28.男装の原因は、常に厄介事の種です
ルーチェはミア嬢の兄、アレンと話した茶会から帰ると湯あみをしてから、手紙を書くため机に向かった。自分から書きたいと思ったのはいつぶりだろう。数ある便箋からアレンに合いそうなクリーム色と茶色が混ざったものを選んだ。ルーチェが趣味半分で集めているレターセットは可愛らしいものが多いので、男性には送りにくい。今日の茶会での礼を書き始めていたら、ノックの音がしてヴェラが入ってきた。
「ルーチェ様、あのドレスですが少し染みが残ってしまうかもしれません。もう少し早くお帰りになられれば、何とかなったかもしれないのですが……」
あの場で水を含ませた布で染み抜きはしたのだが、時間が経つと出てきてしまったのだろう。ルーチェは気に入っていたドレスだったけどと思うが、不思議と残念ではなかった。
「ごめんなさい、おしゃべりが楽しくて。それに、もし染みが残っても置いといて」
「え、でも嫌な令嬢にレモン水をかけられたんですよね? そんなドレスを置いといても……」
ドレスを汚されたのは初めてではない。ワインやミートソースなどもっとひどい時もあり、落ち込んだルーチェを慮っての言葉だった。それが分かった上で、ルーチェは微笑んだ。
「いいの。そのドレスは嫌な思い出じゃないから」
今日の苦しかったことを消してくれるほど、アレンとの時間が楽しく、傷が癒されたのだ。こうやって手紙を出したいと思えるほどに。
「それなら置いておきますが……。それは、話したと言うブルーム伯爵子息への手紙ですか?」
「えぇ、そうよ」
「お嬢様がお手紙を書きたくなられたのはよろしいのですが、妹様のこともあるのでくれぐれも注意してくださいね」
その言葉に、ルーチェは滑らせていたペンを止めた。少女への手紙は完全にルーチェの字だ。そこは考えておらず、文面を最初から読み直す。
「一応、ミア嬢への手紙はライアンの美辞麗句が多い文面で言葉遣いも違うけど……兄妹の間で手紙の見せあいってするものなの?」
ルーチェはしたことがなく、ライアンに届いた恋文など読みたくもない。ヴェラも貴族の兄妹事情は明るくなく首をひねった。
「う~ん、あまりしないとは思いますが、封筒の文字は使用人も目に入るのでそこは気を付けた方がいいと思います」
「そうね。じゃあ、ミア嬢への封筒の表書きはヴェラにしてもらっているから、アレン様へのは他の人にしてもらうわ」
封筒やメッセージカードなど人の目につく機会が多い字は、装飾などに凝ることもあり特別な文字を書く技能を持った使用人に任せることも多い。
「かしこまりました。そのようにいたしますね」
そして、今日のお礼を丁寧につづり、また会える機会があればと締めくくって封筒に入れた。後は任せるため、ヴェラに手渡せば感慨深そうに微笑まれる。
「しかし、お手紙を出せる知り合いが二人も増えるなんて、喜ばしいですね」
「そんな、いくら私に友達がいないからっておおげさよ」
カミラ近衛騎士とも手紙のやりとりが続いている。そして新しく知り合いになったアレンは少女と同じで話しやすい雰囲気がある。最近はライアンの身代わりをして心がすり減っていたため、久しぶりに心が休まった気がした。
だが、その心の平穏を打ち砕くのは、いつも厄介なクズ兄なのである。
翌日。表情を陰らせたヴェラに呼ばれ父親の書斎に足を入れたルーチェは、さらに重苦しい顔をしている両親と、腕組みをして苛立っているライアンという嫌な感じしかしない構図に引き返したくなった。
三人は応接用のソファーに座っており、両親の向かいにライアンが、その隣にルーチェが座る。紅茶の用意もなく、ヴェラも他の侍女たちも下がった。
(え、何かしら。まさか、ミア嬢とのことがバレた?)
二人そろって呼び出されることはほとんどなく、物々しい雰囲気が不安にさせる。隣に座るライアンも要件を知らないのか、長い足を組んでムスッとしていた。
「突然何の用なのさ。僕、これから遊びに行くつもりだったのに。何か国を揺るがすようなことでも起きたの?」
父親の仕事に関わる情報収集ならこの呼び出しにも納得がいく。家族がそろったので、家長である父親が口を開いた。さらさらの艶のある髪は白髪交じりの銀髪で、厳格そうな顔つきをした威厳のある父親だ。
「国にも関係があるが、オルコット家で考えなくてはいけない問題だから二人には来てもらった」
父親はそう言いながら机の上に置いていた羊皮紙を手に取ると広げた。それが目に入ったルーチェに緊張が走る。紙が広く使われているこの国で、羊皮紙を使うのは契約や王宮での儀礼、国家間の親書など限られているからだ。
固唾を呑んで父の言葉を待つルーチェと、面倒事かと渋い顔をするライアン。父親は羊皮紙を金属の重りで押さえ二人に向けて見せると、ライアンに視線を向けた。
「ライアンに、西のナーデル王国から婚約の打診が来た」
「は? ナーデル王国?」
「え、ライアンにですか?」
言葉を返したのはほぼ同時で、ざっと目を滑らせたルーチェは口を開けてライアンと文言を二度見した。そこにはナーデル王国の第二王女の名が書かれている。
「ちょっと待ってください、父上。どういうことですか? なぜ西の大国から突然」
さすがのライアンも面食らっており、不可解な表情をしていた。確かに、自国ならまだしも、なぜ西の大国であるナーデル王国から婚約の話が来るのかが分からない。しかも、オルコット家は由緒があると言っても伯爵家である。低すぎることはないが、王女が降嫁する例は少ない。
(もしかして、西の大国までライアンの顔のよさだけ伝わったの?)
ひとまず自分には直接関係のない要件だったことに安心したルーチェは、傍観者になることにした。母はすでに内容を知っていたようで、困った顔をしている。そして父親は嘆息し、厳しい青い目をライアンに向けた。
「原因はお前の女遊びだ」
「いや、さすがの僕も王女様とは遊ばないよ?」
よく分からない節度を主張するライアンに、父親は頭痛がしたのかこめかみをもんだ。
「……金髪の、田舎から来た令嬢と言えば分かるか」
「え、まさか、あの世間ずれした子!?」
父親が告げた令嬢はルーチェも聞き覚えがあった。ライアンが王宮の夜会で、裏庭で会っていた令嬢だ。
「その王女様がライアンを気に入ったらしくて、婚約の話が出たということだ。こちらの王家にも話は通っていて、対応は任せるが両国の関係のためにも色よい返事をしてくれると嬉しいと」
ルーチェはその話に少し驚いた。王家からの縁談はほぼ絶対的なものなので、随分寛大な対応をされていることになる。そこに母親も入ってくる。
「こちらとしては破格のお話で、なかなか断りにくいのだけど……ライアンはどう?」
「絶対嫌だよ! 僕が勝手に婚約者決められるのが嫌いなの知ってるでしょ!? しかも王家ってだけでも窮屈なのに、あの王女様、甘やかされて育ったからかすっごく我儘で、あれ以降会うの止めたんだよ?」
我儘の権化のようなライアンにそこまで言わしめるとはと、家族三人は押し黙った。もともと両親もライアンが頷くとは思っていなかったようで、やはりかと諦めている表情だ。
父親は腕を組み、羊皮紙に目を落とす。
「お前の気持ちは分かったが、相応の理由がないと断りにくいのも事実だ。第二王女の情報も少ないので今は保留にするが、お前も断るに値する理由を作るか、受ける覚悟をするかを考えておいてくれ」
レースの手袋をはめた手を頬に添え、母親も「そうね」と呟く。
「一度しか会っていないのだし、手紙のやり取りでもして気が合うか確かめるのはどう? またいらした時にお話しをしてみるとか」
ライアンの婚約者のことで気をもんでいる母は、少しでも機会があるならと進めたいようだ。対するライアンは、キッと目を吊り上げて立ち上がった。
「絶対無理! そんなことしたら、僕は旅に出るから! 自由がないなら嫌!」
そう言い捨てると、荒々しく部屋から出て行った。残された三人は顔を見合わせる。ルーチェは自分のことではないのに、聞いているだけで疲れた。向かいに座る母親が浮かない顔を向ける。
「ルーはどう思った?」
「流石に無理よ……。あのライアンが嫌がるほど我儘なら、一緒にいられるわけがないもの」
「そうよね……」
父親は羊皮紙をまき直しながら、ため息をつく。
「わざわざ時間を割いてもらってすまなかったな。ライアンのやつも、婚約を考えている令嬢がいれば断りやすかったものを……ルーチェはそういう話は聞かないか?」
親には言わなくても妹ならと思ったのだろうが、父親に尋ねられてもルーチェは首を横に振るしかない。ミア嬢との間で危うい婚約もどきが発生しているが、それを口にすれば余計拗れる上に、ブルーム伯爵家にも迷惑がかかる。
母親は気疲れしたようで、ベルを鳴らして侍女を呼びお茶を頼んだ。その数三つで、数に入れられたルーチェは席を立つタイミングを逃した。
「どこかに、ライアンを受け入れてくれる人はいないかしらね」
母の切なる希望に、ルーチェと父親はただただ苦笑いを浮かべるしかないのであった。その後、ルーチェはしばらく母の話につきあい書斎を後にしたのである。




