表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Suite ~君の名の、組曲~  作者: AZURE
Capriccio
15/23

♪Eps.11.6(Another Stories of Suite)










 「ちょっとホームシックになった」


 それは数日前のこと。そう言って笑った友人は、俺の家に遊びに来ては、ピアノの隣で何かに憑かれたかのように楽器の練習をしている。

 その夕方、ここ最近の彼にしては珍しく、「会いたい」と電話をかけてきた。まるで恋人同士のようなやり取りだけれど、それだけ信用してくれているということなのだ。素直に嬉しかった。

 壁にかけた白いシンプルな時計を見ると、深夜の11時10分を過ぎていた。彼はここに来てから6時間は、飲まず食わずトイレも行かずにヴァイオリンを弾き続けている。集中力が並大抵のものじゃない。さすが幼い頃から鍛えられていただけある。

 「耀、もう音出し出来る時間は過ぎたぜ」

 声をかけるのも躊躇ったが、このアパートは11時までしか音を出せない。防音の設計にはなっているが、完全に音をシャットアウトするわけではないので、夜中に練習することはできないのだ。

 「あ、ああ」

 6時間目にして初めて楽譜から目を離したのか、彼は慌てて時計を振り返った。

 そしてタイムスリップでもしたかのように、素っ頓狂な声を上げる。

 「えー…もう11時」

 「そうだよ。よくずっと続くな」

 「…ん」

 俺はコーヒーを淹れながら、耀が片付けする後ろ姿を眺めていた。弦を拭く音が、耳につく。

 「さっき飯でも食うかって聞いたんだけど、全然聞こえてなかっただろ」

 「…え、まじ」

 「大マジ。あまりにも集中してるんで、深入りはせずに一人で食べさせてもらったけどな」

 「何だよ言えよ」

 「言ったろ」

 あ、そっか、ととぼける友人は、穏やかに微笑んでいた。しかし、どこか寂しげだ。

 いつもこの表情にやられてしまうんだ。守ってあげたくなる。すべてを俺に、預けてほしくなる。

 そんな日は、来るのだろうか。


 耀には謎が多い。

 彼は若い父親(真一さん)と二人暮らしをしているけれど、彼らは血縁関係ではない。いわゆる養子縁組をして成立した家族らしい。

 それなら本当の家族はどこにいるのだろうか。耀はどこから来たのだろう。

 ニ年間一緒にいたけれど、双子の弟がいると知ったのもついこの間。

 耀には謎が多すぎる。

 あまり自分のことを言いたくないようなので、俺も進んで聞くこともない。

 親友という立場をやらせてもらっているけれど、それならもっと耀のことを知りたいと思う。


♪♪♪


 …ん…うっ……。

 深夜、明かり一つない部屋に、苦しそうな息づかいが響く。

 ベッドの下で雑魚寝していた俺は、すぐさま飛び起きた。

 「…やめて……けて…っ…」

 ベッドの上に眠る彼は、蚊のようにか細い声で、魘されていた。俺はすぐに電気をつけ、眉間にシワを寄せ額に汗を浮かべている彼を、荒っぽく揺すり起こした。

 「…耀、大丈夫か!?」

 彼は昔から夢見が悪い。今までも何度もこうやって起こしてきた。

 酷い時には起きて吐いてしまうこともある。

 「耀、耀!」

 身体を小さく丸めている友人は、パチっと目を開け、こちらを向いた。走ったわけでもないのに、張りつめた表情のまま、肩で息をしている。

 「…大丈夫か!? 凄く(うな)されてたぞ」

 「翔…っ」

 俺の顔を見て安堵したのか、まぶたに涙が溜まっていく。しかしそれもつかの間のことで、急に頬が固くなったと思えば、ベッドから飛び起きた。そして足をもつれさせながら、トイレへ直行。

 ああ、また吐いちゃったか。

 今日は格段ひどい夢を見ていたらしい。

 何が彼を苦しめるんだろう。少し前まで夜のイケナイ仕事をしていたとも聞いた。

 それって…児童売春? てことは性犯罪? 児童福祉法とか児童ポルノとかよく知らないけれど、おそらく法に触れそうなことだ。

 なぜそんなことに手を染めたんだろう。耀の育った環境は、そんなにも劣悪だったのだろうか。


 「…大丈夫か?」

 いつものように様子を見計らい、彼の元へ歩み寄った。

 獣は、洗面台の上でぐったりしている。

 「…ごめん……」

 「気にするな。夢見が悪いのは相変わらずなんだな。これは泊めて正解だったかも」

 少しでも気が紛れればと、耀の骨張った背中をさすった。手を触れた身体が熱い。

 しばらくして落ち着いてきたら、彼を担ぐようにして、部屋に戻った。

 ベッドに座らせ、俺もその隣に腰掛け、彼の頭を肩に載せさせた。髪を撫でてやれば、汗ばんでじっとりしていた。

 

 「…落ち着いてきたか?」

 「…ん…ちょっと」

 「どんな夢見てた?」

 「……分からない。自分でも不可解極まりない夢だった」

 「…そうなんだ。いつになったら悪夢を見なくて済むんだろうな」

 彼の過去はどんなものだったのだろう。知りたい。

 「…分からない……」


 耀が完全に寄りかかってきた。疲れ切った身体を、投げ出すように。

 そして目を瞑った。長い睫毛が震えていた。

 俺はそれを至近距離で眺めていた。目鼻立ちがくっきりした美しい獣は、確かに、人を誘惑できそうなくらい、可愛い顔をしている。

 でもこんなに肩を震わせて、身を売ったりする姿は想像もできない。

 むしろ、想像したくない。こんなに可愛い人なのだから。


 手の掛かる獣。でもそのいじらしい性格と、見目の美しさに、関わったものは皆、逃れられなくなる。

 自分もそうだ。初めて顔を合わせた時から、常に頭のどこかで、彼の姿がちらついてしまう。その稀有な存在に、関われただけでも幸せだと思ってしまう。

 これも最近気づいたことだけれど、自分も周りの奴らと同じように、耀に惚れてしまっているのだと思う。それは恋愛対象と言う訳でもなくて、庇護欲なんかに近いけれど、いつも彼のことが気になってしまうんだ。気づけば彼のことばかり考えてしまう。

 でもこれはおそらく彼には言わないだろう。ずっと親友という立場を貫いてきたのに、いまさら恥ずかしいだろ?

 その代わり、親友という立場を存分に使って、出来る限りのことはしてあげたい。そして、彼を狙い、困惑させる全てから守ってあげたい。


 彼をもっと知りたい。守りたい。

 どうしたら、彼を安心させることができるのだろう?

 自分には、何が出来るのだろう。


 これから数週間して、俺たちの関係が大きく変わってしまうことを、この時誰か知っていただろうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ