【第1話 2】
東の京にある大江戸から遠く北東へ離れた海辺の景勝地――日之立。
雪が降り止み、雲の間から満月が顔を覗かせる。大海からの荒波が打ち寄せる断崖絶壁に佇む別邸「鵜の岬」は、大江戸城の戦火とは無縁の静寂に包まれていた。
大広間の縁側。羽織を重ねた男――日和国の絶対君主である大殿様こと東条直助が大きな湯呑みをドンと床に置いた。
「……なんだか騒がしいな。風の音か?」
「いえ、波の音でございましょう。大晦日の夜でございます。どうぞ心穏やかにお休みください」
平伏する最側近の女が、冷ややかに唇の端を吊り上げる。彼女の名は水根タマコ、ニンジャ系統の霊道士で十二守護神官『子神』の座に就く。
大江戸城に陽動の火の手が上がるよう、大殿を憎む自身の妹と結託し、この別邸の護衛を意図的に手薄にさせたのは、他ならぬこの懐刀の手によるものだった。
大江戸城の戦火と同じく、大殿様は自らの足元が崩れ去っていることに何も気づいていなかった。
あの男が訪れるまでは――。
――サク、サク、サク……。
月明かりの下、雪を踏みしめる音が別邸へと近づく。
「だ、だれじゃ!?」
門番の悲鳴が縁側まで響く。
大殿様が側近の顔を睨みつけたが、タマコの姿はすでに闇へと溶けるように消え去っていた。
入れ替わるように、純金製のキセルをくゆらせ、刀身から血を垂らしながら、ダークスーツの男が一歩ずつ踏み込んでくる。「よぉ……久しぶりだな、大殿様。いや、東条直助」
男の眼はすでに真っ黒に染まり、黄金の瞳が月光に反射する。
塩辛い冷たい浜風が吹き込み、キセルから立ち昇る甘い紫煙をかき消していく。
「しっかし、海風が沁みる良い宿じゃねえか。あんたの最期にはもったいねぇが、致し方ねぇよな」
「貴様は大罪人の石川ゴエモンか……! 死神にでもなったつもりか!」
東条直助は怯えるどころか、かつて戦場を駆けた覇者の眼光を取り戻し、堂々と凄んだ。
「死神だろうが悪魔だろうが、なんだってなってやらぁ! この国が生まれ変わるならな!」
「八咫烏の恥知らず……この虚け者がッ!」
大殿様が傍らの太刀を抜き放ち、烈火の如き気迫でゴエモンへ斬りかかる。
だが、実力差は絶望的だった。
ゴエモンは冷え切った目で大殿を見下ろし、長刀を正眼に構えた。
「近藤流剣法 奥義――《天上天下 唯我独尊》」
男が抱いてきた怒り、憎しみ、絶望、激情のすべてが陰と陽の螺旋を描いて一極に交わるとき、恩人である師の霊魂を宿す刀身が紫電を帯び、大きな円を描く。
「――《無極天元 紫電雷虎》!!」
円の中心から放たれた雷撃は紫の虎となり、空間そのものを切り裂く絶対的な閃光――それは無残にも屋敷ごと、剛情なる君主の肉体を地獄の業火のごとく焼き尽くす。
静寂が戻った瓦礫の中から、男は君主が秘匿していた木箱を見つけ出し、脇に抱きかかえて断崖へと歩み出る。
極東の空――大海原の水平線の彼方から、凍てついた海を紅蓮に染め上げる初日の出が昇り始めていた。それは日和国の未来を暗示するかのようであり、男の真っ黒な眼には無間地獄の業火のごとく映った。
「あぁぜっけぇかな、ぜっけぇかな、日和国よ」
だがしかし、その光景は男を天国へと誘われるよう、とても綺麗だった。
そしてキセルの灰を落とし、君主を討ったその刀を地面に刺した。
「日和の民よ、不死山が晴れるぞ。天晴れ!」
一か月も経たないうちに、男は生まれ故郷を去り、大海の先にある帝国へと向かったのだった。
続きは12月頃に更新予定です!
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