第二話 『人が死んだ瞬間』
医務室にあるベッドの上でハルは目を覚ます。
部屋の中は薄暗く、夕暮れ時の寂しげな光が窓から入り込み、あらゆるものの影を濃く、そして長く引き伸ばしていた。
ハルは目に涙がにじんでいることに気づき、体を起こして手の甲でぬぐう。
国防軍の制服の袖を目にした時、ハルの意識は完全に夢から覚め、現実にもどった。
ベッドのそばに誰かがいるらしく、シーツの上に細長い人影が見える。
ハルはごく自然に「リオ」と口にした。なぜ彼女の名を言ったのかはハルにもわからなかった。
こういう時、この場所に彼女がいてくれることを望んでいるからだろうか。
「リオさんは、ここにはいないよ」
聞こえてきたのはリオの声ではなく、サツキの声だった。
ハルはすぐに彼女のほうへ目を向ける。
士官用の制服を着てベッドのそばに立っているサツキの姿が見えた。
じっとハルを見つめる彼女の目には、やはり表情が見られない。
ハルはどう反応すればいいかわからなくなり、そのままサツキと向き合っていた。
「君は、どうして泣いているの?」
サツキに言われ、ハルはまた涙がこぼれていることに気づいた。
「泣いちゃうほど、私がこわい?」
ハルは首を横に振り、涙をぬぐう。
顔を赤くしながらも、ハルはサツキに言った。
「どうして……、サツキさんが、ここにいるんですか?」
「研修生の人達は死体の処理を済ませて、今は宿舎で休んでる。キョウカは他の守備部隊と共同して防衛区域全体の特別警戒にあたっていて、トウイチは今回の事件の処理のため国防省の支局へ出向しているの。だから私が君の面倒を見ている。もともと今日の午後は、君と実戦訓練をする予定だったから。訓練のほうは、明日に繰り越しになっちゃったけど」
「そう、ですか……」
「あと、君が倒れた後のことは私から伝えたほうがいいって、キョウカに言われたから」
それは言わない方がいいなと思った時、ハルの頭に昼間の出来事がよみがえった。
憎悪と殺意がむき出しになった老人の顔。
それが一瞬のうちに弾け飛び、肉の塊や骨のかけらが、血と共にぶちまけられる。
ハルは初めて、人間が死ぬ瞬間を目の当たりにした。
粉々に砕け散った骨と肉の残骸、色、におい。血と肉の生々しい臭い。
死の記憶が確かな感覚を伴ってハルの頭に、心によみがえる。
同時に猛烈な吐き気が彼を襲った。
ハルは両手で口を押え、前かがみになり吐き気をこらえる。
内臓が締め付けられ、喉の中が圧迫され、鼻が詰まり目の奥が痛んだ。
いっそのこと吐いてしまえばどんなに楽になれるだろうとハルは思う。
しかしハルはこらえた。どうしてかはわからないが、サツキの目の前でこれ以上自分が弱っている姿を見せたくなかったからだ。
「大丈夫?」
サツキはハルの背中をさすろうと手を伸ばす。
しかしハルは彼女の手を振り払った。
サツキは特に動じることなく、ハルの様子を見る。
「……洗面器、持ってくるね」
ハルは彼女を引き止めるように「大丈夫、です」と言った。
「その、さっきは、すいません……。気が動転してて」
「気にしなくていいよ。私も気にしていないから」
サツキはベッドの上に腰を下ろし、窓の外を眺める。
ハルはサツキの横顔を見ながら吐き気がおさまるのを待った。
背中を向けないのは、彼女なりの気遣いだろうか。
日が落ちてきたらしく、部屋の中はだんだんと暗くなっていった。
それでもハルは明かりをつけようとせず、サツキも動こうとしなかった。




