げる。
「そういえば、先ほどの念話でもそう仰っていましたね。それでは、こんなところで立ち話もなんですから、私どもの駐留基地にいらっしゃいませんか? お茶くらいお出ししますよ」
「そうか? まぁ、そんな込み入った話でもないんだけど、せっかくだからお邪魔するかな」
アッシュの返事に、エリカは笑顔で頷いた。
「はい。是非。――それでは、二人とも、帰りますよ」
「いえす、まぁむ」
「了解」
四人と一匹はエリカを先頭にして飛び立ち、彼女たちの駐留基地へと進路を取る。駐留基地へと帰る道すがら、アリーセがぼやくのが耳に入ってきた。
「あーあぁ、また出掛けただけで、なぁんにもすることないのかぁ」
そういえば、彼女たちはこのような、出動しても結局なにもせず帰る、というパターンが多いような気がする。そう思って、アッシュは苦笑してしまった。
やがて埋立地から街の上空に入る。そのまま街灯りを見下ろして進むと、レドーム――軍事基地にでもありそうな円盤型のアンテナ――が屋根の上でゆっくりと回転している、それとはあまりにもそぐわない、古い木造二階建てのアパートに到着した。一同は人目がないのを確認して、そのレドームの真下の部屋のベランダに降り立つ。靴を脱いで、窓から居間に入った。
「お邪魔します」
「どうぞ、お上がり下さい」
アッシュは挨拶を交わして室内に入る。それから、濡れ雑巾を借りて、チッピィの足を拭いてやった。一同は居間の卓袱台を囲んで座る。エリカがキッチンでお湯を沸かすと、湯飲みに熱い緑茶を注いできて、各人の前に置いた。
「今夜は皆ご苦労様。特にアッシュはお疲れ様でした。収穫はありませんでしたけれど、被害もなかったのでよしとしましょう」
エリカの言葉に、アッシュは気まずげに応じる。
「いや、大口叩いたわりには、なんの役にも立てなくて済まなかったな」
「いいえ、そんなことはありません。密入星者の正体が『緑風』のラングランだったとわかっただけでも、情報としての価値はあります」
「ああ。そう言ってもらえると助かる」
彼女たちに隠してそのラングランを逃がしてしまった後ろめたさから、アッシュは頭を下げた。エリカが微笑んで続ける。
「この後の、本星への報告や今後の警戒等は私たちの仕事です。アッシュはお気になさいませんように」
エリカはそう言って、緑茶を一口飲んだ。アッシュもそれに倣う。熱い緑茶が、意外と乾いていた喉を潤してくれた。ラングランとのやりとりに、案外緊張していたのかもしれない。
それから、彼女は湯飲みを卓袱台に置いて切り出す。
「それで、アッシュのほうのお話というのは、なんですか?」
問われて、アッシュも居住まいを正した。湯飲みを置く。口を開きかけると、隣でアリーセがお茶請けの煎餅をバリンボリンと食べる音が響いた。少し苦笑して、改めて話し始める。
「ああ、それなんだけどな。――昨夜の二十一時頃、西の空で正体不明の光が明滅してたのを知ってるか?」
すると、エリカは珍しく疲れたような深い溜め息を吐いた。
「あぁ、そのことですか……」
その彼女の反応で、アッシュは確信する。
「てことは、やっぱりあれは、あんたたちの星の関係か?」
「はい、そうなんです。少々困ったことが発生していまして。と言っても、私たちに出来ることはほとんどないのですけれど」
エリカが憂鬱げに細い眉をひそめて答えた。アッシュは先を促す。
「なにが起こってたんだ?」
「はい。――実は、この星の近傍に、私どもの連邦のほうから客船が観光に来ていたんですけれど、それが海賊船に襲われたんです。昨夜の光はそのときの海賊船による威嚇や、客船の推進機関を狙った魔力砲の光です」
エリカの説明に、アッシュは目を見開いた。まさか、自分の星の近くに、宇宙海賊などというSFアニメぐらいでしか見ないような存在が出没するなどとは思ってもみなかったのだ。
「海賊って……。じゃあ、エリカたちが出動して捕まえたのか?」
しかし、アッシュのその問いに、エリカは首を振る。
「いいえ。私どもは陸軍、惑星上のことが担当です。それに、私どもは航宙船を所持していませんから、出したくても手が出せません。宇宙空間でのことは、海軍の管轄なのですが――」
エリカが言い淀んだ。アッシュが憤慨したように問う。
「この辺りを警備してる海軍の部隊はなにしてたんだよ?」
「この辺境宙域の警護担当は、貴方もよくご存知の海軍第七艦隊です。その……、例の事件のときの損傷で旗艦ドラスネイルは現在も本星で解体修理中ですし、レガード=ボルジモワ元司令が逮捕された後の後任の艦隊司令も未だ任命されていません。これは、上層部の力関係のバランス調整が上手くいっていない為と思われますが……。現在は、副司令が業務を代行している状況だと聞いています。そのような状態なもので、非常に艦隊の動きが鈍くなっているんです。昨夜の事件も、艦隊が現場に駆け付けたときには、既に海賊船は影も形もなかったとか」
「……げ」
エリカの説明に、アッシュは思わず呻いた。ボルジモワ元司令の犯罪を告発するよう仕向けたのは彼だし、旗艦ドラスネイルに損害を与えたのはまさしく彼の仕業だ。まさか自分のしたことが、こんな形で返ってくるとは予想もしていなかった。
「貴方のせいではありません。お気になさらないで下さい」
エリカが手を振って言うが、そのような事態を招いた責任の一端は、明らかにアッシュにあるだろう。しかし、責任を取ろうにも、事が宇宙空間での出来事では手出しのしようがない。
「まいったな……」
そこでアッシュは、はたと思い至った。
「そういうことじゃ、今ネットで騒がれてる『昨夜の光はUFO』説は、あながち間違いでもないってことじゃないか。どうするんだ? 確か、あんたたちの星のことがバレないようにするのも、任務の内だっただろ?」
「それについては、サーニャにネットで情報操作をお願いしています。事はこの星の衛星軌道よりも外で起こったので、この星くらいの文明レベルの観測設備なら、たいした情報は得られていないと思いますし。今一番の問題は、草の根の一般の人の口です。噂が広まれば、それが真実と認識されかねませんから」
「それで、ネットで情報操作か……」
アッシュはエリカの説明に納得する。サーニャに向き直って尋ねてみた。
「情報操作って、どんなことしてるんだ?」
「掲示板やブログのコメント欄に、あの光はUFOなどではなく某国の存在を秘匿された軍事衛星の爆発だ、という投稿をするボットを作りました。勿論、バリエーションを付ける為に、わたし自身もあちこちで書き込み作業を行っています」
淡々と説明するサーニャに、アッシュは思わず吹き出しそうになる。発想が彼のものとまるで一緒だった。
ちなみに『ボット』とは、インターネット上で自動化された仕事を実行するアプリケーションのことだ。このように無差別に大量の投稿をするようなものはスパムボットと呼ばれ、迷惑がられているので、よい子は真似をしてはいけない。
「とにかく、この方向で噂を収束させます。後は、私たちに出来ることはありませんね」
エリカが言った。それにはアッシュも同意せざるを得ない。
「じゃあ、任せるよ。なにか俺に出来ることがあったら、なんでもいいから声を掛けてくれ」
「はい。ありがとうございます」
エリカが頭を下げる。しかし、顔を上げた彼女の憂い顔は変わっていなかった。
「既に起こった事件についてはそれでなんとかするとしても、問題はまた同じことが繰り返されるかもしれないということです」
「え?」
「先ほど申し上げた通り、現在、この宙域を警護すべき第七艦隊は正常に機能していません。その隙を突いて、この辺境宙域で海賊が跋扈し始めているという報告もあるんです」
「それは、結構大事なんじゃないのか?」
そのエリカの話に、アッシュは焦りを感じる。彼の表情の変化を見て取ったのだろう。エリカが慌てたように手を振った。
「あぁ、申し訳ありません。こんなことを貴方に訴えても、どうしようもありませんのに。つい愚痴が出てしまいました。お忘れ下さい」
「忘れろって言われてもな……。極端な話、せっかく火消しをしても、またすぐUFO騒ぎが起こるかもしれないんだろ?」
「あ、いえ、第七艦隊の担当宙域はこの恒星系だけではありません。あまり具体的には申し上げられませんが、もっと広大な、この恒星系も含むこの辺り一帯の辺境宙域です。ですから、仮に海賊事件が頻発するとしても、そのあちこちに分散されることでしょう。この星の近くだけで、そう何度も発生する確率は低いはずです」
「……そうか」
「それに、海軍上層部も、いつまでもこのような危険な状況を放置し続けているほど無能ではないでしょう。近日中になんらかの対策が講じられると思います」
「……だといいけどな」
エリカの説明に多少安堵する。しかし、なんの関わりもない異星の人々とはいえ、その人たちが海賊の被害に遭うのを見過ごさざるを得ないことには心が痛んだ。だが、エリカも言ったように、彼に出来ることなどなにもない。精々、祈ることぐらいだろう。アッシュは、考えても仕方のないことを、頭を振って追い出した。
「ホントに今出来ることはなにもないんだな。でも、なにかあったら、すぐ連絡をくれよ?」
「はい。そうさせて頂きます」
エリカの返事に一つ頷くと、アッシュは立ち上がる。
「それじゃ、帰るよ。――チッピィ、帰るぞ」
「あら。お夕食がまだでしたら、ご一緒に如何かと思っていたのですけれど」
「いや、あんまり遅くなっても悪いからな。今日のところは帰るよ」
アッシュは、エリカの誘いを断った。もう二十時を過ぎている。女性ばかりの家に、あまり遅くまでお邪魔しているのは悪いだろうと思ったのだ。
「そうですか。――今日は、ご協力ありがとうございました。このお礼は、いずれなにかの形でさせて下さい」
そう言って頭を下げるエリカに、片手を振った。
「いや、そんな気を遣わないでくれよ。軍のほうからだって手当が出てるんだしさ」
異星の銀行に異星の通貨で振り込まれているから、いくらくらいなのかは知らないけど、と心の中で付け足す。エリカは人差し指を細い顎に当てて、少し思案する様子を見せた。
「では、友人として、今度お夕食にご招待します。それなら、よろしいでしょう?」
「ああ、そうだな。そういうことなら喜んでご馳走になりに来るよ」
彼女の義理堅さに少し苦笑気味に、アッシュは頷く。
「はい、是非。それでは、おやすみなさい」
「じゃーねぇ、アッシュぅ。今度は遊ぼうねぇ」
「次は、またゲームで対戦しましょう。さようなら」
玄関まで見送りについてきて、口々に別れの挨拶をする三人に、アッシュは靴を履きながら手を振り返した。
「ああ。じゃあ、またな。おやすみ」
玄関から外へ出ると、チッピィを連れて、古びたアパートの赤錆の浮いた鉄製の階段を下りる。もう緊急時ではない。飛行魔法を使わずに電車で帰るべきだろう。
(あぁ、そうか。サーニャのやってる情報操作なら、俺にも手伝えるな)
アッシュは魔装具を外して首から提げた巾着袋に仕舞うと、右手に包帯を巻き直した。帰って夕食を摂ったら、テストの一夜漬けを早々に終わらせて、早速それに取り掛かろう。




