叡智ノインシュタイン(17)
出会った日も一戦は交えたが、エリーはが勝手に倒れた事で勝利したことに等しい。そもそも相手は不死。普通の武器じゃ痛みも感じないようだ。
(エリーをナイフで傷つけることをやりたくない。だけど、やらねば……)
ナイフに握る手に力が篭る。
……だが、その一瞬のうちに、エリーは視界から消えていた。
「なっ、消え……下かっ!! 」
目を離したわけじゃない。決して油断はしていない。それでも彼女は、目に捉えきれない速度でアロイスの真下に移動していて、既に、右腕をアッパーのように突き出していた。
「うぉっ! 」
肘部分に魔力を込めて、彼女の拳と打ち合って相殺する。激しい魔力の雷が、バリバリと眩く光る。アロイスは打ち合った隙に距離を置こうと後方に飛ぶが、エリーはそれすらも許さず、空中を飛んで追尾して打撃を次々と浴びせてきた。
(早い、重い、凄まじい魔力だ! 無理だ、とてもじゃないが手を抜くことなんて出来んッ! )
持っていたナイフの側面で、殴りかかってきた彼女の右手を叩き落そうとする。だが彼女は寸前に腕を捻り、それを避けた上でアロイスの顔面に一発を入れた。
(ぬぐっ、頭を持っていかれるッ! 回転、間に合えッ! )
拳を入れられた瞬間、殴られる方向に向かい身体を捻って、その場でグルリと回転して衝撃を和らげた。着地後、地面に這うように姿勢を低くしたまま、彼女を転ばせるべくコンパスのように円を描く足蹴りを放つが、彼女は翼を使って飛翔し、近くの大きい木の枝に飛び乗った。
「……ちッ」
アロイスの口元に、血が滴った。殴られた衝撃自体は左程ではなかったが、どうやら纏った黒のオーラは魔力の塊で、殴り合いの最中に刃として具現化し、外面ではなく肉体の内側に深いダメージを与えていた。
(それなりに本気で立ち向かってるってのに、まともに傷つけられたのは何年ぶりだ。……何て強さだ、エリー。状況判断能力はコンマ単位で可能なうえ、パワー、スピード、テクニック、あらゆる面で優秀か。それでいて空に飛ぶことも出来るとは。恐らくは痛みも感じず、不死の肉体と来たもんだ)
唯一の救いは、その攻撃のパターンが近接に限られているため、ある程度の距離を置けば休息が可能なことくらいか。
……と、思っていたが。
「ガアッ!! 」
エリーが吼えた瞬間、口元から漆黒の魔力砲が、細長いビーム状に射出された。
「冗談だろっ!? 」
危ない!!
危うく、それは回避した。放たれた漆黒の射撃と衝突した地面には、黒の硝煙が立ち昇り、底の見えぬ深き穴がポッカリと空いていた。
(こ、高密度の魔力エネルギーをビームにして射出したのか。そりゃ、そもそも魔法が使えるのに遠距離の攻撃パターンも持っているに決まってるよな……。弱点が見えないとは……。だが、しかしなッ! )
再び彼女が魔力砲を放った後、それを避けてから彼女へナイフを投げつける。無論エリーは余裕でそれを簡単に弾き返すが、その弾いた一瞬を狙って距離を詰め、彼女の顔前に思い切り拳を振り抜いた。
「ギッ!? 」
かなりの速度で展開した拳。あまりの速さに彼女も驚いたようで、叫び声をあげた。
「おいたが過ぎる妹だ! これで反省するこったなッ! 」
ついにアロイスの右拳が、彼女の右頬を確実に捉える。
バゴォッ!
重い衝撃音。エリーは殴り飛ばされ、地面に激しく叩き付けられた。ひどく土煙が舞い上がる。
今度はアロイスが代わりに木の枝で吹き飛ばした彼女を見下ろすが、やはり、ダメージは無いようで。
「……自信がなくなるね、こりゃ」
本当なら、普通の人間の頭蓋骨くらい粉砕できる一発。災厄とされる竜を気絶させるくらいワケのない一発。しかし、それを喰らっても、エリーは平気な様子で、何でもないよう立ち上がった。
「参った……。強いとか、そういう次元じゃない……」
かつて500年前。彼女のようなヴァンパイアが、血を欲する日に、容赦なく襲い掛かってきたのなら、人々にとって、その恐怖は耐え難いものであっただろう。彼らを滅ぼし、無き歴史とした当時の人々の心境はよく分かる。
(し、しかしだ……)
ヴァンパイア一族もとい、豪家ノインシュタイン。
彼らは、自分たちを変えようと必死だった。家族を守ろうと、一族を守ろうとしていた。人と同じように、愛する者を守る心と、誰かを愛する心を持っていたんだ。
「……ッ」
彼女を想えば、全身が震える。拳を血が滲むくらい強く握り締めた。枝から地上に降りて、彼女に向かい、目いっぱいに叫んだ。
「エリーッ!! しっかりしろ!! お前の母親や父親は、そんなお前を見たくなかったはずだ!! 」
とてつもない大声は、遠くまで響いた。バサバサと遠くで鳥が飛び、どこかの獣が思わず雄たけびを返す。だが、そんな熱き想いでも、彼女の耳には届かなかった。
「ギャアアアッ!! 」
エリーは叫び声を上げ、再びアロイスに襲い掛かった。右腕、左腕、一つ一つが命を刈り取る攻撃を繰り返し放った。何とか全てを弾き返すことは出来るが、このまま戦い続けても埒が明かない。
意を決して、彼女の心に訴えかけるしかない。
(この数日、俺やナナを信用してくれたお前だから。例え別の人格が支配したとしていても、その人格もお前自身だろうと俺は信じるぞ! )
わざと、隙を作った。エリーは、ここぞとばかりに八重歯を尖らせてアロイスの首筋に噛み付いた。夥しい血液が飛沫し、肉体に強い魔力が流れ込む。猛烈な麻痺と催眠作用に意識が飛びかけも、噛み付かれたまま、彼女を強く両腕で抱きしめた。
「……あ、あづッ……!! 」
すると、彼女を覆う黒い魔力に触れた両腕に、炎で燃やされているかのような激痛が走った。。恐らく、身体を守るための自己防衛的な能力かもしれないが、それが逆に、落ちるはずだった意識に覚醒を齎してくれた。
「エリー、しっかりしろ。俺の顔を見るんだ! 」
痛みに構ってる暇なんかない。アロイスはエリーを強く抱きしめた。
「俺の声が聴こえないか。エリー! 」
「グ……ググッ……! 」
「俺もナナも、お前の帰りを待ってるんだ。目を覚ますんだ、エリー!! 」
抱きしめた両腕の皮膚が、ベリベリと剥がれて血が噴き出す。黒の魔力は、アロイスの肉体を侵食し、燃やすような激痛と傷を負わせる。
(ぐぬっ! このままでは、俺が殺され兼ねん……が、しかし……ッ! )
エリーはきっと帰ってくる。
少女の心の奥底は、優しい心が眠っているんだと知っているから。
そう信じて、己の肉体が朽ちかけようとも、抱き締めるのを、叫ぶのを止めなかった。
「エリー……戻って来いッ!! 」
魂の叫びだった。
その時、アロイスの首筋に伸びた黒の魔力が肉を裂き、鮮血を散らす。それはエリーの顔に降り注ぎ、刹那、エリーの表情に曇りが見えた。
「アッ……!? 」
温かな血。顔に触れた一瞬で、黒に支配されていたエリーの自我が僅かに戻った。
(お、おに……い……ちゃん……? )
漆黒の魔力の隙間から、自分を強く抱き締める兄の姿を見た。
(あ、あれ……!? )
そして、自らを取り巻いていた闇にようやく気づく。
(わたし……、私、私はどうして! )
自我を取り戻した瞬間、覆っていた魔力は徐々に消え始める。赤く発光していた瞳が澄んで、暴走していた意識が心の奥に沈んでいく。ただ、黒の魔力が消えていく中で、少女の心に、ある最悪なモノを残してしまう。
「エリー、落ち着いたのか……? 」
「お、お兄ちゃん。私はどうして……」
エリーは完全に自我を取り戻した。しかし、それこそ最悪を呼ぶ引き金だった。
今、自分を取り戻して瞳に映ったものは、自らの魔力で酷く傷つけてしまったアロイスの姿。更に、傍に倒れている冒険者の二人組。それに連なって、自分がしてきた全ての残虐的な行為について、記憶を呼び覚ましてしまったのだ。
「あっ……、ああっ! あああっ!! 」




