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28.(笑)ではなく(仮)

「ノブさん!」


 エヴァンが加勢しようとした瞬間、別の角度から巨大な雪塊がレティシアを狙って飛来した。さらにノアの背後には、ゆらゆらと雪霊(ホワイトレイス)の靄が揺れている。


 エヴァンの判断が一瞬遅れる。


 だが、ノアの指先が動いたのを見た瞬間、彼は迷いなく魔法で雪塊を砕いた。

 そして次の瞬間。


「……暗黒……無限剣!」


 ノアの全身から流れ出る瘴気が空中で結晶化し、無数の剣へと変貌する。


 夥しい数の刃が、雨のようにノブを狙った氷狼(フロストウルフ)雪男(イエティ)、雪霊……さらに周囲に集結していた魔物たちへと降り注ぐ。


 漆黒の刃に貫かれた魔物たちは一様に力を失い、雪の上に転がり寝息を立てて深い眠りに落ちた。

 それまで微動だにしなかった氷竜(フロストドラゴン)も、降り注ぐ闇の剣を回避せざるを得ない。


「……やるね、暗黒無限剣(笑)」

「(笑)ではなく(仮)だ。もっとカッコイイ名前を考える」


 深い隈の浮き出た顔で、ノアは気怠げに言い返す。

 さすがに不眠3日目でこの技を使えば、蓄積される睡魔の量が膨大すぎて意識が一瞬遠くなりかけた。

 しかしノアは、少しの期待を込めて横目でレティシアを見る。


 先ほどノブを褒め称えていた時のように、キラキラとした羨望の眼差しが自分に向けられているだろう――そう、予想していた。だが。


「ノブ様、大丈夫ですか!?」


 レティシアは血相を変え、未だ雪の上に崩れ落ちたままのノブへと駆け寄っていた。


「ああ……大丈夫だ。剣が足に触れてしまって……痛みはないのだが、感覚がなくて動かないんだ」


 ノアの魔法剣は、肉体に触れるとその部位を強制的に睡眠状態に陥らせる。しばらくの間、麻痺したように動かなくなるのだ。

 レティシアは、腕の力だけで地面を這うノブの体の下に自らの細い肩を入れ、彼を支え上げた。


「レティシア……すまない。こんな情けない姿、君には見せたくなかった……」

「いいえ。私にできることなら、何でもさせてください」


 金髪碧眼の主演俳優に寄り添い、慈愛に満ちた表情を浮かべる美しき王女。

 白銀の世界で、あまりにも絵になりすぎる光景を目の当たりにして、ノアの手の中の剣が嫌な音を立てて軋んだ。


「……ノア。一応確認するけど、敵が誰だかわかってるよね……?」

「ああ、わかっている。あの白い歯を、一本残らずこの闇で黒く塗りつぶしてやる」

「全然わかってな――」


 完全に矛先を履き違えて、ノブの方へ歩き出すノア。それを止めようとしたエヴァンだったが、突如肌を刺すような殺気を感じて振り返り、咄嗟に魔法陣を指で描いた。


「【煉獄炎舞】!」


 蒼白い炎を纏った竜のような豪炎が、エヴァンの頭上で燃え盛る。

 氷竜が放った無数の氷の矢を、大きく口を開いた炎の竜が次々と飲み込んでいく。

 そのまま氷竜をも飲み込もうと炎が迫るが、心臓を震わせるような氷竜の咆哮が、炎の竜を一瞬で消失させた。


「ただの道化の集まりかと思ったが、そうではなさそうだな」


 氷竜は不快そうにエヴァンを睨みつけた後、周囲で無防備に寝息を立てる配下たちを見渡した。


「この妙な力はなんだ。ただ眠っているだけのようだが……これほどの魔の力を持ちながら、なぜ人間の味方をする?」

「おい、レティシアから離れろ! お前が触れると不愉快だ!」


 氷竜を完全に無視して、昏い瞳を妖しく光らせながらノブに迫るノア。その背後では、主人の苛立ちに呼応するように瘴気が膨れ上がっている。


「今癇癪を起こすとややこしいから、やめてくれよ……?」


 エヴァンの懸念を他所に、ノブは明らかな敵意を向けてくるノアを見据え、唇の端を上げて笑みを浮かべた。


「只者ではないと思っていたが、まさか魔族の血を引いていたとはな……卓球や将棋で勝てないはずだ」

「その勝負に血は関係ない。お前が下手なだけだ」

「すぐにでもその邪悪な血を断ち切ってやりたいところだが……うぅっ……!」


 ノブは自由の効かない足に力を入れようとするが、膝から下が異様に重く、バランスを崩してレティシアにもたれかかった。


「ノブ様……!」

「レティシア……いや、ティア」


 彼女を愛称で呼んだその声に、ノアは無意識に剣を強く握り直す。それを知ってか知らずか、ノブは崩れ落ちる勢いのまま、レティシアの膝の上に頭を乗せた。


「少し……ここで休ませてくれるかい?」




 ぶちっ。




 それは、本来聞こえるはずのない音だった。しかしエヴァンには確かに聞こえたのだ。

 ノアの、堪忍袋の緒が切れる音が。


「そこは――俺の場所だ!!」


 次の瞬間、晴れ渡っていた空に暗雲が立ち込め、不吉を感じ取った鳥たちが悲鳴を上げて一斉に木々から飛び立った。


 ノアから溢れ出していた瘴気が、バチバチと黒い火花を撒き散らしながら膨れ上がる。魔力は唸りを上げ、黒い渦を巻き起こしながら天を突き上げた。

 眠気に微睡んでいた目には血のような赤黒い光が爛々と宿り、その焦点は定まっていない。


「なんだ……!? この凄まじい魔力の放出は……」


 氷竜は、目の前で弾ける黒い火花を氷の尾で薙ぎ払おうとした。しかし、その小さな火花に触れた瞬間、氷の尾に音を立てて亀裂が走る。


「ち……っ!」


 狼狽し、即座に尾を引くと同時に氷の矢を放つ。放たれた矢はノアの周囲で渦巻く火花と衝突し、相殺された。


「始まっちゃった……」


 エヴァンはこめかみを押さえ、この最悪の状況をどう打開すべきか思考を巡らせる。

 こうなればもう、ノアに言葉は届かない。彼が魔力を使い切って倒れるか、もしくは――


「ノア様! もうお休みください! 私は……ノア様のそのような痛々しい姿は、もう見ていられません!」


 何が起きたのかわからず唖然としているノブの頭をそっと膝から下ろし、レティシアはノアに向かって両腕を広げた。

 暴走を始めたノアを眠らせることができるのは、彼女しかいない。


 だが。


「っ! ティア様!」


 氷竜がレティシアに向かって氷の矢を放った。

 エヴァンは走りながら、その矢が彼女に届く前に魔法で撃ち落とす。氷竜に反撃しようと手を掲げたが、鼻先でノアの火花が弾け、咄嗟に上体を反らして回避した。


「ふっ……はははっ! 最悪な三つ巴になったな!」


 氷竜は笑いながらノアにも冷気を放つが、この状態のノアはどんな魔法も己の魔力で相殺する。

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