腹ペコトリオ
エリン組には、ふたつのルールがある。
ひとつ、食べ物は必ずみんなで分ける。
ふたつ、エリンの命令は絶対。
それだけだ。
それ以外のことも、大抵はエリンが決めてくれる。
そして、今のコウにとっての問題は単純明快。
めちゃめちゃ腹が減っていた。
✻ ✻ ✻
ひどい通り雨のせいで、午前中はほとんど人間を見かけなかった。
エリン組の三匹も、空を通る大きな橋の下で、雨宿りをしながら待機。
もうそろそろ、食料調達の必要に迫られていた。
ご飯をくれる人間が来るまで、待つという選択肢はない。
「姐御、また軍曹のとこに行っちゃダメですかい?」
「お前、朝も行ってたじゃないか。これ以上軍曹さんに迷惑かけたら承知しないよっ!」
エリンがコウを一喝した。
軍曹だって、この雨じゃ余裕はないはずだった。
ただでさえ、毎日のようにおこぼれに預かっているのだ。
こんな時まで迷惑をかけたくはなかった。
「それじゃ、倉庫前でも見てきたらどうだい」
エリンたちがエサ場にしているのは、軍曹の水門の近くにある倉庫だった。
二階建ての倉庫は、周囲を金網のフェンスでぐるっと囲ってあったが、正面の下の部分が破れていて、実質出入り自由になっていた。
その破れたフェンスの所に、物好きな人間が水とかりかりご飯を置いていってくれるのだ。
「さっき一番に見てきやしたけどまだ空でしたよ」
「ニオイは? 皿のニオイはどうだったんだい」
まだ人間が来ていないのか、それとも誰かに先に食べられてしまったのか。
それを確認する必要があるのだ。
「あぁ……嗅ぐの忘れた」
コウは情けない声を出して、頭と尻尾を同時に垂れた。
皿のすぐ近くまでは行ったが、中が空なのを見てガックリきてしまい、そのままトボトボ帰ってきたのだった。
「まったくあんたは、いっつもそうなんだから」
エリンは腰を下ろして、エジプト座りになると体をくの字に曲げて、後ろ足で耳の後ろを掻いた。
考え事をしたり気分を変えたい時にエリンがいつもやる仕草だった。
「モック、橋の下の公園は?」
「あそこはいつもおひさまが落ちてからだね」
大きな体に小さな声のモックがのんびりと答える。
「コウ、神社の塀の所は?」
「姐御、さすがにちょっと遠すぎまさぁ。途中で飢え死にしちまう」
「なんだい、この軟弱者!」
コウは首をすくめて縮こまる。
パンチが飛んでこないのは幸運だった。
どうやらエリンのアイデアが尽きたようなので、コウは自ら提案することにした。
「とりあえず歩きながら考えましょうや。ここにいても腹は膨れませんぜ」
完全に運頼みだったが、ここにじっとしているよりマシだった。
「そうだね、あんたもたまにはいい事を言う」
たまにじゃなくてちょいちょい言ってるはずだと思ったが、ぐっと我慢するコウ。
空腹に比べたら、これくらいなんてことはない。
「行くよ」
エリンが先頭になって、民家の間を縫うように駆け足で進む。
コウとモックがその後を追う。
川の方から風が、堤防を越えて三匹の空きっ腹に吹きつけた。
一月の冷たく乾いた風が。
✻ ✻ ✻
エリンの後ろを走りながら、コウが言った。
「そういや姐御、こないだの黒チビなんですがね」
「ああ、ジャンボとかいう」
「へい、そいつが東の水門の手前に居付いたらしいですぜ」
「東の……トトは大丈夫なのかい?」
エリンは立ち止まって振り向くと、少し心配そうな表情で訊ねた。
「渡り階段二つ分は離れてるから、たぶん大丈夫でさぁ」
「そうかい。念のため、時々様子を見といておくれ」
「がってんだ、姐御!」
空腹を吹き飛ばさんばかりに大声で返事をするコウ。
「トトといえば、もうそろそろだろうね……」
遅れて追いついたモックが、小さな声で呟いた。
「元気な子を産んでくれるといいねぇ」
そう言って遠くを見るような目をするエリン。
「きっと初めてのお産だろうから、みんなで気にかけてやるんだよ」
コウとモックを交互に見て、きっぱりと言うエリン。
エリンの命令は絶対。
「オレがバッチリ任されやしたぜ!」
またも大声のコウ。
モックの方は、隣で静かに頷く。
「せっかくだから、ちょっと様子を見に行こうじゃないか」
思い立ったら吉日のエリン。
二人の返事も聞かずにすぐ走り出した。
「あ、姐御っ」
コウが追いかけると、モックもゆっくりと走り出す。
川裏の土手に沿って、三匹が駆ける。
雨上がりの地面は緩んでいて、少し走りにくかった。
✻ ✻ ✻
桜の木が見えた所で、エリンは立ち止まる。
遊歩道から川裏に下りる階段の横にある、一本の桜の木。
その木と土手の間の地面に、トトがうずくまっていた。
「姐御……」
「シッ!」
何か言おうとしたコウを遮るエリン。
「眠っているのかもしれないよ」
「たぶん起きているよ」
追いついたモックが言った。
「そうなのかい?」
「お腹に赤ちゃんがいる時は、外でぐっすり眠ることはないはずだから」
「なんでテメーがそんなこと知ってるんだよ」
「コウ! お前はいちいちモックに突っかかるんじゃないよ」
「……」
またも縮こまりながら、ちょっと不貞腐れるコウ。
モックに対する口の悪さは自覚があるので、いつも後から後悔するのだ。
「近づいても大丈夫だと思うかい?」
エリンがモックに訊ねる。
「ゆっくり行けば大丈夫じゃないかなぁ」
「よし、お前たちはここで待ってな。あたしが行ってくる」
またも言うなりさっさと行動に移すエリン。
静かにゆっくりとトトに近づいて行った。
✻ ✻ ✻
トトは木の幹に寄り添うように、丸くなっていた。
湿った土と落葉の独特な匂いと共に、食欲をそそる匂いをエリンは嗅ぎ取った。
「ねぇトト、どんな具合だい」
少し離れた位置から優しく声をかけるエリン。
トトはゆっくり頭を上げると、エリンを視界に収める。
「ああ、エリン姐さん。どうもこうも、ずっと腹が張っててしんどいよ」
億劫そうに答えるトト。
もうすぐ三歳になる三毛猫トトは、お尻に丸いぼんぼりのような尻尾があるボブテイル。
気性が荒いメスとして知られていたが、妊娠してからは大人しくしていた。
「そりゃ大変だね。何か困ってることはないかい」
「困ってること……ああ、そこの余ったご飯食べてってよ。こうなってから毎日すごい量置いてくんだよ。残すのももったいないし」
トトが顔を向けた先には、人間が置いたであろう皿が四つもあった。
「!!!」
さっきの匂いはあれか。
エリンは思わず興奮してしまったが、トトの手前必死に我慢した。
「いいのかい?」
「ウチはもうお腹一杯。それにどうせ夕方にでもまた来るだろうから」
トトの妊娠は、多くの人間からも注目されているらしい。
毎日食べきれないほどたくさん、ご飯をもらっているようだった。
「そんなことならお安い御用さ! あたしらに任せな」
抑えきれない喜びが尻尾に現れるエリン。
自然と声も一段高くなる。
「コウとモックも呼んで構わないかい?」
念のためと、断りを入れるエリン。
「いいよ。ただ静かにしてよ。ウチは暫く休みたいんだ」
「モチのロンだよ!」
言うなり小走りに二匹の所まで戻り、今度は三匹で戻ってくるのだった。
✻ ✻ ✻
「本当だ、こりゃすげぇ!」
トトの残りご飯の山を見たコウが大興奮。
「静かにするんだよ」
「すんません」
エリンにまた叱られたコウだが、今は目の前にご飯があるので全然落ち込まない。
「じゃあ遠慮なくいただくよ、トト」
まだ同じ場所でうずくまっているトトの背中にエリンが声をかけると、トトは耳を一回だけ動かして答えた。
「オレはこっちだ!」
魚の身をほぐしたものと細長いピンクの棒が二本入った皿に、コウが鼻を突っ込もうとする。
「待ちな!」
ビクンと体を弓なりにして尻尾を立てたコウが、すぐにシワシワになって恨めしそうにエリンをじっと見る。
ひとつ、食べ物は必ずみんなで分ける。
残りの皿のうち、ひとつは水で、他はかりかりご飯だった
コウは一番豪華な皿に真っ先に食らいつこうとしたのだった。
エリンがコウの目の前の皿からピンクの棒をひとつ咥えて、かりかりご飯の皿に移動させる。
「モック、あんたはこっちだよ」
モックは頷いて、ゆっくり皿に鼻を近づけ、くんくんしてからかりかりご飯を食べ始める。
「このピンクのはお前にやるから、魚の方を少しもらうよ」
「わかりやした姐御」
コウはエリンが先に魚の身の方をバクバク食べるのをじっと見ていた。
三分の一ほど食べたところでエリンは顔を上げた。
「待たせたね、もういいよ」
そう言うともうひとつのかりかりご飯の方に行ってそっちを食べ始めた。
コウは真っ先に細長いピンクの棒をパクリとやる。
「うめぇ!!」
この棒がなんなのかわからないが、柔らかいのにプリッとした弾力がある歯応え、ツルッとした舌触りに加えて、なにより味が最高だった。
見た目全然魚じゃないのに、ものすごく魚の味するのが不思議だ。
エリンがこれを食べずに、残してくれたことに感謝した。
同時に、モックの方をちらと見て、まだ棒が残っているのを目ざとく見つける。
顔を上げたモックと目があった。
モックならもしかしたら譲ってくれるかもしれないと、淡い期待を抱いた次の瞬間、モックが棒をもしゃもしゃと食べたのを見てコウは絶望した。
仕方なく魚の身の方を食べる。
「こっちもうまいな」
棒ほどじゃないにしろ、食べ飽きたかりかりご飯よりはよほどご馳走だった。
一心不乱にガツガツ食べて、あっという間に平らげてしまった。
皿までペロペロ舐め上げてキレイにする。
それでもまだ腹八分目だったコウ。
モックが水の皿の方に行ったのを見て、モックのかりかりご飯をもらうことにした。
一瞬エリンの視線を感じたような気がしたが、怒鳴られるのを覚悟で食べ続ける。
結局、何も言われなかった。
エリンはモックと同じ皿に顔を突っ込んで水を飲んでいた。
水なんて別にいらない。
雨に濡れた毛をさんざん舐めた後だし、とコウは思う。
コウが皿の縁に残った粒を舌で追いかけていると猫の気配がした。
「あんた、本当に全部食べちまう気かい」
声色からすると全部食べてはいけなかったのだとコウは気付いたが、もう遅かった。
「まったく、食い意地が張るにも限度ってもんがあるだろう」
「すんません」
謝るのは今日何度目だろうとコウは思った。
でもお腹一杯食べられたから幸せだった。
「そろそろ行くよ」
エリンの号令で、三匹は動き出す。
「トト、ごちそうさま。助かったよ」
エリンが去り際に声をかけると、トトはまた耳の動きだけで答えた。
雲間から光が差し始める中、エリンたちは民家の間に消えていった。
✻ ✻ ✻
夕暮れの倉庫裏、いつもの場所。
エリンが来た時、香箱座りをしていたモックは耳をピクピクさせて顔を上げた。
先に来たので、眠って待っていたのだろう。
どこでもすぐに眠れるのは、モックの才能のひとつだった。
「よく眠れたかい、モック」
「ああ、おかげさまで」
「コウはまだのようだね」
そう言うと、エリンもモックの隣に横座りになった。
コウが来たら、軍曹のところに顔を出そう、とエリンは考える。
それまで毛のお手入れでもしよう。
肩口からお腹まで、大きなストライドで舐めはじめるエリン。
天井の橋から聞こえるたくさんの車の音、川の音、飛行機が飛び立つ音。
川の音以外は普通の猫なら驚いて逃げ出すような大きな音だ。
でもここ、翼町の猫たちにとっては日常の音。
眠っていても、微かに聞こえる。
日々の生活の中の、ごくごくありふれた音だった。
そしてまた、腹が減る。
生きるって、そういうことだ。
東京で一番寒くて長い二月の夜が、すぐそこまで来ていた――。
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