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Suite ~君の名の、組曲~  作者: AZURE
Capriccio
13/23

♭Eps.11

 身体測定とやらが終わり、雑用がほとんどの委員の仕事から解放された後は、屋上にて時間を潰していた。屋上階のドアには鍵が掛かっていたが、得意のピッキングで開けた。

 5階建ての屋上から眺める景色も、それほど悪いものではなかった。学校が高台にあるので、遠くまで見渡せるのだ。一千万、何十億もの建物がぎゅっと押し固められたような地形の向こう側には、地平線に生えるように山脈が連なっている。ちょうど日が暮れる頃で、その山脈がシルエットのようになり、ひとまずそれを眺めていれば心が安らいだ。

 耳をすませば、足音がする。コンクリートの階段を、誰かが段を抜かずに一段一段真面目に登ってくる。フェンスにもたれながら、これは他ならぬ(あいつ)の足音だと、ぼんやりと分析していた。

 ドアがギシギシと音を立てて開くと同時に、足音が止まる。きっと、俺の姿を確認していたのだろう。

 なぜかそこからは、ヒタヒタと足音を忍ばせて近づいてくる。後ろを向いていたって、あいつの考えていることは手に取るように分かってしまう。

 「…待て」

 近づくな。ここまで来てもなお、ささやかな抵抗。

 「え」

 何で気づかれたんだと言わんばかりに、間抜けな声が返ってくる。

 「…よ、ヨウ…」

 後ろの自分は、きっとぽかーんと口を開けてるに違いない。振り返って、フェンスを背にして見てみたら、案の定、思った通りの反応をしていた。

 3年ぶりに目にする、双子の弟。久しぶりという感じもするし、毎日鏡を見ているせいか、見慣れている気もする。

 弟は、怪奇現象を目の当たりにしたような表情でかたまっていた。しかしそれも安堵の表情に変わり、しまいには(よろこ)びに駆け寄ってくるところだった。

 「待て」

 歓んでもらっては困る。嬉しがられても困る。

 弟は言われたとおりに「待て」をし、涙目で訴えてきた。

 「耀、僕だよ、聖だよ」

 「……」

 そんなの知ってる。

 顔が同じなくせして、血が繋がってないなんて思うわけがない。

 ただ、おまえが近くにいると知って、どうやって遠ざけようか考えているんだ。

 「―…清塚 聖…」

 考えがまとまった末、弟の名を、今では全く別の苗字から呼んだ。片割れは、目を赤くしながら、こちらをじっと睨んできた。

 「…久しぶりだな」

 「耀…――」

 「大きくなったな…」

 それにしても懐かしい。最後に見たのは中学に上がる前頃だろうか。

 今だけは、どうか、一緒にいることを許してほしい。

 これからは、そいつと肩を並べて歩くことすらないのだから。

 「――っ、今までどこに行ってたんだよ!? すごく心配したんだよ!?」

 抑えていた感情が爆発したのか、弟は詰め寄って俺の胸元を掴んだ。

 怒り狂った顔が至近距離に迫る。

 「…」

 「僕や母さんたちがどんだけ心配して――母さんなんて、おまえのことで気を病んで、身ごもってた赤ちゃんを流産しちゃったくらいだぞ!!!」

 弟の言葉に、少しだけ回想してみる。確かに、俺があの家から連れ去られる前に、母さんは妊娠していた気がする。

 そうか、今でも兄弟は俺達だけなのか。

 そんなことしか思わない自分に、心の中で嘲笑してしまった。

 「…どこ行ってた…っ、何してた…っ、黙って通せると思うなよ…!」

 睨み合いながら、そのままキスしそうな勢いで顔を近づけてくる。

 心優しい弟は、きっと、生まれてこなかった自分の弟や妹のために泣いただろう。悔しくて、悲しくて。

 でも、もし自分がその場に居合わせたとしても、俺は泣けなかったかもしれない。

 面倒ごとは、一人でいい。 

 「…っふっ、くくっ……」

 いつまでも純情を貫いている弟に、笑いかこみ上げてきた。一瞬、いきんでた片割れの顔が崩れた。

 「な、何笑ってるんだよ」

 「……その赤ちゃんは、産まれてこなくて幸せだ」

 「な…に…」

 弟は、言葉を失っていた。ありえないと言いたげに、焦点の合わない瞳がぼんやりとこちらを見つめている。

 「そのままの意味だよ」

 その純粋な反応が限りなく愛おしくて、俺は笑みがこぼれた。

 可愛い。

 「ふざけるなっ!!」

 怒りを露わにした弟の握り拳が、左頬をストレートに食らう。避ける暇がなかったわけではないけれど、避ける資格はなかった。

 そのパンチは予想以上に重く、どれだけ思いが詰まっているかが嫌でも感じさせられた。

 「何が幸せだよ!? おまえが殺したも同然だろ!? 何年も何年も僕たちを心配させて……おまえはいったい何様だ!? 何をしに家を出て行った!?」

 打たれた頬が激しく痛み出す。感情が高ぶっている片割れは、ぎりぎりと詰め寄り、俺を背後のフェンスに押し付ける。胸ぐらを掴んだ手にも、力が入る。

 しかし、怒られている時は変に冷静になるもので、俺は肩の埃を払った。

 「しらを切るつもりかよ……」

 余裕綽々な兄に、弟は低く唸るように言った。

 まるで猛犬を相手にしているみたいだ。一触即発、少しのことが火種となりかねない。

 「聖、」

 「…何だよ!!」

 「どけよ。フェンスに押しつけられている状態じゃ、話しにくい」

 「そんなの知るかっ…僕は、おまえからすべてを聞くまで離さない…っ」

 若干胸を抑えつけられているため、息ができなくて苦しい。しかし離すどころか、ますます握る力を強められた。

 弟は恨みがましく睨んでくる。憎しみの色で染まった、薄茶色の瞳で。

 そう、俺を悪め。

 二度と近づくな。

 嫌われなくてはならない、好かれてはならないと思えば、何でも出来る気がした。きっと今日が弟と触れ合う最後の日なのだろう。俺はゆっくりと瞳を閉じ、懐かしいぬくもりに浸った。

 「…聖、確かに俺は、謝らないといけないことがある」

 再び目を開けて、弟を見据えた。弟は、俺と酷似した顔を、怒りにくしゃりと歪めていた。

 「…ごめんな、もう俺は兄じゃない。俺たちは兄弟じゃないんだ」

 「…は?」

 「言葉の通りだ。俺はもうおまえとも、あの家とも関係ない」

 多分、意味が分からなかったのだろう。片割れの顔面にそう書いてあった。

 この反応をされるということは、俺の苗字が変わっていることも、おそらく知らないだろう。

 「ちゃんと日本語しゃべれよ。何言ってるか分かんない」

 「だから、俺たちはもう兄弟じゃないんだよ。血が繋がっていてもね」

 「…どういう…」

 「じき分かるよ」

 「分からないよ! だから聞いてんだろ…っ。というより、家を出てから何してたんだ!」

 おまえの知らぬことだよ。きっとこれを聞いたら、軽蔑されるかもしれない。

 でももう最後だから。

 「……聞きたい?」

 「聞きたいに決まってるだろ。…それだけ心配してたんだから」

 「…そう」

 俺は感情がスッと霧散していくのを感じた。

 弟の瞳を覗きこみ、少し前までやっていたように、相手の首に手を巻きつける。

 そのまま相手の後頭部を支えるようにして、俺は身を乗り出す。

 何をされているのか理解不能らしい弟は、一切身じろぎしなかった。

 「こういうことだよ――」

 俺は顔を近づけ、その薄い薔薇色の唇に自分のを押し当てた。


 「――…んんっ…んぅっ」

 ぴちゃぴちゃと水のような軽い音と、苦しそうな吐息。

 温かな口内に舌を滑らせ、相手の舌と絡ませる。そのそばで、ねちゃねちゃと粘着質な音も混ざるようになる。

 「――ん…よ…う……」

 初めの頃の身体の硬直は、グズグズに消え失せている。俺はたたみかけるように、上顎を舐めとった。弟はぶるりと身体を震わせ、興奮した鼻息で俺の仕掛けた行為を受け取っていた。

 理性の消え、甘い雰囲気が漂ったところで、唇を離す。長時間口づけていたからか、お互いの唇には、どちらのものとも言えぬ唾液がだらしなく垂れていた。

 「…え?」

 弟は茫然自失といった表情で、こちらを見つめる。

 他で何十回、何万回とやってきた行為。口では言いたくないけれど、行動でしめすのは容易い。

 「…分かるだろ? 家を出てからは、これで生計を立てていたんだ」

 片割れは、何のことか見当もつかないのか、目を丸くしたまま固まっている。その反応を見て、まだ穢れを知らないのだと、内心安心する。

 「…え、…え??」

 無理もない。弟にとって「売春」の二文字は、あまりにも現実からかけ離れすぎている。

 「分からないならいいよ、そのままで。どうせぬるま湯育ちのおまえには分からないだろ」

 「は…」

 「今言っただろ。もう俺は、前のいい子ちゃんぶった兄ではないんだ。もう、俺とは関わるな」

 「意味分からない」

 「馬鹿だな。ならもう一度言う。もう二度と俺に話しかけるな。目障りだ」

 片割れのでかい図体を押し退け、制服についた汚れを払い、逃げるようにそこから離れた。弟から離れたい。これ以上一緒にいると、俺自身の自制が効かなくなる。

 「待って!」

 半開きになった校舎のドアまで行ったところで、弟が駆けつけてきた。とおせんぼをするように、前に回り込んで両手を広げられる。

 「…何」

 もうおまえとは関わりたくない。関わっていはいけない。

 おまえまで、穢れてしまうのだから。

 「…何でそんなこと言うんだよ!? 何があったんだよ!? …何かおかしいぞ!?」

 「何が」

 「僕の知ってる耀じゃないっ…」

 「だからそう言ったろ。物分かりの悪いやつだな。…どけっ」

 「どかないっ」

 弟をどけて中に入ろうとしても、片割れは俺の前に立ちはだかって頑として動こうとはしない。無知とはたまに鬱陶しいものだ。

 「……あのな、聖、」

 「どかない。…耀が何と言おうと、僕は耀が話してくれるまで追いかけるから」

 「…はいはい、好きにしろ」

 「……何だよ、それっ…」

 いよいよ弟の堪忍袋の緒が切れたのか、ブチッと音がしたのが聞こえた。怒り狂った弟は、また泣き顔になりながら、俺を引っ掴んだ。

 「おまえ、それで許されると思っているのか!? 今までの不祥事はそれで水に流せると思ってんのか!?」

 …うるさい。本当に、まとわりつかないでほしい。

 昔抱いていた感情がぶり返す前に、早くここを立ち去りたい。

 「聖、お願いだから俺に構うな」

 「構うよ!! 僕の片割れだもん!!」

 構うな。鬱陶しい。

 「……あのな」

 俺は弟の腕を掴み、勢い良くドアに押し付けた。それまで半開きになっていたドアは、ガチャンと音を立てて閉まる。

 こちらが不機嫌そうな態度からか、弟は恐怖の色を浮かべた。俺は最後の忠告をするため、顔をギリギリまで近づけた。

 「…俺に犯されたいのか」

 「…え?」

 「俺は今更おまえたちに赦しを乞おうなんて思ってないし、そういう人間なんだ。生憎おまえと住んでいる世界が違うんだ。もう俺と関わらない方がいい」

 先ほどの噛み付くほどの威勢はどこにいったのか、弟はすっかり大人しくなってしまった。

 俺はそいつをどけて、校舎の中に入った。そこからはほとんど逃げると変わらないくらいの速さで、その場から立ち去った。

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