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断章 タルジャンジーの尾根の下で(10)

 炎が何もかもを焼き清めた地下室を描写するすべはない。実験用に飼われていた人間と獣とその主人が一緒くたになって真っ黒いタンパク質の塊になっている。それだけだ。生ある者は灰となり死霊使いの死屍は起き上がらない。


 焼け延びた金庫を魔法銃でこじあける。一発目は扉を窪ませただけ、二発目でしの字がたに歪み、三発を使ってようやく扉が吹き飛んだ。


 中身は研究資料や手帳、それとコーネリアスが貯めに貯め込んだ三百クオリア相当の金貨や宝石の入った革袋。こいつは拝借する。


 ふと気になって手帳を読んでみる。

 手帳は日記代わりらしい。日々思いついた着想や閃きを書き記している。これを読めば誰だって一発でこいつが異常者だってのはわかる。人間を献体としか考えていないクソ野郎だ。


『六月九日 本国のドミネイターが潜伏先を求めてやってきた。厄介事を抱え込んだのでなければよいが』

「ドミネーター……支配者って意味か?」


 こいつ諜報員の受け入れみたいな裏の仕事にまで手を出していたのか。本国ってイルスローゼか?

 いやイル・カサリアかもな。大罪教徒はやはりコーネリアスの指示で動いていたんだ。


『六月十二日 あのキチガイ女を叩き出してやった。やはりドミネイター同士は相性が悪いな。あれがナンバーズだと? 信じられん』


 追い出すんかーい。

 じゃあ俺を狙ってたの何でだよ。めっちゃ仲悪そうだし指示してねえわこれ。


『六月十三日 クラウスから嫌味を言われる。どうして彼はあんなひどいことを言えるのだろうか。まったくこれだからエリート気取りの若僧は腹が立つ』


『六月十四日 学長から研究室の整理を命じられる。ほっといてくれと言ったが苦情が来ているとか。どうしてこんな忙しい時に』


『六月十五日 ガンビーノからまたノロケられた。妻子がいるというだけでなぜ彼はあそこまで上から来れるのだろうか? だいたいあんな馬鹿息子ならいない方がマシだろうに。いつか事故死させてやる』


『六月十六日 リリウス君と会話した。彼からは陰キャの香りを感じる。死霊学部ならきっと素晴らしいネクロマンサーになれただろうにじつに惜しい』


 ダメだな大したことは書いてない。愚痴ってるだけだ。さては日記に書いてストレス発散してたな?


 手帳から事件を読み解くは不可能だ。何より意味がない。元凶はもう死んだじゃないか。


 コーネリアス邸での戦闘は誰にも気づかれなかったようだ。後ろ暗い研究をしてる魔導師は工房に防音結界を張っている。庭から眺めれば派手にぶっ壊れてるお屋敷も、外から見ればいつも通りってわけだ。


 コーネリアス邸を出た俺はラトリアの宿に戻った。おやっさんの目が見えないってのはたぶん嘘だ。俺の顔を見て一発で気づいちまった。


「町を出るのかい?」

「追い出される前にね」


 おやっさんがニッカリ笑う。この人無口だけど根は明るいんだよね。


「長い間世話になったな」

「こっちも楽しかったよ」


 握手を交わすとおやっさんが照れてる。いい年こいた野郎二人でこんな気恥ずかしいことやってんだ、俺も恥ずかしいさ。

 たぶんはこれは今生の別れになる。明日になれば俺はお尋ね者だ。


「なあラトリアを連れて行ってくれよ」

「わざわざ逃亡犯にくれてやることはねえだろ、ラトリを不幸にするだけだ」

「不幸ねえ。おれは若先生みてえに頭はよくねえから小難しいことはわからねえが」


 いやわかるだろ。犯罪者の奥さんとか絶対苦労するぞ。


「俺の女は早くにぽっくり逝っちまったが後悔だけはしたことがねえ。好いたもんと添い遂げるのは幸せじゃないんかね?」


「ラトリは若いしこれから色んな出会いがある。だいたいあいつは俺のことなんて兄貴みたいに思ってるだけだぞ」

「そりゃ若先生が日頃言いつのってるイイワケだろうが。娘はあんたが気づいてくれるのをずっと待ってるよ」

「だがな……」


 ラトリアには幸せになってほしい。フラメルとかいうクソ伯爵の下に嫁いで一年と経たずに死んじまった姉さんの代わりに……


 彼女の相手は俺じゃあない。俺じゃあ……誰も幸せになんかできっこない。

 別れの挨拶だけはする。それだけで済ませる。


「……ラトリは?」

「カストのところに応援にやってる。こことちがってあっちは繁盛してっからな」

「わかった」


 店を出る。


「若先生!」

「あとでまた顔を出す。意の一番に来たんでね、挨拶回りってのが残ってるのさ」


 店を出る。夜の町を早歩きで歩き出す。

 ミルディンがいた。ミルディン・ハーシェルだ。ランドール先生殺しの実刑を食らってムショにいるはずなんだがな。妙に思い詰めた顔つきしてやがる。まさか俺を宿の前で張ってたのか?


「先輩、ようやく会えましたね」

「ムショはどうした?」

「追い出されました。どうもよく調べたら僕じゃなかったらしいとか言って」


 そりゃよかったな。


「じゃ、俺用事あっから」

「待ってください、話があるんで―――」


 ゴスッ!

 肩を掴んで引き留めにきたミルディンの顔面に裏拳を叩き込む。


 ミルディンは別に悪い奴じゃない。だが良い奴でもない。こいつは昔っから自信過剰なプレイボーイだった。

 僕が微笑めば落ちない女はいないなんて理屈ふりかざして生きてるこいつは、学生時代からハーマイエルに付きまとってストーカー紛いの行為をしでかしていた。だから俺が出張って散々痛めつけてやったんだ。

 こいつがキープ君止まりなのはそういう理由だ。そんなこいつはハーマイエルを守れなかった。


 鼻血を噴いて膝をつくミルディンの後頭部に魔法銃を押し当ててやる。


「悲劇のヒーロー気取りで世間様と家族様に散々迷惑かけておいていっちょ前の面しやがって。お前の雑魚っぷりがハーマイエルを殺したと理解しろ。ランドールごときに出し抜かれやがって馬鹿野郎が、それと口がくさいんだよ」


 言いたい事を言えてすっきりした。もうこいつには一生会わないと確信している時にだけ言えるタブーオンパレードだ。


 まずドレイクのアパートに向かう。全ての企みがコーネリアスだったこと、奴を殺したこと、そうした話をしながらドレイクの部屋に置いてある俺の荷物をまとめる。


「俺にできることなんか大したことじゃねえが後は任せろ」

「すまん助かる」

「気にするなよダチだろ。逃亡先の当てはあるのか?」

「ない」

「生活は?」

「冒険者でもやるさ」


「……お前たまに馬鹿だよな。ローゼンパームに俺の実家がある。手紙書いてやるから困ったら頼れ」


 最後だけいい奴になろうとか……

 それも助かるけど貸したお金返してほしいんだけど?


「今は手持ちがな……」

「お前いつなら金があるんだよ」

「未来」


 どうやらドレイクが成功者にならないと俺の87シリングは返ってこないらしい。遠いな。


「来年には俺もローゼンパームに行く。絶対に来いよ」

「ああ」


 バリバリのアルバス派のドレイクは夏季休暇入る前に解雇されるだろうけど、それは言わないお約束。別れってのは綺麗にやると後で笑い話にできるんだ。

 後輩達、同僚への挨拶もドレイクに託す。


 七年だ。もうこの町に移り住んで七年も経った。築き上げてきた交友関係のすべてにご挨拶をする時間はない。翌朝、昼かもしれない、コーネリアスの死が発覚するまでに国を出たい。


 リアナの店にも顔を出しておく。色々世話になったから最後くらい金を落としてやる。おらあ、神の妙薬を出せい!


「あんたとも長い付き合いだ。とっておきのを出すよ。ま、耐えられるだろ」


 おいババア? いま不安な一言がついてたけど?


 そんなババアはそこらの棚から無造作にポーション瓶を……

 普通に売ってる奴だな。


「アルティメットポーションさ。死んでも五分以内なら完治する」

「大変疑わしいがいただいておく。おいくら万ペンス?」

「そこはクオリアと言ってほしかったね。いらんいらん、餞別だよとっときな」


 なんと無料で究極回復薬をてにいれた!

 ぜってえ在庫処分だわ。だって日付かいてる札ついてるもん。これ三日後に消費期限切れるってことでしょー?


 夜の町を走っていると正面から騒がしい連中がやってきた。学生集団だ。酒瓶片手にどこぞの校歌を歌いながら肩を組んで歩いている。……超見覚えあるな。特にあのハゲ。


「コパ先生?」

「あぁ君か、まったく困ったよ君の後任ときたらおかしなおべっかつかいでね、本当に辟易して途中で解雇してもらったんだ」


 再会するなり愚痴を言われたぜ。ラサイラ訪問団の接待役はたしかドンビーノとかいう七光りになったんだった。


「彼とは長い付き合いですが同じ空間には二分と耐えられません。おしゃべりクソ野郎なんです」

「だろうね。特に君は気が短そうだから」


 そういう先生も嫌になって解雇したんでしょうに。

 しかしサミットが終わってもう四日も経つ。まだいたんですね?


「技術交換会はまだ活発に行われているからね。せっかく世界中から優秀な魔導師が集まっているんだ、生徒たちに彼らと同じ空気を吸わせてやりたい」


 学生はいつか母校を巣立っていく。サミットに参加できるような立派な魔導師を目指す彼らに、その到達者たちと交流させたいってのは立派な考えだ。さすがだな。


「私達も明日にはイルスローゼに戻るよ。……君もどこかへ?」

「ええ、ちょいとやらかしましてね」


 この頭陀袋を見られれば誰だって一発でわかる。夜逃げだ。


「亡命かね。猶予は?」

「明日の朝か昼までにはと……」

「では私達の船に乗りなさい」


 ラサイラ訪問団の船というとアルステルム製飛空艇か。空系の乗り物はどこも開発がうまくいっていない中で一人勝ちしてる太陽の王家が誇る空中高速艇……


 超乗りたい。でも一つ確認しておかねばならない。


「もしやそれにはアルバスも同乗するのですかね?」

「どうしてアルバス・クレルモンが出てくるのだね?」


 そらっとぼけてる感じではないな。本当に不思議がっている。

 学長選の結果やらコーネリアスの暗躍やらを適当に掻い摘んで伝えると訝しがられた。


「コーネリアス・レイダー如きにラサイラの教授職を約束できるはずがない。担がれたのではないか?」

「それはそれで悲惨な結末ですね」


 意気揚々とラサイラに行ったアルバスが守衛に摘まみ出されるのか。それはそれで見てみたい気がする。

 しかし問題はそこではない。


「彼はどうして信じてしまったんだ?」

「俺もそこが気になります。てっきりコパ先生を通じて打診があったものだと思っておりました」


 現役のラサイラの教授がその地位を約束したのなら信用できる。しかし何十年も前にラサイラを去った男の口約束には乗らないだろ……

 支配者、まさかな?


「話は変わりますが先生はドミネイターという職種をご存知ですかね?」


「……古い魔法大系だよ。支配系統という呪術に特化した魔導師を指す言葉だ。精神誘導、魅了、時には呪具を心臓に付けて意のままに操る手管に長けた連中だ」

「生きている人間版のネクロマンサーと考えていい?」

「彼らはモンスターも操るよ。そのせいか忌まわしい存在『魔の者』、魔人とさえ呼ばれてきた」


 コパが何やら考え込んでいる。思考はすぐに終わったらしい、コンラッドを手招きする。


「皆を連れて宿に戻りなさい」

「先生はどうなさいます?」

「私は用事ができた。翌朝の出発までには必ず戻る」


 俺とコパで夜の町を駆ける。しかし疑問が一つ。これは俺らの問題で、先生は関係ない。

 理由もなく施される善意を悪いと言ってるのではない。……怖いんだ。騙されるのが、裏切られるのが、また間違えるのが怖いんだ。


「理由ならある。あれら魔の者と戦うのは我らアシェラ信徒の宿命なのだ」

「……先生はたぶん何もかもご存知なのでしょうね」


 邪神ロキ、女神アルテナ、神々の実在を話しても先生は驚きも疑いもしなかった。

 知っていたからだ。その上で邪神の眷族と戦うのが宿命と言い切ったんだ。敵わないな……


「先生はきっと善なるアシェラの下で戦う戦士なのですね。何の疑いも抱く必要のないほど清廉な神の下で……正直羨ましいです」


 すると先生は盛大に嫌な顔になった。何でですかね?


「私は神殿を脱走している」

「えっっ!?」

「それとアシェラは善とはほど遠い大欲の邪神だ」

「マジですか!?」


 やっぱりアシェラもいるのかっていう驚きよりも邪神だって方に驚愕したわ。だって世界有数のメジャー女神だぞ。神様ってのは本当にわっかんねえぜ……


「じゃあ何で魔の眷族と戦うんですか?」

「月並みな言葉で申し訳ないが、やはり世界の安寧のためだろうな」


「恰好いいですよ」

「そうかい? 損な役回りだと思うけどね」


 時刻はすでに深夜に近い。

 アルバス邸は明かりを落とし、ひっそりと静まりかえっている。そんな屋敷を見上げる俺とハゲ、緊張してきたぜ……


「大罪教徒は私が。リリウス君は彼をお願いする」 

「簡単に言ってくれますねえ……」


 アルバスも高位の戦闘系術者だ。錬金術を土台とした攻撃と防御を織りなして対応する万能型で、魔導戦評価値は27400。半ファトラ君はある。普通に考えて4600の俺に勝ち目はない。


「ですが任されました。他にもいた場合は?」

「そこは臨機応変に対応してくれ」


 う~~ん脳筋。完全に超戦士の理屈だ。何が出てこようが勝利は確定なんですね。


 コパが干渉結界を展開する。波動となって屋敷を駆け抜けていったディスペルの波が、内部からやってきた波動と相殺し合う。この異質な魔力波動は大罪教徒か……


「俺は?」

「基準波長は合わせてある。存分に暴れなさい」

「へへ、助かります」


 コパと大罪教徒の干渉結界どうしが相克してゼロ・フィールド化している。これは通常術者どうししか魔法が使えない空間であるが、コパの行使権限に相乗りする形で俺も魔法が使える。


 ゼロ・フィールド現象内ではディスペルが働かない。魔導師どうしの技巧を凝らしたガチンコ勝負ってわけだ。


 ドバン!

 入口を蹴破って屋敷に侵入する。特殊部隊みたいにサッと室内を確認しながら一階はクリア。


「強い魔力反応が二つ。大罪教徒は地下か」

「では俺は二階のアルバスを」


 魔法銃を連射しながら階段を駆け上がる。反応なし。

 奇襲に最適な三室の扉と壁にもぶっぱなす。反応なし。魔力サーチ防止処理を施したゴーレムを仕掛けてないとか舐めてるのか? それ以前にセキュリティは大丈夫?


 執務室の扉も蹴破る。アルバスは真っ暗な部屋で佇んでいた。何をするわけでもなく、電池の切れたオモチャみたいに立ち尽くしている。


「アルバス、俺の用件はわかるか?」

「…………」


 返答はない。やる気もない。ただ闇の中で俺をじぃっと見つめ返してくる。


「お前は正気じゃない。操られているんだ」

「…………」


 やはり返答はない。自発的な受け答えさえできないほど支配がきまっちまっているのか……


 あんたは強い大人だっただろ! 俺よりもずっと長くこの町で一人で戦い続けてきた偉大な魔導師だろ! ……お前のそんな姿だけ見たくなかった。


 大罪教徒とかいうワケのわからない奴に簡単に操られる姿なんて、裏切られるよりもずっと見たくなかった……


「お前には治療が必要だ。大丈夫、祈りの都の医療が進んでいるのは知ってるだろ? すぐに元気になるさ」


 アルバスを担ぎあげると違和感。明らかに人体ではない、こいつはゴーレムだ!


 手を離す。落下する。アルバスに似せて作られた土くれは床に落ちて陶器みたいに割れてしまった。

 室内が暗い理由がようやくわかった。光の下じゃすぐにバレるからだ。


「クソッ、逃げられた!」


 最初から誰もいなかった執務室に俺の壁ドンが響き渡る。



◆◆◆◆◆◆



 同時刻、祈りの都北部山林の発着場。


 ラサイラ訪問団の飛空艇スカイルーシェを警備する黄金騎士団は血塗れになって倒れ伏し、その生命を失っている。


 焼かれた死体、顔面の潰れた死体、氷漬けの死体、どろどろに溶けて液状化した人間だった物、等しくゴミみたいに散らばっている。


 飛空艇へ搭乗するタラップに足をかけた大罪教徒が足を止めて振り返る。その眼差しは遥か眼下にある祈りの都を見つめている。


 眼鏡をかけた理知的な容貌の青年が大罪教徒へと問いかける。


「どうかしましたか?」


 大罪教徒は何でもないと首を振り、にこやかに微笑んだ。天使のように愛らしい微笑みだ。

 いかにも天真爛漫な少女の作り笑いだ。


「やり残しを思い出しましたっ♪」

「あなたは少々派手に暴れすぎた。一刻も早く去るべきだと思いますが?」

「ん~~~~……」


 大罪教徒が童女にように愛らしく小首を傾ぐ。クラウはその姿を見つめながら早く死ねばいいのにと思っている。


「でも気になっちゃうんです。私そーゆーのあると夜も眠れなくなっちゃうので、早めに片づけてきますね」

「夜明けまでは待ちます。それ以上になれば」

「ええ、先に行ってしまってください」


 あっけらかんとしたものだ。置いて行かれるなど微塵も考えていない。クラウがどれだけ嫌悪し、恐れ、縁を切りたがっているかを知っているはずなのに……


 いや知っているのだ。クラウは彼女を切れない。それは愛情ではない。遥か昔に失った愛がために、彼女を大切に想っていた女性のために切れないだけだ。大罪教徒は忌々しいことにそれを知り抜いているのだ。


「理由は? 危険を冒してでも行く理由はなんです?」

「ん~~~~、わたしより幸せそうな女の子が許せないんです」


 大罪教徒が丘をくだっていく。

 眼下の町に再び死をもたらすために。


 クラウはその背中を見つめながら唾を吐き、もう一人の哀れな同行者に声をかける。


「あんな女は早く死んだほうが世界のためだ。そうは思いませんか?」

「…………」


 同行者アルバス・クレルモンは答えない。彼の意識は精神の海深くを漂い、眠りのような状態にある。夢の世界で彼は大罪教徒の体に溺れている。その甘い声が囁く言葉を真実だと思い込んでいる。


 アルバス・クレルモンにはもう自らの意志で何かを決める権利さえない。



◆◆◆◆◆◆



 アルバス邸の地下室は戦闘が行われているとは思えないほど静かだ。学生時代はよくドレイクと転がり込んで、夜中にこっそり地下室のワイン樽をパクりに来ていた。今思えばアルバスは見逃してくれていたんだろうな。


 大罪教徒は逃げた。じゃあコパは何者と戦っている?

 様子を見に行けば何者かをす巻きにしたコパがいた。圧勝って感じだ。周囲の物が全然壊れていない。一瞬で仕留めたらしいな。


「あぁ君か、当てが外れたよ。彼は洗脳奴隷だ」

「アルバスは土で作ったダミー人形でした。ご丁寧に魔力波形まで合わせた力作でしたよ」

「逃げられたか。勘のいい獲物だ」


 え、先生いま獲物って言いました? この人知れば知るほど怖くなるんだけど魔の狩人なの?


「ダミーを置いて逃げる賢い獲物が行き先の手がかりを残すはずもない。口惜しいが今夜はおひらきだね」

「彼は?」

「運がよければ再び目覚めることもあるだろう」


 つまりほぼほぼ殺してるわけか。外傷がないことから判断するに呪術の系統かもな。


 屋敷を出ると俺らはう~~んと伸びをする。夏の夜風は気持ちいいぜ……


「君今夜は暇かね?」

「もしかしてお酒ですか?」

「うむ、君は私といた方が安全だろう」


 翌朝ラサイラの飛行船で亡命するし先生と一緒にいた方が都合がいい。官憲に追われながらの悲惨な亡命生活を想像してたけどイルスローゼなら安全だなー、


 ラトリアの宿に行くと深夜だというのに厨房に立ってるおやっさんが目を丸くして驚いてる。感動のお別れやったけど後で寄るって言ったでしょー。


「若先生、ラトリと町を出たんじゃ……?」

「は?」


 どんな勘違いだよラトリアはまだ帰ってないのか? もう深夜だぞ?

 やべえ、まさか大罪教徒がラトリアを……


「リリウス君、これはまずいよ」

「言われんでも!」


 ダッシュで宿の外へ出ると入店しようとしたレームとぶつかっちまった。


 レームはこの辺りの居酒屋で給仕をしている店の三男坊だ。板前になるには才能がないってじつの親父に宣告された可哀想な野郎なんだが……なんか手紙持ってるぞ?


「先生いいところに、じつはこの手紙を届けろって客から頼まれたんだ」

「最悪のタイミングで手紙だと!?」

「大罪教徒からのメッセージと考えるべきだな。どれどれ」


 コパが目にも留まらぬ動きでレームから手紙を奪って読み出す。その間に俺はレームからお話を聞く。どんな奴だったかって話だ。


「年は俺と先生と同じくらいだったな、あ、男だ」

「ふんふん」

「茶髪で中々の男ぶりだったな。俺には負けるが」

「おい、俺と先生にの間違いだろ」

「どんな自信だよ。けっこうモテそうな客だったぞー」


 ここまで聞き出したところでコパが手紙を渡してきた。


『お前の愛しいラトリアは預かった、今宵ダウラギリの廃工場で待つ ミルディン・ハーシェル』


 あいつかー! 紛らわしいな!?



◆◆◆◆◆◆



 かつて祈りの都に産業革命を起こそうとした男がいた。ダウラギリという野心家だ。彼は人を人とも思わない重労働を敷き、工員をいくらでも生み出せる工業生産品みたいに使い捨てていく非情の男だった。


 そんな彼の最後は悲惨を極めた。好調だった工場の経営が悪化していき、最後には自宅で首を吊った。もう三年も前になる。


 かつての栄華も今は昔、大勢の工員で賑わっていた工場はすっかり廃墟になり果てた。高価な工業機械は借金の充てに持ち出され、今は価値のない空き缶だけが転がっている。


 そんな廃墟でミルディンは歌うみたいにおしゃべりしている。


「昔ダウラギリっていう男がいたんだ。商才に長けた男で、あのままいけば都でも有数の富豪になれた、そんな男だった。でも彼は首を吊って死んだのさ。何でだと思う?」


 縄でグルグル巻きにされているラトリアは答えない。

 この話は知っている。有名な話だ。リリウス・マクローエンが在学中にやらかした数々の武勇伝の一つを飾るとっておきのもので、ラトリアも人伝手に何度も聞いた。でも本人の口から聞いたことはない。


 彼曰く経済は人を不幸にする武器じゃないんだそうな。悪評は轟かせるのに良い噂には無頓着な人なんだ。


「先輩に肩をぶつけたからさ。酒場でさ、先輩にぶつかって酒をこぼしたから潰されたんだ。まったく恐ろしい人だよな」

「それちがう」


 ミルディンの饒舌が止まる。彼の雰囲気が恐ろしいものに変わる。真偽が問題なのではない、人質の分際で逆らったのが問題なんだってラトリアも理解している。でも口は止まらない。


 ラトリアはめったなことでは怒らないと決めている。怒りを外に出して結果が良かったことが少ないので、経験則的に何事も内側に溜め込むようにしている。

 だがラトリアはこれだけは怒ろうと決めている。彼を侮辱する者にだけだ。


「それ若先生を恨んでる連中が流してたデマよ。本当は解雇を盾にシングルマザーを強姦しようとしたから経済制裁で工場まるごと潰してやったの」


「……余計ひどいじゃないか。だってさ、そのせいで大勢が雇用を失ったんだろ?」

「工員はみんな若先生がアドバイザーやってる農場で再雇用されてる。小さな男、あんたは自分に都合のいいデマカセばかり信じてる。嘘を信じたって現実は何も変わらない、あんたのウソの形にはならない」


「口の減らない子だね。その態度も気に入らないな、先輩が来なければ……」

「来るよ」


 断言する。確信できる。ラトリアはリリウス・マクローエンを七年見てきた。

 本当は入学前の一年と卒業後の三年と少しの実質四年だけどその経験が言っている、彼はこういう時必ずかっこつけにくる。


 どんな強敵も誰も思いつかない方法で蹴散らしてガハハ笑いしながら「大丈夫だったかラトリ?」なんて何でもないふうに助けに来るんだ。


「若先生は絶対に来る。あんたはすぐに破滅する」

「こっちには人質が―――」

「あんたがおしゃべりな理由はわかってる。ビビってんでしょ? 若先生が怖いんだ。だから小さく見たがる、敵わないって知ってるから」


 ミルディンが沈黙する。つまりは彼も知っているわけだ。

 リリウス・マクローエンは最強だ。誰も勝てない。何もできない。彼の魔導戦評価を盲目的に信じて挑んでいった幾多の馬鹿どもと同じように悲惨な末路をたどるだけだ。


 彼がアルバス・クレルモンの腹心と呼ばれるゆえんは、彼には勝利するちからがあるからだ。


「あたしは若先生の弱点だよ。突けば絶対に若先生を怒らせる最悪の人質。あんたはどっかの酒場でグチグチ言ってるだけにすればよかったんだ……」

「むかつくガキだ。まったく腹立たしいね、腕の一本くらい切り落としたっていいんだぞ?」


 ミルディンが突きつけていた剣を振り上げる。一秒とかからずにラトリアの腕を奪うはずだった剣が砕ける。


「な!?」


 魔法狙撃銃が連射される。電磁加速されてマッハ三で飛来する三発の聖銀弾がミルディンの両腕と右足を奪った。


 一瞬でダルマにされたミルディンは後悔しただろうか? カツカツとブーツを鳴らしてやってくる、人間の形をした己の破滅を睨みあげている……


「人質を取っても意味がない。それが俺とお前の差だ」

「そう思いますか?」


 ミルディンが嗤っている。おびただしい出血を噴き出しながら狂ったみたいに嗤っている。それは勝利を確信している笑い方だ。


「僕が何の準備もせずにあなたに挑むと、本当に思っているんですか?」

「ラトリに何をした?」

「察しが早い、だからあなたは厄介なんだ。彼女には毒薬を飲ませている。僕が死ねば胃の中でカプセルの封が開く。死ぬまでに二秒とかかりませんよ!?」

「それは困るな」


 リリウスは本当に困っているふうな顔をし、ふと思いついたように質問をする。この凶行はいつの時点から始まったかをだ。


 つまり挨拶周りに行く前にラトリアを誘拐していたか、それともその後にあの仕打ちを恨んでやったかだ。


「前ですが」


 ミルディンが困惑する。この確認に何の意味があるのかわからないのだ。

 リリウスはなぶっている。小馬鹿にして怒らせた方がコントロールしやすいからだ。


「そうかそりゃよかった、何の罪悪感もなくお前を殺してやれる」

「……どうして落ち着いているんですか? まさか毒薬をブラフとでも思っているんですか?」

「いや困ってるよ。お前の狙いがわからないから」


 リリウスは極めて冷静で余裕がある。この態度はミルディンに強い焦燥感を与える。練りに練った策でさえ敵わないなんて、認めたくなかった……


「ミルディン君よ、お前は何でこんなアホをするんだ? こんなんお前の人生がめちゃくちゃになるだけじゃないか」

「……僕がハニーを失ったのにあなただけ幸せになるなんて不公平じゃないですか」


 その答えはリリウスの予想通りであり、だが一番信じたくない回答だ。こんな愚か者でも心配している家族がいる。彼らはミルディンの破滅など望んでいないのに……


「そんな理由で人生捨てたか。減刑のために奔走したご家族の想いは無駄だったな」

「だからどうした……! だからなんであんたはそんなに冷静なんだ!?」

「一応聞いておく、お前大罪教徒と関わってるか?」

「何の話をしている!? あんたの敵は僕だ、僕を見ろ、僕を憎め! 涼しげな顔をするなッ!」


「いやだって秒でダルマになってるし(鼻ほじ)」


 鼻くそを激高するミルディンの面に弾き飛ばしてやった時、工場の裏口から悪そうな連中が入ってきた。冒険者や傭兵ではない、若さとちからを持て余したゴロツキだ。


 ミルディンの顔が一瞬だけ明るくなる。でもどうしてだ? 応援に来たゴロツキはみんなボロボロだぞ?


 ゴロツキのリーダーらしき巨漢が小走りで近寄ってきて、ペコペコし始めた。


「えへへへ、じゃあそろそろ帰りますんで」

「おう、これでご飯でも食べなよ」

「えへへへ、えろうすんまへん。じゃあ」


 ミルディンのお友達のゴロツキどもはリリウスから小銭を貰って帰っていった。その背中を呆然と見送るミルディン……


「何を……?」

「いやだからお前なんか敵にもならないんだって」

「こっちには人質がいる。毒が!」

「人質取られてる時点で治療の用意はしてるから。つか気づいてさえないのか? 人質は今どこにいるかわかってるか?」


 そういえば人質が妙に静かだ。

 ラトリアは縄を解かれ、少し離れたところでコパから治療を受けている。体内のカプセルから毒を除去するだけの簡単な処置でいい。


 鑑定師は医師の側面を持つ。体内の異常を見通せる医師だ、じつに頼もしい。だからリリウスは呆然とするミルディンに再度言い聞かせてやる。


「人質を取っても意味がない。それが俺とお前の差だって言っただろ? 俺を悔しがらせたいんだったらお前は誘拐なんて悠長なことをやるべきじゃなかった、さらった時点で殺さなきゃいけなかったんだ」


「……次からはそうしますよ」

「お前に次はない」


 魔法銃の引き金を引く。聖銀の弾丸が憎しみをまき散らすようなうなり声をあげながらミルディンの頭部を四散させた。


 その瞬間にミルディンの頭上に輝いていたはずの未来は粉々に砕け散った……



◆◆◆◆◆◆



 廃工場の一角でラトリアの治療をしているコパ先生が難しそうにうなっている。その姿には俺も焦ったが毒は問題ないらしい。じゃあ問題は何だ?


「呪術に汚染されていた。だいぶ深部まで入っていたよ」

「まずいんですか?」

「処置した。問題ない」


 じゃあその顔は何だよ。ハゲ先生が難しい顔つきしてるんでラトリアがすっかり怯えてるぜ。先生巨漢だから威圧感あるんだ。だから普段優しそうな顔してんだな。


「先生このおじいさんは?」

「鑑定師のえらい先生だよ。それで先生、何が問題なんですか?」

「ラトリア君がかけられていたのは神聖法術だ」


 古き神々の術法か!


「こんなものをあの貧相な青年がかけられるはずがない。確実に大罪教徒の仕業と見るべきだが、いつの時点で? どうして彼女を狙う? リリウス君を直接狙えばいいじゃないか」


 神聖法術は未知の魔法大系だ。古すぎるがゆえに誰も知らない。だから対処のしようがない。


「浸食はかなり以前に入っていた。大罪教徒はおそらく君の近くに潜んでいたのだ。心当たりはないかね?」

「心当たり……」


 刹那俺の脳裏に浮かび上がったのは彼女だ。

 彼女以外に考えられない。動機なんかどうでもいい。すべての整合性をすっ飛ばして彼女だ。確信がある。信じたくはなかったけどな……


「それ本当に必要ですかね? だって大罪教徒はすでに逃げ去り、俺も明日には高跳びしますし」

「それもそうだね」


 コパ先生が納得したところでラトリアの説得に移る。一人で逃げる予定だったがもうこの町には置いておけない。

 まったく勝手な話だが俺の不始末が彼女に危険をもたらす可能性があるからだ。……この七年間で揉めた奴は星の数、対処して行こうにも時間も顔も思い出せないほどだ。


「ラトリ、俺と一緒にイルスローゼに行こう」


 俺は夢を語って聞かせる。自由の国に着いたら家を借りよう。仕事はまだ考えていないがこっちでみたいな宿をやってもいい。落ち着いたらおやっさんを呼び寄せるのもいい。


 たくさんの夢の話の後でラトリアがおそるおそる尋ねてきた。


「本気?」

「俺はいつだって本気だ。愛してる、たぶんずっと前から」

「若先生……」


 ラトリアと抱き合う。すると横合いからハゲの視線が……


「あのね、そういうのは後でやりなさい」

「先生空気を読んで帰ってもいいんですよ?」

「そういうわけにはいかないだろ。私はこの町の地理に疎い、ここからどうやって宿まで帰ればいいのかもわからないんだよ」


 それもそうだな。昼間ならともかく夜の祈りの都は迷路みたいなものだ。観光客は大抵迷う。

 ラトリアにずっしりと重い革袋を渡す。コーネリアスからパクってきた大金だ。


「ラトリ、先生を案内してやってくれ」

「若先生は……?」

「俺はミルディンの始末をつけてから合流する。すまないが荷づくりもおやっさんとの別れもさせてやれない。今夜は先生から離れるな。先生はラトリアをお願いします」


「心得た。くれぐれも無茶はしないように」

「明るい未来のために頑張るだけですよ」


 先生とラトリアが行ったのを見届けてから魔法力を解放する。


 まっとうな魔導師なら日常的に魔力は抑えておくもんだ。広域魔力探査で居場所が筒抜けになるし様々な悪意の標的になりやすい。だから魔法力を解き放つ。俺はここにいると指し示すために!


 小一時間もミルディンの死体と共にのんびりしてたら大罪教徒がやってきた。とびきりの悪意を香水みたいに振りまいて、片方しか立っていない入り口の扉から中の様子を窺っている。


 その愛らしく無垢な表情に何度騙されてきたか。何人が毒牙に掛かってきたか? まったく大した小悪魔ちゃんだぜ、逆にどんな手管なのかハニトラしてほしかったくらいだ。


「一応理由的なの聞いてもいいかい?」

「理由ですか?」


 するとユイは天使みたいに愛らしい微笑みでこう言う。


「私自分より幸せそうな女の子見ると殺したくなるんです♪」


 最高の動機だな、殺す以外の選択肢がないほどに!


 反射的にぶっ放した魔法銃は外れた。足音は聴こえないが工場の周りを回っているらしい。


 彼女の武器はオリハルコンのモーニングスターだ。つまり裏口に回る必要はない、縫製工場の壁をぶち抜いて俺を殺せる。うん、ここのポイントで戦うと死ぬわ。場所どりチェンジ、飛翔魔法だ!


 工場の天井をぶちぬいて―――ユイに抱きしめられちゃったぜ。屋根で待ち構えてるとか……


「は~い、おりこうさんですね!」


 しかもめっちゃ舐められてるなこの態度!

 でもサバ折りみたいに腕がキマってて抜け出せねえ!? さすがドラゴンにダメージ通せる女、腕力が桁違いだ。


 方針変更、会話で気を逸らす!


「ちなみにどうして屋根だとわかったの?」

「私もリリウスもまっとうな戦いの嫌いな奇策タイプじゃないですか。だから偶然です♪」


 偶然か……

 さては相性100%だな? 結婚しよう。


「さぁてどうやって殺そ―――」


 とか言いかけたユイの重心を前後に揺さぶって足をかけ、そのまま背中から押し倒す。


 高レベル戦闘者だろうが二本の足で立ってる生き物なのに変わりはない。二足歩行ってのは絶妙なバランスで成り立っている、それこそ実現している人型ロボットのほとんどが車輪移動に頼るほどに。


 柔道ってのはそうしたバランスを崩すために技術だ。対魔物用の武器戦闘術ばかりが流行っているこの世界では柔道もまた有効だ。何しろ人間を投げる技だけを何年もひたすらに練習している奴なんて存在しないからな。

 柔道もまた神聖法術と同じだ。マイナーすぎて対処法が確立されていない。


 可愛らしい悲鳴をあげて倒れたユイの腕が緩んだので、俺は自由になった腕で自らの腹めがけて魔法銃をぶっ放す。


 ゼロ距離で射出された聖銀弾は俺の臓物とユイの臓物をばら撒いていった。強壮薬飲んでなかったら一発で意識持ってかれるレベルの痛みだ。何しろ腹に大穴が開いてる。


 俺らはそのまま屋根から落ちていって工場の床に叩きつけられた。俺が立ち上がりながら連射した魔法銃はかわされる。でも相当なダメージだな。何しろ腹に大穴開いている!


「いきなり自殺戦術とか思い切りよすぎる!」

「雷竜と戦う女の相手をしてるんだ。命くらい投げ出さないとな!」


 というのは嘘で事前にリアナの神薬を口に含んでいる。効果時間はわからないが十分は見込んでいる。その間に決めたい。


 しかし回避行動をし続けるユイのお腹の大穴がみるみる治っていく。嘘だろ……


「きたねえ、回復魔法か!?」

「元アルテナ神官ですしこれくらいできます」


 いや無理だろ。臓器の欠損なんてスペシャルポーションの領域だぞ。そりゃ高位の神官なら可能だろうがこんな短時間で、しかも戦闘行動しながらできるはずがない。


「って、あなたも治ってるじゃないですか!?」

「俺は卑怯者なんでね、事前に神の妙薬を飲んでいる」

「私も欲しい! どこで買ったんですか!?」


 緊張感に欠ける女だ。しかしまずいな、そろそろカートリッジの24発が切れるぞ。


 弾切れ寸前の魔法銃を投げ捨てる。その瞬間にモーニングスターの鉄球が飛んできたの回避だァー!


 横に転がって懐から抜いた小型魔法銃を連射する。腕と足を撃ち抜かれたユイがそれでも前進してきたがのどに集中して五発くらったところで後退してった。

 サッと木箱の裏に隠れたユイは相当怒ってそうだぜ。湯気が見えてるもん。


「卑怯! ずるい! それ何発撃てるんですか!?」

「十七発」

「!?」


 本当は七発だけど盛っておこう。


 カートリッジを交換しながら銃撃を適当に撒いておく。そのまま狙撃銃を拾って木箱越しに狙いを定める。


「他人様の幸せが許せないのなら他人を蹴落とさずに素直に恋人作ればよかったんだ。ここにいい男がいたのに見る目なかったな」


 狙撃銃の引き金を引く。短鳴と共にトマトが潰れたみたいな鮮血が飛び散った……

 勝てた…のか?


 俺は痛む腹を押さえながら木箱の裏に回って確認する。ユイは心臓を撃ち抜かれ、壊れた人形みたいに仰向けに倒れている。……ギリギリ勝ったって感じだ。


「最初に腹をぶち抜けてなきゃどうなってただろうな。お前さ、俺をなぶろうなんて思わずにひと思いにつぶしてりゃよかったんだ」


 感傷だけを置いて立ち去る。

 寸前で踏みとどまる。死んでいるはずのユイの心臓の辺りから闇色の水が湧き出している。異常現象だ。これが何を意味するかはわからない。でも確実に嫌なことが起きる!


 恐慌に駆られて魔法短銃を連射する。ガォン!と凶悪な発射音をがなり立てながら聖銀弾がユイの死体を損壊させていく……


「くそっ、修復ペースの方が早い!」


 ユイの身体的欠損が闇水によって修理されていく。まさか蘇るってのか?


 死者蘇生を求めてこの地へとやってきた。だがリザレクションってのはこんなにも禍々しい輝きを放つものなのか……?

 いやちがう、こんなものがリザレクションであるはずがない。……逃げるか。


「さすが大罪教徒、なんか知らんがやべーな!」


 全力ダッシュで華麗に工場脱出!


 田園地帯をひたすらにダッシュ。この勢いを使って飛翔魔法で―――鉄球が俺の腕を砕いた。


 水田へと墜落する。泥と水に塗れながら転がっていく。肩が燃えるように痛い。

 意識を手放してしまいたくなる激痛の中であぜ道を見上げる。ユイが可憐に微笑んでいる。……俺はまたも失敗したのだと知った。


「気に入った人には必ず一回だけ殺させてあげることにしてるんです」

「安い命だな……」

「死を前にしたらその人の本性が出るから。私はそれが見たいの♪」


 狂ってる。不死身の人間だ、正気であるはずもないか。


 神の妙薬の効果はもう切れている。肉体が回復されない。まったく肩がつぶれたくらいで死にかけるんだから人間なんて脆いもんだ。……たぶん折れた肋骨が心臓に刺さってる。もう長くはあるまい。


 俺はこの期に及んで彼女を嫌な気持ちにさせる十の言葉を思いついた。でも俺は……


「……俺を殺すのか?」

「はい」

「見逃してはくれないか?」

「そうですね、犬のマネでもしたらいいですよ?」


 瀕死の人間に無茶言うぜ。とりあえずワンって言ってやる。


「似てないです! もっと心を込めて!」

「これ以上の芸をお求めならせめて動けるくらいまで回復してくれないと」

「じゃあダメです、殺します」


 まったく最悪だな。命乞いに意味はないとわかっていても命乞いをし、でもなけなしのプライドだけは捨てられない。このどっちつかずの中途半端さが嫌になるぜ……


 ユイの愛らしい悪魔の面を見ていると不思議と記憶がフラッシュバックする。


 ここではないどこか。今じゃない、過去でさえない時に、俺とこいつは戦ったことがある。炎上する城の中で大戦斧で斬りかかる俺と、今はもう懐かしい我が主君と悪友がユイとクラウを相手に戦っている。そんな光景がフラッシュバックしてきた。

 この記憶は何だ? 俺は知らない。すべてを捨ててこの町へ来たんだ。


 記憶の謎に戸惑う俺など余所に置き、ユイが馬乗りになって首を締めてくる。緩いな。最後まで俺で遊びたいってわけだ……


「遺言があるなら聞きますよ?」

「最後にお前を抱きたい」

「それはダ~メ。で、それが遺言でいいんですかぁ?」


 弄んでも隙はない…か。

 ダメだな。これはもう本当にどうしようもない。そもそも地力がちがいすぎるんだ。加えて不死身なんて反則にもほどがある。だから俺にできるのは精々嫌な気持ちになってもらう事だけだ。


「意外と身持ちが固いんだなロキの聖淫婦」

「!?」


 ユイの表情が強張る。指摘されたくないものを指摘されれば精神修養の足りない奴ならこのくらいの顔になるさ。首にかかる圧力は増したけどな。


「どうしてそれを……あなたはドルジアの諜報員なんですか? アルバスはそんなの一言も……」

「お前さ、ロザリアお嬢様に負けて国から逃げてきたんだろ?」

「…………」


「お前の不死身の法もわかっているぞ。お前は死霊だ、自らの肉体に寄生して修繕を繰り返して使っている」


 思えばこのレベルの戦闘者によく聖銀が効いたものだ。いや効き過ぎていた。その時点で気づくべきだった。ミスリルは死霊の弱点だ。ユイが短銃の乱射程度で怯んだ時点で気づいていたら……


「あなたはッ、本当に殺すしかないですね!」


 ゴギンッ!

 俺は自らの首から絶対に聴こえてはいけない音を聴きながら、死に落ちていった。

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[一言] 分岐点は誘拐されて助けられなかった時か 本編では主人公がいたから助けられたけど、助けられずロキのところまで売られて、その結果ここまで闇堕ちしちゃったと。 主人公は何回も繰り返すことで、今まで…
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