親子の絆(3)
ナナは「はい、多分知っています」と答えた。
「あっ、多分というか、絶対にそうだと思いますけど……」
「……どういうことかな?」
それを尋ねる。
ナナは「もう数ヶ月前の事なんですが……」と話を始めた。
「えっと、ラダさんが町のカフェでどなたかとお話をしていて……」
……それは、去年の11月のことだ。
雪が降りしきる寒空の下、ナナが商店通りのカフェにインスタントのコーヒーパックを購入しに来ていた時だった。
「インスタントパック、5つください」
「はいっ、ありがとうございます!」
店員が元気良くお礼を言う。ガラス棚に並んでいたインスタントのコーヒーパックをいそいそと取り出し、袋に詰める。
その間、ナナはきょろきょろとカフェ店内を見渡していると、カウンター近くの椅子に腰を下ろしてラダを見つける。彼は、誰かと会話している様子だった。
「……だからさ、俺も冒険者になろうかなって思ってるんだよ」
それが、彼から聞こえた第一声だった。
相手の姿は背を向けていて分からなかったが、服装から冒険者らしいとは分かった。
「へぇ、でもお前って親父の後継ぎするんだろ。どうして急に冒険者を目指すつもりなんだ」
相手の男が訊くと、ラダは「簡単なことさ」と答えた。
「やっぱり親父が偉大だからだよ」
「……どういう意味だ?」
「結局さ、俺って今のままじゃ親父の後継ぎなんか絶対できないんだ」
ラダは溜息がてら言った。
「いや、でもお前も腕利きで有名じゃん。カパリさんも認めてるんだろ?」
「それが相応しくないんだよ。俺はまだまだだからさ」
悪いと思っていても、耳を傾けてしまうナナ。
すると、このタイミングで店員が「お待たせしました」と、笑顔で袋詰めしたインスタントコーヒーを渡してきた。ナナは聞く耳を離し、お金を取り出して支払いを済ませると、店の扉を押し込み、店を去ろうとした。しかしその時、ラダが言った言葉を、ナナはよーく覚えていた。
「だから冒険者になるんだ。ダンジョンに潜って大工技量磨いてさ、世界各地で色々な建築技術見て、親父を超える大工になりたいんだよ」
……確かに、そう言っていた。
「私が覚えているお話は、以上です」
全てを伝え終えたナナ。
アロイスは「ふぅむ」と、頷き、口を開いた。
「なるほどな。そういう話だったか」
「はい。冒険者になるというのは、大工技術を磨くことにも繋がるのですか?」
「なるかならないかで言えば、なる」
アロイスは腕を組み、仁王立ちして説明した。
「冒険者の潜るダンジョンは、基本的に朽ちた古代遺跡だ。当然、補修技術を始めとして建築知識が必須になる。実践を通して多種多様なダンジョンに対応した建築知識と実践技術を学ぶには、これ以上ない経験になるだろうな」
話を聞いたナナは「なるほど……」と、返事をし、それを思い出す。
(そういえば、アロイスさんも廃屋の片付けだけじゃなくて酒蔵の補修作業をしてくれたっけ)
冒険者とは、命を賭して夢を追う。その為に必要な知識は、幾らあっても足りるものではない。
「じゃあ、やっぱりラダさんが仰ってたように、冒険者になる意味はあったんですね」
「そうだな。ナナの言った通り、親父のカパリさんも、きちんと息子さんの話聞いてあげてれば……」
朝からこんな大騒動も起こらなかったのに。
カパリさんの事だから、ろくに話も聞かずに怒り狂い、息子は飛び出していってしまったんだろう。
「やれやれ……」
アロイスが困ったように頭を抱えると、その時。
ゴブリン工務店の扉がゆっくりと開いて、カパリが顔を覗かせた。
「あっ、カパリさん」
アロイスが言う。と、カパリは「今の話は本当か」と言った。
「……本当です。お話、聞いていらっしゃったんですね」
「店の前でこれ見よがしに話してりゃ、嫌でも耳に入るわい。それより、ラダがそんな事を……?」
カパリは、ナナを見つめた。
「あ、はい。間違いなく聞きました。立派に後継ぎするためだって」
「……あの馬鹿。そんな事をしなくても、最高の後継ぎだと思っているというのに」
そう言って深く溜息を吐いたカパリに、アロイスは「何だ…」と安心した。
(やっぱり、仲睦まじい親子じゃないか。カパリさんも息子の話をもっと聞いてあげれば良いのに……)
職人気質の親子らしい喧嘩といえば、彼等らしいが。
すると、三人が話をしている時、少し遠くから、ゆっくりと歩いてきたラダの姿が見えた。
「あ、ラダさんが戻ってきたようですよ」
先に気づいたナナ。アロイスも彼に目を向ける。
彼はかなり若いゴブリン族で、父親を若くしたような姿をしていた。若い分、背の高さや象徴的な筋肉は強く脈打っているようだったが。
「……親父」
戻ってきたラダは、ゆらりと父に近づく。
父が「なんじゃ」と返事をすると、歯を食いしばって、父に喋り掛けた。
「俺さ、今、このまま町を出て行こうと思ったんだ。だけどダメだ。やっぱり、親父に認めてもらってから出て行きたい」
「……謝りに来たかと思えば、まだそんなことを言いに来たというのか」
カパリの額に、ビキリと血管が浮き立つ。
「お、俺は冒険者になりたいんだ。でも俺は俺の考えがあるから、聞いてくれよ!」
両腕を拡げ、大げさなジェスチャーを振る舞って言う。
カパリの顔は明らかに苛立って見えるが、アロイスたちの話を聞いた分、彼に耳を傾けることが出来ているようだった。
「い、言ってみろ……」
両拳を血が滲むのではないか、というくらいにギチギチと鳴らす。
ラダは父親の様子に気づきながらも、自分の夢の為、必死に訴えた。
「話……聞いてくれるのか。なら、聞いてくれ。親父、俺は店の為に冒険者になりたいんだ。冒険者になって、世界を回って、色々なダンジョンで経験を経て、いつか立派になってこの店に戻ってきたいんだ。頼む、俺が冒険者になることを認めてくれ!」
ラダは、気をつけの姿勢から深々と頭を下げた。その際、ラダは頭を下げていて分からなかったが、アロイスとナナは、一瞬カパリの表情が戦闘態勢になりかけたのを見ていた。
「……ッ!」
が、しかし。
カパリは寸での所で怒りを沈め、「カァーッ!」と一言放った。
「お、親父……?」
その声に反応したラダが頭を上げると、カパリは全身を震わせつつ目をギュっと閉じ締めて、ただ静かにこう言った。
「想いは……伝わったわい……。ただ、誰が……命を落とすような可能性のある場所に、息子を喜んで送り出せるというんじゃ……?」
その通りだった。誰が好き好み、息子を危険な戦場に送り出せるというのか。どれだけの理由があろうとも、それを喜ぶ親などそうそう居るはずもない。
「親父……」
父親の愛を感じたラダは、下唇を噛んで血を滲ませた。
「ラダ。お前は、本当に冒険者になる意味があるのか。ワシの下で、この町で腕を振るうだけではダメなのか」
カパリはラダの瞳を見つめ、問い質した。
だが、心の決まっていたラダは頷いて言った。
「俺、親父に負けないくらいの腕前になって帰ってくる。だから、信じて待っていてくれないか」
もう今さら、その想いは変えようがないらしい。こうなれば、あのカパリも諦める他はなかった。
「……分かったわい。お前の熱意には負けたよ」
カパリは細々と言った。
「お、親父……良いのか……」
「熱意に負けたわい。もう、ワシがどうとも言わんよ」
認めるように小さく言う。ただ、忘れてはならないべきことだけは真摯に言った。
「ラダ。認めはするが決して不孝者にだけはなるな。これだけは約束してくれるな」
「……ああ。絶対に生きて、立派になって帰ってくるよ」
そう言ってラダが手を差し出すと、カパリもそれに応じた。どうやら、熱い親子喧嘩は一件落着したらしい。
「何とか落ち着きましたね」
ナナは小声でアロイスに耳打ちした。
「何とかな。だけど、カパリさんの息子さんが冒険者になるのか……」
アロイスは「それならば」と、ある提案をした。
「ナナ。急なんだけど今日の予定をちょっと変更して良いかな」
「えっ、変更ですか?」
「試験開店のお客さん、やっぱり、カパリさんとラダさんにしようと思うんだ」




