悠久王国のシロき王子(9)
「そ、そんなこと……」
「本当に小銭を取って逃げたのかい……」
彼が、そんな泥棒のような真似をしてしまうとは。
幾ら酷い態度を取っていた王子とはいえ、二人は信じられないという反応だった。
王子は「余がやったのは本当だ」と、血と泥に染まった派手な衣装のポケットから、僅かばかりのゴールドを取り出してテーブルに置いた。
「説明は出来たな。後は、分かっているだろう」
アロイスは促す。王子は「分かってる」と神妙な面持ちをして、深呼吸した。
そして、彼は。昨日迄とは違い、彼女たちの痛みに対しての気持ちを交えて口にした。
「すみません……でした……」と。
それを聞いたナナと祖母は顔を見合わせた。それは、昨晩のような面倒臭がっただけの謝罪ではなく、少しでも気持ちの入った謝罪だったから。
「シロさん……」
あれほど傲慢だった王子が見せた、ほんの少しでも気持ちの入った謝罪。ナナは、居間の棚から傷薬と包帯を取り出して、王子に言った。
「シロさん。私は昨日のことや、私たちを裏切ったことは、どんなに謝って貰っても今はまだ許したくありません。だけど、シロさんが少しでも謝罪する気持ちを見せてくれたから、少しでも許したいと思う気持ちはあります」
そう言って、ナナはジェル状の傷薬を指先に取って、シロ王子の切れた頬と口元に塗った。
「い、いててっ……。ナナ、余を許したいと言ったな。お前は余を犯罪者として見ないのか」
王子は尋ねた。その言葉に、ナナは王子を鋭く見つめて返事した。
「勘違いしないで下さい。許したいと思う気持ちがあるだけです。それと、貴方は自分を犯罪者として見て欲しいんですか? 」
「そ、それは困る。余が捕まったら、父上や、父上を慕う民が悲しむ事になる」
「それだけ分かってたら、自分の行動を考え直して下さい」
包帯を伸ばして彼の頬から耳の下を回しすと、目立たない顎の下でテープを使い接着した。
「処置は少し雑ですけど、傷が治るまで我慢して下さいね」
ナナは彼の傷を処置すると、包帯と傷薬を棚に仕舞う。
それを見つめながら王子は指先で巻かれた包帯に触れつつ、彼女に更に尋ねた。
「ナナ。余はお前を傷つけたのに、どうして優しくする」
「どうしてって、目の前に傷を負った人がいたら無視出来ませんよ」
「それが敵であってもか」
「好き嫌いはありますけど、敵とは思いません。それに誰かが困っていたら、助けるのは当然のことです」
その台詞に、王子は目をギュッと瞑って顔を伏せた。
「嫌いな相手であっても、助けるのが当然か……」
アロイスに、この頬の痛みくらいに彼女の心を殴ったと諭されておきながら、ナナはどうして余を許せるのか。もしや彼女にとって、昨晩や今日の出来事は何でも無かったという可能性はないか。
いや、昨晩ナナは余を睨んだ瞳には涙を浮かべていた気がする。本気で怒っていた瞳だった事くらい、理解出来ない馬鹿じゃない。
(そうか。ナナという女は相手を嫌っていても、その相手に優しく出来る気持ちの持ち主なんだ。そんな彼女が昨晩、余に対して涙を見せるくらいに睨んだというのは……。余がしたことは、相当に彼女の心を殴ったに違いない……)
ほんの少しずつだが、王子には心が芽生え始めていた。
するとアロイスはその肩に手を置いて、
「腹減っちゃったよ、飯にしようぜ」
と、祖母とナナに言った。
「そうですね。昨晩の余りものですし、コーンスープを温めるだけで完成しますから」
ナナはパタパタとキッチンに消える。
アロイスは「座って待っていよう」と、王子を椅子に座らせた。
また、対面に座った祖母は痛々しい王子の傷を見て、「痛かったね」と呟いた。
「……痛かった。初めて、殴られた」
「そうかね。じゃあ、これで王子様はまた一人前の男に近づいたさね」
「えっ? 」
「殴られる痛みも知らず、怪我の1つもしないで人の上に立つ人間はいないよ」
「それは……アロイスにも同じことを言われた」
祖母とアロイスの会話が重なった事に、王子は少し言葉を大きくして言った。
と、そのタイミングで、出来上がる料理。ナナは温めたスープとパン、昨晩のあまりであるサラダと魚料理を王子の前に並べた。
「……っ」
温められ、白く湯気の立つ温かなスープと柔らかなパン。
早朝に隠れて食べた硬いパンや脂ぎったディップ、それらとは比べ物にならないくらい芳醇な香りを感じ、純粋な食欲が腹をググっと鳴らしたる。
「王子、先に食べて良いぞ」
アロイスの台詞。王子はゴクリと生唾を飲み、熱々のパンを千切って噛締める。甘く温かなコーンスープをスプーンで掬って飲み込んだ時、全身に、えもいわれぬ気持ちが拡がった。
「色々と……あったかいな……。美味しい……」
手を止め、感傷浸る様子の王子。アロイスは「ハハハ」と、笑い、言った。
「当たり前だ。料理は美味しく食べて欲しいから心を込めて作ってるんだ。身も心も温かくなれるに決まってる」
「料理っていうのは、心を込めて作るのか」
「王城だって専属シェフがいたんじゃないか。王子のために一生懸命にレシピを考えて、少しでも美味いものを食べさせようと努力してたハズだ」
王子はその台詞にハっとした。
もしかしたら、自分はシェフらの心を殴っていたんじゃないかと。
(アイツらも、余に美味しい料理を食わせたくて努力をしていたのかもしれない。心を込めて作ってくれていたんだろうか。余は、それを捨て置くように台詞を吐いていたのか……)
未だ王子は未熟だ。
この目の前の料理を食して『美味い』とは思ったが、
『こんな庶民の家で食べた料理が温かで美味しいのだから、きっと王城の者たちはもっと余を想っていたんじゃないか』
そんな事を考えていた。
しかし、それも大きな進歩だ。今まで、そんな考えを持とうともしなかった彼が、初めて王城の者たちに感じた有難さだったのだから。
「おら、王子。手が止まってるぞ。どんどん食べてくれよ」
アロイスは、指をパチンと鳴らして言った。
「わ、分かってる。言われなくとも食べさせてもらう」
王子は、次から次へと料理を口に運んだ。
三人は彼のそんな様子を見ながら食事を共に楽しみ、それぞれがお腹一杯食べて満足することが出来た。
……が、忙しい早朝に長く休む暇はない。
一時の休息の後、アロイスは立ち上がり、王子の肩を叩いた。
「王子。出かけるぞ、準備をしろ」
「な、何。どこに行くんだ。まさか警衛隊……! 」
王子の顔が青ざめる。しかし、
「違うわ」
と、その額に軽くとチョップした。
「いてっ。じゃ、じゃあどこに行くんだ」
「もちろん、畑だ」
「は、畑……?」
「働かざる者食うべからず。ナナ、お婆さん。コイツに畑仕事を教えましょう」
ナナと祖母は「もちろん」と即答した。




