プロローグ
空が、がしゃんと落ちてきたのかと思った。
音は消え、光も失われてしまった。
ただ、絶望を象ったような圧倒的な暴力が世界を塗りつぶし、わたくしを瓦礫の底へと叩きつけた。
……キーン……。
耳の奥で、ひどい耳鳴りが鳴り響いている。
血と泥の匂い。土埃の味。そして、全身を押し潰すような重圧。
「……ヴェラ! ヴェラ!!」
「いやだ……! 死なないで……!」
「絶対、死なせないから!! 約束したもん!!」
誰かが泣いている。
とても小さくて、温かいものたちが、血に濡れたわたくしの身体に必死にしがみつき、命を繋ぎ止めようと光を放っている。
ああ、精霊たちだ。
彼らが泣き叫ぶ声が、遠く深い水底から届くように響いてくる。
わたくしは、重い瞼をゆっくりと開けた。
視界は灰色だった。
かつて美しい白壁が並んでいた王都は、見る影もなく崩れ去っていた。
瓦礫の山。荒れ狂う嵐。そして――。
目の前に、わたくしの「左腕」が落ちていた。
肩の付け根から無残にねじ切れ、石畳の上に転がっている。
そこから血は流れていない。なぜならそれは生身の腕ではなく、精巧に作られた『ゴーレムの義肢』だからだ。
けれど、それを失った生身の胴体からは、絶望的なほど鮮やかな赤い血が流れ出し、冷たい雨水に溶けていく。
(ああ……そうだ)
わたくしは、普通の人間じゃない。
錬金術師によって造り出された、ホムンクルス。
かつては心を否定され、ただの『消耗品』や『失敗作』として扱われてきた、紛い物の命だ。
「……」
唇を動かしても、声は出ない。肺が潰れ、空気が血の泡となって漏れるだけだ。
首だけを微かに巡らせて、仲間たちを探す。
結界の向こうに、「災厄」がいた。
黒い霧をまとい、天を突くような巨体。世界そのものを憎んでいるかのような、圧倒的な殺意の塊。
私たちが挑み、そしてすべてを砕かれた、絶望の象徴。
「ウオオオオオオオオッッ!!」
嵐を裂くような絶叫が聞こえた。
ハルトの、あるいはサイの声だ。怒りに狂い、悲しみに喉を裂き、それでも抗おうともがく仲間たちの声。
(だめ……みんな……)
逃げて、と言いたかった。
わたくしは所詮、造られた偽物の命。ここで散って、ただの泥や瓦礫の一部に還る。それがきっと、出来損ないの人形に許された唯一の正解なのだ。
諦めにも似た思いが、脳裏をよぎりかけた、その時だった。
カラン。
砕けた石畳の隙間で、小さな乾いた音がした。
わたくしの胸元からこぼれ落ちた、“白き竜の鱗”。血と泥にまみれながらも、かすかに淡い光を宿しているそれを見た瞬間。
(……いやだ)
胸の奥――温かい血が脈打つ心臓が、きゅっと、引き裂かれるように痛んだ。
『あなたは、ただの“作られた命”なんかじゃない』
あの日、そう言ってわたくしの心を認めてくれた人たちがいる。
わたくしの命は作り物かもしれない。けれど、この胸を焦がす狂おしいほどの愛おしさだけは――絶対に、偽物なんかじゃない。
(まだ……会ってない)
(あの子に……まだ、「おかえり」って言えてない)
走馬灯のように、記憶が駆け巡る。
始まりの塔。みんなで歩いた荒野。初めて見た海。
そして、わたくしを血の通わない“ただの人形”ではなく、一人の「母親」にしてくれた、たった一人の愛しい女の子。
「……ヴェラ……」
ふと、嵐の中に懐かしい声が聞こえた気がした。
死の間際の錯覚かもしれない。薄れゆく意識が見せた、都合のいい幻かもしれない。
それでも、その声は、深淵に沈みかけていたわたくしの魂を強く引き戻した。
「……ただいま。ヴェラ」
ドクン。
止まりかけていた心臓が、確かな熱を取り戻す。
消えかけていた翠色の瞳の奥に、再び強い光が宿る。
わたくしは、残された右の義肢で、泥だらけの石畳を強く握りしめた。
まだだ。
まだ、終われない。
こんなところで、死んでたまるか。
わたくしは、ヴェラ。
サイたちが、そしてエリンが愛してくれた、誇り高きホムンクルスだ。
「……ああ、そうだ。わたくしは……」
まだ、言えていない言葉がある。
どんなに身体が砕けても、この命の鼓動が止まるその瞬間まで、わたくしは――。
――『おかえり』を言うまでは、絶対に、死んだりしない。




