26.男装/女装せずに、相手の兄妹と話します(前)
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一瞬で、アレンは前から歩いてくるのがルーチェ・オルコットだと分かった。ギャラリーの絵や、彫像とも違う淡い美しさ。一目見た瞬間に衝撃が走り、ギュッと心臓が掴まれた。いつもの好みの顔を見た時とは違う鼓動と熱に、アレンは戸惑う。
(いやいやいや、え、落ち着け? 俺、どうした?)
目が離せず口の中が渇いてきた。その間にも彼女は近づいて来て、声をかけたくなるがいい言葉が思いつかない。ひとまずすれ違いざまに声をかけようと思うが、彼女は壁際に寄ると足を止めた。視線の先にある侯爵令息の姿に気付き、アレンも挨拶をする。
(うわぁ、お辞儀一つであんなにきれい。え、今まで見てきた令嬢たちとレベルが違う)
所作も美しいと魅入っていたら、その表情が強張り、逃げるように通り過ぎて行った彼女を反射的に追ったのだ。
(あいつ、あの子に何を言ったんだよ!)
今にも泣きそうな、辛そうな顔をしていた。妙に腹立たしくて、心配で、後を追った先で見たものもひどかった。令嬢に飲み物をかけられ、立ち尽くす彼女に急いでハンカチーフを取り出し声をかけようとしたものの、突然泣き出したので動くに動けなくなった。そして、振り向いた彼女に見つかり、お茶に誘って今に至る。
二人は、中庭の外れたところに用意された一席に座っていた。アレンが女たらしから妹は社交が苦手だと聞いていたのを思い出して、離れたところに設けたのだ。背の高い庭木でこちらの姿は中庭で談笑する人たちから見えないが、声は遠く聞こえてくる距離。
「改めまして、俺はアレン・ブルーム。こうやって話すのは初めてだよね。ルーチェ嬢と呼んでも?」
穏やかな笑顔を心がけて自己紹介をし、バクバクとうるさい心臓が聞こえないかと不安に思いながら状況を整理する。
(あぁ、だめだ。なんか緊張しすぎて考えがまとまらない。えっと、たぶんミアのことは知らないよな。あいつ話しそうにないし。それで、俺もミアから何も聞いていないことになるから……何も知らない感じでいけばいいな!)
女装して入れ替わる前も、接点はなかったはずなのでそう身構えることもないだろうと思うが、いかんせん冷静な判断ができない。
「はい、初めまして、ルーチェ・オルコットです。お好きにお呼びください」
対するルーチェは、頷いてついて来たのはいいが不安であり、目線を下げて小さく座っていた。男の人とお茶をする経験はほとんどなく、人の声が少し聞こえるのがありがたい。
(ミア嬢はお兄様にライアンのことを話しているのかしら……。いえ、手紙の感じではそれはないわね。アレン様とライアンは接点がありそうだけど、私は知らないし……。分からないところはそれとなく誤魔化すしかないわ)
ルーチェはややこしい相関図を頭で整理しようとしたが、頓挫しあきらめる。今日は短時間で色々なことがあり、すでに思考力の限界が近かった。
自己紹介をしている間に、給仕の侍女がお茶を淹れ、クッキーやケーキを並べてくれていた。
アレンは、ひとまずルーチェの緊張をほぐそうと事情を説明する。
「間が悪くてごめんね。俺、ギャラリーのとこにいたんだけど、侯爵子息とすれ違った後の顔色が悪かったから気になって、後を追ったんだよ」
「そうでしたの……。お優しいんですね」
初めて声を交わすルーチェは他人行儀で、感情の読みづらい声音をしていた。双子だからか声も容姿も似ているが、受ける印象が違う。ライアンをバラの花束とするなら、彼女は一輪挿しだ。派手な華やかさはないが、目を引く美しさがある。大人しいラベンダー色のドレスを着ていて、あえて目立たないようにしている気がした。
「それで……ドレスは大丈夫だった?」
「はい、応急処置をしてもらったので、大丈夫だと思います」
ここに一席用意してもらう間に、ルーチェは侍女に染みにならないようにしてもらっていたらしい。アレンはドレスについては分からないので、それはよかったと目尻を下げた。話をしていたら、少し落ち着いてきて余裕ができる。
その笑顔につられてルーチェの表情が少し和らいだ。
(さすが兄妹ね。笑った顔が似ていて落ち着くわ。なんだか初めて会ったような気がしないもの)
大好きな兄の自慢をしていたミアを思い出して、頬が緩む。その零れた優しい笑みが、アレンの胸を騒がしくさせた。妙に落ち着かなくて話題を探す。
「えっと、さっきみたいなのって、よくあるの? 彼女、ライアン殿と一時噂になってた子だよね」
「はい……。彼女の婚約者が武器の密輸に関わっているのを摘発したのが父で、兄が情報を提供していたからだと思います。兄は、昔から恨みを買うことが多いので慣れていますわ」
香りのよい紅茶をすすりながらルーチェは淡々と答えるが、表情には苦々しさが滲む。我慢我慢と心の中で唱えた。
「慣れてるって、そんな必要ないだろ。悪いのはあのクズで、ルーチェ嬢は何もしてないんだから」
だが、その表情がアレンは気に食わない。女たらしの兄のせいで、妹が辛い思いをするなんて同じ兄として許せず声に棘が出る。思わず心中での呼び名が口をつき、やばいと顔を強張らせた。救いようのない遊び人でも、家族の前でクズ呼ばわりは名誉棄損と取られかねない。
「あ、ごめん。つい」
ところが、それを聞いたルーチェから返ってきたのは、吹き出したあとの笑顔だった。
「ふふふ、ご遠慮はいりませんわ。私も兄のことは、心の底から女たらしのクズだと思っておりますから」
ルーチェの声が少し明るくなり、視線を一瞬アレンに向けた。栗色の髪をしたやや可愛さが残る顔立ちの青年は、コロコロと表情が変わって面白い。
(何でしょう。あのクズを悪く言われているのに、すっきりするなんて)
白い手袋をした手を口元に当て、耐えきれないと笑うルーチェの姿に、アレンはどぎまぎしていた。
(え、その笑顔は反則だろ。綺麗すぎる……。それに、大人しい性格かと思ったけど、けっこう言うことは言うとか、面白い)
アレンがよく話す令嬢たちのように毒を蜂蜜で紛らわすこともなく、剣で斬るような言い方に好感が持てる。それなら、とアレンは愚痴を言う方向に舵を切った。もっと彼女のいろんな顔が見たい。うまくいけば女たらしの弱みが出てくるのではという下心もあった。




