ブラン・ニコラシカ(3)
「……持ってないのか」
男が尋ねる。ブランは静かに頷いた。
「おいおい、しばらくしたら体が動かなくなるぞ。下手すりゃ内臓まで毒が回ったら心臓止まって死んでしまうぞ。現役冒険者なのに、解毒剤の一つも持ち合わせもなしにダンジョンに潜ってたのか」
男の注意に、ブランは体をビクリと震わせた。なんて情けない。油断も油断、冒険者たるもの不測の事態に備えないなんて本当に情けない、と。
「……はぁ。忘れたモンは仕方ない。解毒薬がないなら一旦地上に戻ることだ」
男は人差し指でチョイチョイと上を、地上を指す。
ブランは、
「そうします…」
と、元気なく返事した。
「素直で宜しい。それと内臓に毒が影響したら、先ずは呼吸が出来なくなる可能性もあるし、処置は早いほうが良いな。地上に戻ったらそのまま俺に着いて来くるんだ。処置くらいはしてあげよう。取り敢えず血だけは止めておけ」
そう言って男は手招きして、出口側に足を動かし始めた。ブランは「はい」と、止血剤だけ使うと、リュックに仕舞って彼の後を追った。
「な、なんか色々と有難うございます。本当に助かりました」
「たまたま俺がいて良かったな。蝙蝠のエサになるところだったぞ」
「面目ありません……。しかし、貴方は一体……」
どう見ても冒険者のような強さと風貌なのに、冒険者らしからぬラフな格好。一体この男は何者なのだろうか。
ブランが訊くと、男は、
「そういえばさっき答えそびれたな」
と、今度こそ質問に答えた。
「俺の名前は『アロイス・ミュール』だ。一応酒場の店主ってやつをやらせてもらってるんだが」
「さ、酒場の店主さん……ですか?」
信じられない答えだった。しかし言われてみれば、彼の恰好は黒の半袖ワイシャツと鼠色のズボンという、酒場の店主らしく、そのままカウンターに立っていても違和感はない。
「ほ、本当に酒場の店主さんなんですか? そんな強さで、ダンジョンに潜って? 」
「酒場の店主だから岩塩採りに来てるんだよ」
「なるほど、確かに……。ですけど、店主さんにしては腕っぷしが強すぎませんか。それに、よく見ると……」
恰好は酒場店主らしかったが、よく見れば半袖から覗かせる隆々とした腕と浮き出た胸筋は冒険者のソレ。加えて、人の背丈はある大剣を悠々振り回す姿はまさに冒険者にしか見えない。
「ハハハ、そんな酒場店主っぽくないか。ちょっと落ち込む……なんてな」
「あ、いえ! アロイスさんの悪口とかを言ってるつもりじゃ!」
「いや良い、別に悪口とかで捉えんよ。まぁしかし、その……なんだ。俺は、今でこそ酒場の店主ではあるんだが……」
アロイスは笑いながら言った。
「俺は、元冒険者だった」と。
―――なるほど!
ブランは「そういうことでしたか!」と、両手を叩いた。
「その反応は合点がいったということかな」
「いきました、そういうことだったんですねぇ……」
元冒険者の酒場店主であるなら、何となし納得出来る。
……が、それを含めても、アロイスという男から滲み出る強さは尋常じゃなかった。
「でも、元冒険者といえどもアロイスさんてば凄く強そうですし、強いですよね」
一太刀で敵の群れを吹き飛ばす腕っぷし、それなりのダンジョンに軽装で気軽に挑む姿。明らかに自分と比べてレベルの違うステージにいる冒険者だったと分かる。
「おう、それは嬉しい言葉だな。だけど色々話す前に、そろそろ君の名前も教えておいてほしいんだけどね」
アロイスの言葉に、ブランは「あっ」と直ぐに名前を述べた。
「僕は『ブラン・ニコラシカ』と言います!遅れてすみません!」
「名乗ってくれたならそれで良い。よろしくなブラン」
アロイスは、ブランの肩を軽く叩いた。
「いてて、有難うございます」
「ハハ、君はずっとお礼を言ってばっかだな。俺相手に、そんな畏まらなくても良いぞ」
「すみません。僕の性格なんですよね……」
「ま、悪いことじゃないさ」
「そう言って貰えると……。ところで、アロイスさんのお店はどこにあるんですか?」
「ん、この魔窟壕を出て直ぐの森を抜けた先だ。丘に囲まれた場所に俺の店がある」
「かなり近いんですね。カントリータウンの商店街にあると思ってました。結構な田舎ですけど、お客さんは来るんですか?」
ブランは、カントリータウンに住んでいるわけではなく、ハイマートという隣町から足を運んでいた。だから、この町の事情を知らなかった。
「うーむ、観光客や冒険者が多いからなぁ。俺の店は田舎町の更に端っこだが、店を構えていても客入りはそれなりにあるんだ」
「へぇー、そうなんですね」
頷くブラン。
すると、今度はアロイスからブランへ質問を飛ばした。
「ところでブランは幾つなんだ? かなり若そうに見えるが。因みに俺は26だけども」
「僕は今、20ですね。誕生日が1月なので早生まれです。……て、アロイスさんは26! その年で酒場の主人さんて凄いですね」
「そうかね。まぁトントン拍子になっちまったんだよなぁ……」
「トントン拍子で酒場の主人ですか。元冒険者と仰ってましたが、冒険者を辞めた理由とかは……」
色々知れば知るほど、彼の素性が気になって仕方ない。浮かんだ質問を次々ぶつけようとする。
ところが、雑談の最中、突然ブランの視界がグニャリと歪んだ。
「あ、あれ……」
続いて右腕に強烈な痺れ。そして全身にピリっとした一瞬の痛みの後、右半身の力が一気に抜けていく。
「いっ…! これって……! 」
分かってる。これは不味い。麻痺毒が回ったんだ。足元もおぼつかず、ふらふらと千鳥足になる。
「す、すみません。アロイスさん、どうやら……毒が……」
「気をしっかり保て。毒なんか多少の気合で何とかなったりするもんだぞ! 」
「気合って……そ、そんなの無理……! ゴホッ! 」
身体が大きく痙攣する。出来る限り抵抗しようとしたが、気合では敵うわけ無く、その場に倒れかけた。
アロイスは「うおっと」、地面に転ぶ寸前にブランに肩を貸した。




