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第75話 執行完了

(――まあ、皇位継承には影響が出るだろうな)


 テセウスは冷静に今後のことを分析していた。


 皇宮がいかなる場所か、そこで生き抜いてきた彼はよく知っている。


 皇帝の命で赴いた地で、たまたまそこが観光地であったがために「帰りたくない」とごねて滞在日数を伸ばすなど、宮廷の鳴きガラスどもがよろこんで叩き散らかすことは目に見えていた。


 だが、それでも構わなかった。


 この一件が尾を引いて、やがて皇宮を追われるような羽目になったとしても。


 継承権ごと奪われたとしても。


(この地を離れることなんてできない。……たとえおれが何一つ、役に立たなくても! 彼女の無事を、確かめるまでは!)


「ネフシュターーーーンッ!」


 闇に沈んだ木々の向こうに、幾度めかの呼びかけをした時。


 ――ドッ!

「……!?」


 東の空に火柱が上がり、にわかに夜が明けたように明るく染まった。


「キュイッ!」


 不死鳥が灼熱色の尾羽根を残し、まっすぐに羽ばたいた。





 ぽにすけの後を追って駆けつけた三人は、その館を覆うむせ返るような血の臭いに、焦げた肉の臭いに咳き込んだ。


「――アリアッ!」


 真っ先に気がついたのはエミリエンヌだった。


 子どもたちに取り囲まれて地面に倒れている、小さな姿。


 土を蹴散らしながら駆け寄り、――その胸が静かに上下していることを確かめて、震える息を大きく吐いた。


 だが。


「……なんてこと……!」


 皮膚は熱傷の水ぶくれが浮き、無数の鞭の痕が、奴隷の烙印が、血を滲ませている。


 あんなに上手に鍵盤を操ってみせた小さな指が、ご丁寧にも一本ずつ折られているのを目にして、エミリエンヌの脳内は激怒に染め上げられた。


「ネフシュタンッ……! どこの下衆がッ! わたくしの娘をこんな目に遭わせたの!? 殺してやる! 一人残らず八つ裂きにして……ッ生きたまま豚の餌にしてやるわッ!」


「あ、すみません。もう灰にしてしまいました。来るのが遅いので」


「……ッ!」


 飄々とこともなげに言われて、エミリエンヌは地団駄を踏んだ。


「キィィィー! ちょっとくらい残しておきなさいよッ気が利かないわねッ! あっさりと楽にしてやったんなら承知しなくてよ!」


「まさか。この子が……きちんと裁いたんですよ。ぼくが来た時には、血と灰の蝿どもは醜い獣に成り果てていました」


 ニュクスは、愛おしくてならないものを見るまなざしで、焼き切れた白金の髪をそっと撫でた。


「でもそれには、自分の受けた責め苦は数に入れていなかったようなので、ぼくが足しておきました。――ご心配なく、夫人。ちゃあんと一頭ずつ焼き鏝を当て、鞭打ち、骨を折り、ゴーレムで手足とはらわたを食い散らかしてから、灰にしましたよ。まだ息のあるうちに」


 爽やかなほほえみとともに、血の付いた鞭をかかげられて。


 エミリエンヌは扇を数日ぶりに取り出して、「そう。……それなら、容赦してあげてもよくてよ」と溜飲を下げた。




 その酸鼻を極める光景を目にして、テセウスは、ただ立ち尽くしていた。


 与えられた情報は少なくとも、彼はこの数日で悟っていた。


 いったい、おのれの帝国になにが巣食っているのか。


 だが――跋扈した獣たちが、どれほど残酷にいたいけな子どもを食い荒らすのか。


 現実の臭いが、目の前で見る傷が、これほどに吐き気を催すものだとは、ついぞ知らなかった。


(……おれが……何一つ、役に立たなくてもいい……?)


 ――先刻までの自分をこぶしで殴りつけたくなる。


 恥が、怒りが、胃の腑を焼くように熱くさせた。


 焼けそうな眦を押さえようとしたが、眼前の光景から目を背けることを許せずに、挙げた両の手は乱れた銀髪をただ掻きむしった。


(アリアをこんな目に遭わせた獣どもは……! おれの一族が、野放しにしてきた獣だ!)




『お母さまッ! おかあさまぁッ!』


「あら、セレス。そこにいるのね」


 エミリエンヌが鏡を開くと、彼女の愛しい娘は、目元を真っ赤にはらして泣きじゃくっていた。


 その憔悴した姿に、この数日ずっと泣き通しだったのだと見て取れる。


「あなたもよくがんばったわ。つらかったでしょう」


『アリアがッ、アリアが……死んじゃうところだったの! あと少しで、間違いなく! だってあの子、そのつもりだったもの……! その男が魔力を分けるのがあと一瞬でも遅ければ、この子の魂は身体を離れてたわ! ――お母さま……わたくし、あの女が許せない! 今もわたくしの身体を使って、のうのうと生きているあの女を、殺してやりたい!』


「……」


 エミリエンヌのエメラルドグリーンの瞳が、フレデリクを見上げた。


 フレデリクは、困ったように眉を下げた。


「セレス。星宿りが入っているのはきみの身体だ。傷つけることはできないよ」


『関係ないのよッお父さま! だって、あの身体がある限り、あの女はアリアを殺そうとする! また同じ目に遭わせようとするわ……! わたくしは、この子が焼き(ごて)を当てられた時も、指を折られた時も、……し、死ぬことを決めた時もっ! 鏡の中で、泣きわめいていることしかできなかった……ッ! 助けて、あげたかったのに! この中じゃ、なんにもできない……! わたくしがこの子にしてあげられることは、これしかないのよ!』


「……」


 侯爵位にも相当する大貴族の若き当主夫妻は、この時ばかりは一組の親として、何も発することなく、沈痛な面持ちで黙り込んだ。


「令嬢セレスティーネ。それで、寄生虫が入っている自分の身体を殺してくれと?」


 話に割り込んできたニュクスは、「やめておきなさい」とあっさり言った。


『ひっく……グスッ……なんなの? わたくしの身を案じるなんて、お前らしくもないわね』


「アリアが悲しむので」


『聞いたわたくしがバカだったわ!』


「それにグウェナエル卿も、夫人も、悲しみます」


 ニュクスはアリアを大事そうに抱き上げながら、影のにじむ声でつぶやいた。


「大事な者から殺してくれと頼まれることほど、辛いことはない」


 セレスティーネは、口をつぐんだ。


 納得したわけではなかったが、――たしかに自分を見下ろす両親の瞳が、この上なくつらそうだったから。


「まあ、寄生虫のことはそちらで片付けてください。――()()()()()()


 魔法使いが左手を上げると、足元に紫色の魔法陣が輝き、生ぬるい風を吹き上げた。


「この子は、うちで預かります」

お読みいただきありがとうございました!


はい、主人公は死んでませんでしたね!

作者は勧善懲悪&人間讃歌&ハッピーエンドに魂を売ってますので、今後とも安心してお読みください!


タグの「ヒーローのクセ強め」は、ニュクスだけじゃなく、テッシーのことも含めています。

クセが強くないヒーローは出てきません、恐れ入ります。


場面転換が多くてすみませんでした。

早く主人公を元気にしてやりたくて、詰め込ませていただきました。


次の話からはアリアが元気に喋ります!


もしお好みに合いましたら、下部の★5やブックマークを頂けますと、作者の励みになり更新頻度が上がります!

よろしくお願いします!

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