無秩序4
(6)
「もう少し・・・これで発病しなければパンデミックを防げる。」
前田正夫は電子顕微鏡の映像を見ながら一人呟き、二十三年前にあの{小部屋}に入った時に始まった人生を思い出していた。
「伸之。どう思う?あそこには絶対に部屋があるはずなんだ。キングは何かを隠している。」
「正夫君、もうやめとこうよ。僕怖くなってきたよ。」
「怖い?俺だって同じだ。新しい事を本当に知るって事は変化するって事なんだ。人間にとって一番怖いのは変化だ。でも、それを乗り越えられるのが人間だ。伸之、一緒に乗り越えよう。お前の協力が必要なんだ。」
正夫は正義から教えられた事をそのまま伸之に言った。
伸之は頭を横に振って言った。
「変化とか知るとか、僕は正夫君みたいに頭が良くないから難しい事は分からないよ。」
「じゃあこう考えよう。キングが元研究者だった事は知ってるよな。」
伸之は頷いた。
正夫も頷き話を続けた。
「あそこにはキングが発明した機器が隠されている。その機器とは、いずれ起こる{世界の危機}をふせぐロボット。そのロボットの操作方法を、先に二人で少しだけ予習する事にしよう。」
正夫は正義が伸之にアジテーション的な事を、毎日呪文のようにすりこまれている事を知っていた。その内容というのが{いずれ起こるであろう世界の危機をふせぐ為に伸之が選ばれた}だとか{世界の危機は何年に起こり世界の人口の四分の三の死者がでる}だとか根拠のない妄想的なものだった。その時は何故正義がこのような事をするのか分からなかったが、伸之を動かす為に{世界の危機}というワードを正夫は利用した。
完全に洗脳されている伸之は頭を縦に振った。
その日の深夜、正夫と伸之は行動した。小部屋は一階にあり、設計図では小部屋までダクトが繋がっていてギリギリ人が一人抱腹前進できる広さだった。正夫は無理に壁を壊して、部屋に入った痕跡を残したくなかったのでそこから潜入することにした。正夫は伸之と二人で懐中電灯を手に、小部屋の隣にある図書室から天井に設置されているダクトに潜り込んだ。以外に簡単に潜り込めた。
正夫と伸之は天井のダクトから出来るだけ音を立てないように飛び降り、周りを懐中電灯で照らした。
長い間密閉されていたと思われる小部屋の空気はよどみ、カビ臭い臭いが立ち込めていた。
小部屋の中は多くの書物が所狭しと並べられていた。正夫は適当な本を手に取り中身を調べてみた。今の正夫には内容を殆ど理解できなかったが、どうやら正義が研究していた論文やその研究資料のようであった。
正夫は思わず声を出した。
「伸之。これはスゲェぞ!このことは絶対二人の秘密だぞ。」
あの時正夫は伸之と他言無用を誓ったが、そんなことをせずとも伸之は他人には喋らなかっただろう。なぜなら、伸之はあの小部屋にあった書物の素晴らしさを分かっていないようだった。
(7)
正夫は正義が児童施設を開設した真相やキル遺伝子研究についても全てあの{小部屋}で知った。が、正夫はその事について正義を責める気持ちもなく、問い詰める事もしなかった。それどころか正義がどのように研究を進めているのか。その方が正夫にとって{意味のある}事であった。
しかし、その安易な考えが伸之のキル遺伝子を第四の環境因子で発動させてしまった。
一九九四年、十九歳の伸之は社交的で愛想のよい優しい笑顔を持つ青年となっていた。
正義の児童施設の出身者の8割は両親から虐待を受け、アダルトチルドレンとして育っていた。支配されると妙な安心感を持つアダルトチルドレンは、正義の思うように行動するよう脳にすりこまれ、児童施設を卒業しても正義が経営する共同生活の出来る寮へ入所していた。もちろん{世界の危機}を信仰している伸之もその中へ入所していた。
また、正夫もその中へ入所していたが、目的は大学卒業の為の低価格住居の確保であった。
正夫と伸之は何故か話が合った。疑う事を知らず素直で優しい伸之に、正夫は心を開く事が出来た。また、伸之も歳は一つ下だが知的で相談事に乗ってくれる正夫を慕っていた。あの小部屋に入った時から、お互い信頼できる仲間となっていた。
そんなある日、伸之に初めての恋人が出来た。恋人の名前は町田亜希子二十三歳。伸之より三つ上だったが、甘え上手で礼儀正しく一緒にいると気分が明るくなる女性だと、正夫は毎晩のように聞かされた。
正夫は愛や恋については本にあった知識だけでピンとこなかったが、伸之の嬉しそうに話す表情を見る事が嬉しかった。
しかし、伸之の幸せは長く続かなかった。
伸之は町田亜希子に母親が重い病気で、どうしてもまとまったお金がいると相談されたらしいのだ。
正夫は町田亜希子と直接接触した事はなかったが、冷静に考えて完全に怪しいと思った。
そんなに重い病気なら保険でまかなう事ができ、普通に働いて入れば払えない額でないはずである。移植など特殊な手術の場合は別だが、それは伸之が貯金している端金では何の足しにもならない。
正夫は伸之には黙って、町田亜希子について調べた。まず身元だが、町田亜希子の所持している車のナンバーから簡単に調べる事ができた。本名は田中アキ二十五歳。しかも恋人がいて、その男に伸之の金を貢いでいるようであった。
正夫は伸之にその事を伝えたが、信じようとせず逆に調べた事を責められた。それ以来伸之と気まずくなった正夫は、二人で会話する事がなくなった。
その数カ月後、伸之は共同寮から姿を消した。時折、寮に闇金融の男が伸之を訪ねてきたが、いないと分かると来なくなった。
その数日後、伸之は田中アキを殺害し逮捕された。警察は三角関係による怨恨事件であるとしてマスコミに発表した。
しかし、伸之と付き合いの長い正夫は怨恨ではないと確信していた。伸之は女に裏切られたくらいで人を殺すような男ではない。
恐らく伸之は何者かに追い詰められ殺人を犯した。狩本と同じように・・・その時の正夫はそう考えていた。
正夫は事の真相を確かめる為、留置所にいる伸之と面会した。
ガラス越しの伸之の眼は、焦点があわない人形のようであった。
「何故こんな事をしたんだ?借金だって働けばなんとかなる額だったじゃないか。そんなに彼女の事が憎かったのか?」
伸之はまどろんだ表情で、瞳は空虚な場所を見つめながら言った。
「正夫君・・・キングと話してたよね・・・世界の危機は来ないって・・・でも危機は来るよ。だって、現に来たじゃないか・・亜希子とあの男は、僕の前で悪魔に殺されたんだ・・・世界の危機はもうすぐ来るよ。」
正夫はその言葉を聞いて、伸之が姿を消した時の事を思い出した。
あの時、正夫はいつものように正義に疑問をぶつけていた。
「キング、なぜ伸之に世界の危機などと嘘を吹き込むんですか?そんな事をして何の意味があるんですか?」
「サムシング・グレートという言葉を知っているか?これはあるノーベル賞学者が言った言葉で{偉大なる何者か?}と言う意味でこの正体は目には見えず、感じる事もなかなかできないが、その学者は確実にあると感じる事ができるらしい。いわゆる霊的なインスピレーションだ。これは志を持って努力したものだけが見える世界で、常人ではまずそれは見えないと私は思っている。しかし、人はそれを努力もせずに見たがるもんだ。」
「そうですね。才能あるものだけが見える世界。俺も見てみたいものです。」
「才能か・・・私は才能という言葉は嫌いでね。自分には才能がないと言って、才能を盾に努力しない奴が多い。私は志と努力さえすればどんな事も出来ない事はないと思っている・・・・話がそれてしまったが世界の危機の話だったね。」
正夫は頷いた。
正義は話を続けた。
「伸之は精神的に弱い人間だという事は分かるね。」
「はい、長い付き合いだからそれはよく分かります。」
「伸之の場合は特に幼児の時に虐待を受け精神が不安定なまま育っている。このままだと精神的に弱い伸之は、日常生活に自信が持てずに、精神が破綻してしまう恐れがある。だから世界の危機という確定した未来を与え、自分はそれを救う英雄の一人だという自信を与えた。つまり、努力をせずにサムシング・グレートを見るチャンスがあると伸之に思い込ませたんだ。そうしないととっくの昔に伸之の精神は破綻していたはずだ。」
「でもいつかそんな事は嘘だとばれてしまう。」
「大丈夫だ。私が言わなければな。」
「永遠に言わないつもりなんですか?」
「いいや、伸之の精神が強くなり、真実を知っても精神が破綻しない時が来たら言おうと思っている。しかし、まだ早い。」
「じゃぁ、狩本についてはどうなんですか?あなたが、あんな事を言わなければ狩本は殺人者になる事はなかった。」
「それは・・私が最後に狩本に伝えた{欲望の抹殺と欲望は悪}という意味を彼はかけ違えてしまった。私は狩本自身にその言葉を伝えたかったんだが・・・彼は異常なほどに自分に対して鈍感で他罰的なパーソナリティーを持った人間だったんだ。」
「他罰的?」
「つまり簡単に言うと、自分の罪は客観的に見れないが、他人の罪は異常なほどに敏感だった・・・それが見抜けなかった私のミスだ。彼には本当に悪い事をしてしまった・・・・。」正義の表情は落胆のそれではなく、二度とこのような事が起こらぬよう決意に満ちたものであった。
おそらく伸之はこの会話のどの部分かを聞いて、誤解し精神が破綻したのだろう。
しかし、もう後の祭りだった。もう伸之の心は破綻し、人生も狂ってしまっていた。
その後、伸之は未成年で、恋人に騙されての怨恨殺人であったという事もあり、懲役十二年の刑が執行された。
そして、正義が消息を絶ったのは、伸之の審判決定の次の日だった。




