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叡智ノインシュタイン(18)

 

 頭を押さえ、瞳孔を開く。彼女は、高い興奮状態に陥っている。


「どうした! 落ち着くんだエリー! 全ては終わったんだ! 」

「違う、違うの! 全部……全部思い出したの! 」


 泣き叫ぶエリー。纏っていた黒の魔力が消え、少女の白い身体が露わになる。アロイスは自分のシャツを脱いで彼女に着せようとしたが、露わになった肉体が、妙に、輝いていることに気づいた。


(……何だ? )


 比喩的な表現ではない。彼女の足元から首筋、頭部にかけて眩く白い輝きを放っていた。そして、光が増す度に、少女の身体が徐々に消えていく。大気の中に、煙のように形もなく、飲まれていく。


「エ、エリー! お前、身体が!? 」


 アロイスは「どうしたんだ! 」と声を荒げると、彼女はアロイスの胸の中で泣きながら言った。


「……お兄ちゃん、私、もうこんな辛い想いをして生きていたくないよぉ! 」


 な、何だって……?

 それは、エリーが全てを知った事で、生きる事を、否定しまった結果だった。


「ふ、ふざけるな! エリー、そんな事を考えるな! 」

「私の存在が誰かの迷惑になるのなら、もう、生きていたくないっ! 」

「……ッ! 」


 アロイスの額に汗が流れ出す。エリーの涙も頬を濡らす中に、ぽつ……ぽつ……と、雨雫が打ち始めた。木々を濡らし、立ち昇る土の香り。やがて雨はザァザァと音を立て、二人を飲み込む。


「ど、どうして身体が消えていくんだ! 死にたいと願ったのか! エリー、そんな事を考えるな! 」


 エリーは、肉体から煌めく光を放つ。アロイスの腕の中ですすり泣きながら、ある言葉を、口にした。


「お兄ちゃん、悲しまないで。私ね、もう、どっちみち限界だった……」

「限界って、何がだ! 」

「私ね、信じられないかもしれないけど、誰かを襲っても、血は……吸ってないんだ……」

「血を吸って……いない? 」


 ヴァンパイアが生きていく上で必須となる、吸血行為をしていなかった、と。


「さっき、私がやってたこと全部思い出したの。真っ黒な自分が、血を吸いたい吸いたいって外に出て、誰かを襲ってた。でも、そんなことをやっちゃダメだって、黒い私を押さえてたんだ」


 エリーは悲痛な表情でアロイスを見上げる。


(そ、そんなこと……! )


 アロイスは思い出す。巨大な鳥に襲われた冒険者たちは、目立つ怪我をしていないと言っていた。もし吸血行為をされたのなら、ただでは済まないはず。そもそも自分の時ですら、エリーは吸血行為をしてはいなかったではないか。噛みつき、麻痺毒を出したとしても。……決して、誰かの血は吸っていなかったのだ。


(血を欲して自我を失い吸血行為を働くのは、恐らく血が枯渇している時だ。つまりヴァンパイア一族にしたら死に体ということ。……だ、だとしたら)


 少女は出会った時から、既に限界だった。細く冷たい身体も死にかけていたから? それでいても、エリーという年端もいかない女の子は、辛い禁断症状を押さえ、自分たちの知らない所で、ずっと戦い続けていた。


「……ッ!! 」


 これほどまでに、自分が情けないと思ったことはない。今、誰よりも傍にいた自分が、少女の辛さに気づいてやれなかった。だが、全てを理解しても、腑に落ちないことがあって、アロイスはエリーに尋ねる。


「で、でもどうしてだ! エリー、お前たちは血を失っても死ぬ事は無いはずだ! ミイラとなるばかりで、そんな……身体が消えていくはずはないだろう! 」


 そう、ヴァンパイア一族は基本的に不死の一族。銀で心臓を貫かれぬ限りは、死ぬ事はないと記載されていた。長き眠り、ミイラとなって生きていく筈なのだが。


「それは、私が生きる事を嫌だって思ったから……」

「……っ」

「生きてる限り、私は誰かに迷惑を掛け続ける。そんなの嫌だから……」 

「ば、馬鹿野郎ッ!! 」


 血を失った少女の強き願い。

 『死。』

 自らの強烈な魔力に共有し、死ぬ、という影響を齎したというのか。


「エリー、生きるんだ! そんな事を想っちゃいけない、お前は生きなくちゃいけないんだ! 」

「……もう駄目だよ」


 少女は、出会った日と同じように、小さく、ふるふる、と首を横に振って言う。足元が崩れ、その場に倒れ込みそうになる。アロイスはそれを支え、少女の片手を強く握り締めた。


「駄目っていうのが駄目なんだよ! お前は、生きていたくないのか! 」

「お、お兄ちゃん……」

「どうなんだ。生きていたくはないのか!! 俺やナナと、もっと一緒にいたくないのか!! 」


 アロイスの強き台詞に、エリーは「そんな事言わないで」と、片手で顔を隠した。下唇を強く噛み、雨滴か涙か、裏声で涙ながらに、

「そんなの、一緒にいたいに決まってるよぉ! 」

 大声で叫び、言った。


「なら、生きる事を諦めるな! 家に帰ったら婆ちゃんや、俺やナナがいる! あったかい料理を食べて、たまに買い物して、生きる事を楽しむんだ! 」


 訴え続けるアロイスだが、エリーは、それも首を振って否定した。


「だから……だよ。皆優しいから、だから、生きていたくない! これからも皆に、優しい皆に迷惑をかけたくないがらぁっ!! 」


 優しいからこそ、自分の存在が『黒』であると認識した。もう、彼女の肉体の崩壊を飛べる術はない。彼女の心の奥底で、生きることを諦めているのだ。ついに肉体は半身を飲み、彼女の胸元へと迫っていく。


「エリィ一ッ!! ダメだダメだ!! お前が血を欲したら、俺の血をやる! 俺は誰よりも頑丈なんだ、お前が血を吸ったくらいで何も変わらん、安心して俺の血を飲めば良いっ!! 」


 何を叫ぼうが、少女の心には届かない。

 エリーは薄っすらと悲しみと笑みの狭間に立った複雑な表情を浮かべるばかりで、返事もなかった。


「ふ、ふざけるなよっ! 」


 一体、少女が何をしたというのか。本当は優しい心を持つ幼い女の子が、これほどまでに辛い気持ちと共に死を迎えるのが、神が願ったことなのか。なら、そんな神などいらない。


「どうしてだ……。お前を不幸にする神がいるなら、俺はお前の為に神を殴り飛ばしてやりたい。エリーが、こんな辛い想いを……」


 エリーの肉体、胸元が消えていく。もう、間に合う術はない。


(……エリーの親父さんたちは、こんなに優しい子を一人にしてまで自分たちが死ぬ道を選んだのか。人々から逃げて生活することは出来なかったのか! )


 普段は温厚な種族だったからこそ、一族は死を受け入れたのかもしれない。だけど、こんな少女を一人だけ残すなんて。遥か未来に一人だけを残すだなんて。


(……だからといって、エリーも人間たちに殺されろとは言わないさ。ただ……叡智たる一族が、呆れるぜ。俺はアンタらを凄いと思ったが、撤回する! 神と同じように、こんな少女一人に辛い想いをさせることを考えなかったのか。もっと、何か手立てがなかったのか! )


 本当に手立ては無かったのか。もう、ちいさな体は消えかけていた。……だが、全てが終わってしまう寸前。アロイスの頭に、何か突き刺さるものがあった。


(あれほどの能力や先見性のあった叡智たる一族が、本当に少女一人を救えなかったのか。もし、エリーという少女が、こうなることを予想していた可能性があるんじゃないのか!? )


 その時、白く輝くエリーの胸元で揺れる赤き鉱石を見て、それに気づいた。


(お、おい。錬金術とは『赤が全て』だったな。そして、錬金術とは、黒で終わり、白で始まり……赤で完成する……と…… )


 そうだ。エリーの最初のカラーリングは何だった。

 漆黒となった。

 白く輝いた。

 更に、胸元で輝く赤きネックレスの存在は。


 これは全て、錬金術の基本じゃないのか!?


(どうして気づかなかった! )


 アロイスは背筋が凍りつく思いだった。

 遠い過去で、エリーという存在が黒、白、赤の順序を踏むことを理解していたなら、数百年後の未来で娘を助けるため、『全ての赤』となるネックレスを、最初から身につけさせていたのなら。

 黒という死を経て、白くなって再生の時を迎える。やがて、赤色で昇華は成されることまで、読んでいたとしたら。


 もう、賭けるしか無い。彼女の本当の気持ちを、今一度、ここで引き起こす!


「エ、エリィーッ!! お前の願いは、死ぬことなのか! 死ぬことだけが望みなのか! 」


 アロイスは、全力で彼女に声をかけた。


「エリー、答えろ! 口に出すんだ! 心から願え! お前の本当の願いを、その赤きネックレスを握り締めて、全力で願うんだッ!! 」


 もう絶対的な死を覚悟していたエリー。薄れていく視界と意識の中に届くアロイスの声に、掠れながら返事する。


「ど、どうして……。わ、私の願いって……私の願いは死ぬこと……」

「違う! 出会った頃、お前が繰り返した言葉だ! お前の本当の願い、それは死ぬ事じゃない! 」


 分かっていた。彼女の本当の願いは、きっと、死ぬことでも、この時代を歩むことでもない。散々繰り返してきた、あの思いだ。


「……ッ」


 エリーは、本当はその言葉でアロイスを傷つけるんじゃないかと思って、言わなかった。最期に伝えようとはしなかった。でも、アロイスの気迫を前に押され、その言葉を、願いを、静かに口にした。


「私の本当の願いは……」


 本当の、願いは。


「おうちに帰りたい。今じゃなくて……お父さんと、お母さんに会いたいッ……! 」


 エリーは、父と母に会いたかった。皆が居た、あの時代に帰りたかったのだ。

 そして、願いを口にした瞬間のことだ。

 赤き鉱石が眩く、力強く、まるで、辺りを昼間のように照らした。

 白の光に消えかけていたエリーの肉体が、強烈な赤の輝きに染まる。


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