悠久王国のシロき王子(8)
「おはよう、シロ王子。こんな朝早く町にお出かけかな」
「ど、どうしてお前がそこにいる! さっきまで寝てたじゃないか! 」
「あんな物音を立てられたらな。それに、足の遅いお前さんに先回りするくらい訳無い」
アロイスは寄っかかっていた木から離れて姿勢を直し、のそのそと王子に近づき始めた。
「こ、こっちに来るな! 」
「王子様。本当は他人の子だと思い、手を出そうとは思わなかった。が、犯罪者相手なら容赦はいらんな」
「何! て、手を出すって、まさか……」
「盗人に落ちたのなら、相応の罪は受けて貰う」
「ちょっ……! 」
胸の前で組んだ指先をボキボキと鳴らすアロイスは、昨日見せた臨戦たる雰囲気で、シロ王子に迫った。
「嘘だ、嘘だ嘘だ。止めろ、余は王子だぞ。余は王子だぞォッ! 」
「今のお前は、王子である前に罪人だ」
王子は後退するが、アロイスは距離を詰める。
「嘘だ、嘘だろ。余は王子だ、王子なんだぞ!王子は、王子で、王子、王子ッ! 」
「王子様、お前は何の優しさも分からない大人になりきれない子供だ」
「ちょっ……」
アロイスは王子の前で、堂々と太い右腕を構えた。
「人の痛みも優しさも、何の気持ちも理解が出来ないのなら……」
「ちょっ、まっ……! 」
そして……。
「それを教えるのが大人の役目だッ! 」
「ひぃいやあああっ!! 」
振りかざす右腕を見て悲鳴を上げる王子の顔面目掛け、その右腕は唸った。
……ガンッ!!!
「がっ…… 、がふぅああぁっっッ!! 」
ズザザァッ!
顔面を捉えた拳は、鼻を潰し、血を噴出させて地面に転ばせた。王子は咄嗟に起き上がるが、生まれて初めて感じる激痛に混乱する。また、その鋭い痛みに自然と涙が溢れて、ポタポタと溢れる鼻血と、切れた口の中に広がる血流で呼吸が上手く出来なかった。
「い、いはいっ……。な、なんれ……ほんはほほ……! 」
鼻を押さえ、涙を流しながらアロイスを睨む。
「痛いか。痛いだろうな。だけどお前がナナや婆さんに与えた痛みは、それだけじゃない。いや……お前はどれだけ周りにそんな痛みを与えてきたのか想像がつく。だから、その痛みを胸に刻んだうえで、もっと自分の行動に責任を取って貰うぞ」
王子は「ま、まらなぐるのは……」と、情けない顔をしながら言った。
「また殴るのか、だと? 殴って責任を取れるのなら、恐らくお前は死ぬまで殴らないといけなくなるだろうよ。だけど、そうはいかん。お前を警衛隊に犯罪者として突き出させてもらう」
アロイスは痛みに悶える王子の身体を持ち上げると脇に抱え、商店通りに向かって歩き出した。
「よ、よを、けいえいたいにつきらすと……! 」
「大ニュースになるな。あの悠久王国の王子が犯罪者だ」
「ちょ、ちょっほまて……」
「さぞ悲しまれることだろう。お前の父親である王の威厳も失墜して、悠久王国から王は追われる存在になるかもしれんぞ」
王子は目を丸くする。その反応にアロイスは、わざと面白そうに話を続けた。
「シロ王子様よ。お前一人の行動で王室の全てを壊すことになったな。ま、誰の優しさも分からず踏みにじってきたお前だから、遅かれ早かれ王の威厳は失墜していただろうし、それが、たまたま今日だった……ということだ。父親のジョアン王と仲良く大罪人扱いになってくれ! 」
ハハハ。アロイスは笑う。
王子は殴られてズタボロになりながらも、抱えられた腕を外そうと一生懸命になった。
「は、離へ……。そ、そんなことは許さない……!父上が……失墜するなどと……」
殴られた時の激痛は引いてきた王子は、呂律と力が戻ってきて、アロイスの腕を強く握った。
(ほう……)
突然力強く反論し始め、父親を想うという発言に、アロイスは、足を止めた。
「じゃあ何だ。お前は罪を犯した事を認めるんだな」
「つ、つみらと……」
「今のお前は犯罪者だ。人の物を盗み、心すら踏みにじる最低の犯罪者だ」
「つみをおかした……のか。い、いや……そうかもしれんが、よは王子で……! 」
未だ王子であるということに固執するのか。
もう、その性格は死ぬまで治らないかもしれない。
「お前と話すだけ無駄なようだ」
アロイスは止めた足を、再び商店通りに向けた。
「ま、まて……。父上に迷惑はかけられないんだ。らから……」
「から、なんだ。俺はお前を警衛隊に突き出すという結果は変わらないぞ」
「くっ……。どうすれば、余をゆるしてくれる……」
「逆に尋ねるが、どうすれば許して貰えると思う」
商店通りはグングンと近づく。このままだと、陽が周囲を照らす頃には警衛隊支部に到着するだろう。
「どうすれば許して貰えるか、なんて……。許して貰う方法など……」
今まで我が侭を通してきた身で、どうすれば相手に許して貰えるかなんて考えた事も無かった。
「……ま、待ってくれアロイス」
だが、ここで王子は昨晩のことを思い出す。そして、アロイスの肩を強く掴みながら言った。
「……す、すまん。悪かった。許してくれ。謝る……謝らせてくれ……」
その言葉を聞いた途端。
アロイスは、また歩くの足を止めると、彼を地面に優しく座らせ、見下ろした。
「聴こえなかったな。もう一度、大声で言ってくれ」
「……すまぬ。悪かった、許してくれ……」
「もう一度」
「すまぬ。悪かった。許してくれ……ッ! 」
「もう一度ッ! 」
「すまぬッ!悪かったッ! ゆ、許してくれェッ!! 」
痛みと大声で感極まった王子は、ハァハァと息を荒げて、殴られた時以上に大粒の涙を流した。
「そうか。それほどに許して欲しいか」
「許して欲しい……」
あまりに高ぶった感情のせいで、王子は唇を噛んで血を滲ませていた。涙や鼻水、鼻血で顔はグシャグシャになって、あの端麗な顔立ちは完全に崩れきっている。
「謝罪の姿勢は良し。なら、その謝罪を本人たちも伝えられるな」
「ほ、本人とは……」
「俺は許しても良いが、盗んだ家主たちにきちんと謝るんだ。出来るな」
「ナナと……あの婆さんか……」
アロイスは「出来るのか、出来ないのか」と訊く。
王子はその問いに顔をうつむかせ、
「分かった……」
と、言った。
「そうか。なら、家に帰って謝ろうか」
謝罪をすると言った王子を見たアロイスは、笑顔で言った。
「えっ……」
今しがたの怒りに満ちた雰囲気と打って変わったアロイスの態度に、王子は驚く。
「立てるか。ほら、手ぇ出せ」
アロイスは手を差し伸べる。
王子は呆気に取られたまま、その手を握りしめると、一気に引っ張られて身体が浮かぶと、両足でトンッと地面に立たせられた。
「ん、立てるな。じゃ、急いで家に帰るから背中に乗れ」
膝をついて、王子に背を向けてチョイチョイと自分の背中を掴むよう言う。
王子は「お、おんぶか」と、躊躇った。
だが「早くしろ」と、いうアロイスの台詞に、王子はゆっくりと彼の背に抱きつくと、刹那、アロイスは王子の体をガッチリと締め、風の如く走り出した。
「な、はやっ……!」
林道、畑のあぜ道、全てが流れる景色として通り過ぎる。気持ちの良い朝風を感じながら、出始めた陽の光で周りが赤く染まっていく。朝日に映える景色を眺めつつ、強き風を感じ、ひどく痛みは残っていたが、今まで経験したことのない朝の時間に、気持ちがいい感じがした。
(風が心地良い……。何と大きな背中だ……)
力強く、安心感を覚える大きな背中。
するとアロイスは、彼にそんな一日の始まりを思わせながら、走る足は止めずに王子に話をかけた。
「王子様よ、話を良いか」
「な、何だ? 」
また殴られるのかと思ってビクリとするが、アロイスは優しく語った。
「俺はさ、強い王ってのは威張るだけじゃない、人の気持ちが分かる王だと思うんだ」
「……急に何を言う」
王子はアロイスの耳元で「どういうことだ」と尋ねた。
「簡単なことさ。お前が殴られて痛かったように、生きている限り人には色々な痛みがある。国民の数だけ、それだけの痛みがあるんだ。お前の父親は、そんな無限に等しい国民の痛みに耳を傾け、改善の努力を惜しまないから、国民に認められているんだろう。……だけど、お前はどうだ。人の気持ちや気持ちを考えたことはあるか? 」
その質問に、王子は答えることが出来なかった。
「殴られたのは痛かっただろ。お前は実際に殴ることはなくとも、他人の心は殴ってきたんだ。自分が王子だからと、我がままに生きてきた。何者にも感謝もせず、それが当然だとふんぞり返った人生は、少なからず他人の心を殴ってきたに違いない」
……今まで、彼にとってはそうやって生きるのが当たり前だったんだから、それを直ぐに分かれとは言わない。だけど、少しでも王子には分かってほしかった。
「昨日と今日、お前はナナと祖母の優しさを殴り飛ばしたんだ。意味は分かるよな」
「……余が彼女らの心を殴り、痛ませたということか」
「そういうことだ。お前はさっきのように、心の奥底から二人に謝罪をすることが出来るか? 」
アロイスが尋ねると、王子は小さく言った。
「……正直分からない。さっきは恐怖で大声を出してしまっただけだし、謝罪を口にすればいいだけで許されるのなら、それを言ってしまえば良いと思ってる。だけどアロイスが言う謝罪とは、そういう意味じゃないんだろう。心の奥底からの謝罪とは……まだ、よく分からん……」
いいや、違うさ。それだけでも、ほんの少しでも敬おうとする気持ちが生まれたのなら充分だ。
……何故なら。
きっと、王子が最も『優しさ』というものを知って、その本質を考える事になるのは、自宅に戻ってからだろうから。
「ほら、自宅が見えてきたぞ」
「……ああ」
一戸建ての小さな自宅、あぜ道に沿った垣根を曲がって玄関に入る。
「ただいまー!」
大声でアロイスが靴を脱いで居間に入ると、二人は既に朝食の準備を終えていた。
「あっ、アロイスさん……て、シロ王子さんっ!? 」
アロイスに未だ背負われたシロ王子は、殴られた顔面は血だらけのうえ、時間が経って赤く腫れ始めていた。見るも無残な大怪我を負ったような姿に、ナナは驚き、祖母も「どうしたんだい」と尋ねた。
「……ほら、シロ王子。自分の足で立って、何をしたか言うんだ」
床に立たせたシロ王子。
小声ではあったが、自ら、今朝、自分がしたことを全て説明した。




