68:『大和川とその子分の川について』
滅鬼の刃 エッセーラノベ
68:『大和川とその子分の川について』
自転車散歩で、よく川岸の道を走ります。
河内平野は、大昔は河内湾と言いまして、琵琶湖に匹敵するほどの海でした。海は上町台地が南北に延びて、大阪城の北あたりで外海である大阪湾に繋がっていました。古墳時代には淡水化して河内湖になり、その後干上がったり埋め立てられたりして、大和川を親分とする幾筋かの河川になりました。
江戸時代に入って親分の大和川が西向き付け替えられると、田畑が広がって、切り離された大和川の南北部分は大人しくなって長瀬川という小川になり、子分の小河川と区別がつかなくなりました。
うちの家から10分ほど走りますと、子分の楠根川というのがありまして、その岸辺の道を20分、中央環状線を跨ぐと近畿大学の城下町というか門前町というか、長瀬という町に出ます。
このコースを使わないと、長瀬までは10分以上余計に時間がかかります。長瀬から西に5分も行くと大阪市です。長瀬の駅前で元親分の長瀬川と出くわします。その長瀬川はよく整備されて、そのまま小坂まで一キロちょっと、遊歩道付きの小川になっています。
大阪市の下町が好きなので、長瀬川と遊歩道は横切るだけにして、西に進んで平野区や生野区に入るのですが、話が広がりすぎてしまいます。
今回は近大西正門から、最寄り駅である長瀬までの『まなびや通り』のことを書きたいと思います。
『まなびや通り』は長瀬駅の前から近大まで、おおよそ800メートルほどの商店街です。近大は大阪屈指の総合大学で、学生数も三万以上、中学高校、大学院を含めると四万を超えるのではないでしょうか。
その四万の、おそらく七割ほどが、このまなびや通りを通ります。商店街の道幅は5メートルほどで、朝の通学時間は『まなびや通り』ではなく『まなびや川』になります。
わたしは東の方、大学本体と大学の原子力研究所の間の道から、この『まなびや川』に入っていきます。脇には『まなびや川』の土手道にあたる裏道があるのですが、わざわざ『川』の中を通ります。
途中、何か所か警備員さんが立っていて右側通行を呼び掛けたり「自動車が来ます」とか「自転車が通ります」とかハンドマイクで呼びかけています。
わたしも武者も生活指導が長く、週に半分はハンドマイクを持って通学指導にあたっていました。そのころの感覚で見ると、近大の学生諸君はかなり優秀です。
警備は大学が契約した警備会社が請け負っているのですが、まなびや川の川守にあたっているのは、時間にも寄るのですが多くても5~6人というところです。その警備員さんたちも優秀なのですが、学生諸君も大したもので、警備員さんが途切れても、おおむね右側を流れていきます。
みんな前後の様子をよく見ていて、車や自転車が接近すると自然に必要な分だけ道を開けてくれ、淀みができたり溢れたりということがありません。ここを通る人も車も慣れていて、めったにトラブルは起こっていないように思えます。これだけの通行量があって秩序が保たれているのは渋谷のスクランブル交差点に匹敵するのではないかと思います。このまなびや川の穏やかさも、大和川の治水工事の成功例かと錯覚してしまいます。
近大は年に数日、三日間だと思うのですが『生駒祭』という学園祭があります。その間は学生以外にもたくさんの人が押しかけ、まなびや川の水流は危険水域に達します。行ったことはありませんがハローウィンの渋谷ほどの賑わいになります。
たまたま、散歩の途中でかち合ってしまいました。
台風一過、散歩して出くわした川が警戒水域に達していたような感じです。
さすがに道を変えようと思いました。警戒水域の河川敷を通るようなやつはいませんからね。
——ヤバイ——とブレーキを掛けたのですが、「自転車が通ります、道を開けてくださーい」とハンドマイクの警備員……と思ったら『生駒祭実行委員』の腕章を付けた学生くんでした。
そこだけではありません、いつもはプロの警備員さんが立っているところ、全て腕章の学生たちでした。来場客も学生諸君も、よく臨時の川守の指示に従っていました。
数分走って大学から数百メートル走ったコンビニの駐車場にも川守がいました。
男子学生の川守くんはニコニコとプラカードを掲げています。そのプラカードには——生駒祭にお越しの方は、ここに駐車駐輪しないでください——と書いてあり、それらしき人が通りかかると「近大は、ここから北に5分です」と言ってプラカードの地図を指し示します。
大和川も、こういう人たちの努力の末に、穏やかでたおやかな長瀬川になったのかと、河内の先人を偲んでみたりしました。
☆彡 主な登場人物
・わたし 大橋むつお
・栞 わたしの孫娘
・武者走 腐れ縁の友人(35回より故人)




