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喫茶店でマスターと笑いあう隼人の笑顔は、とても自然だった。
いつもと違うのは、彼が声を出さないという一点だけ。
他の客がいないことをいいことに、二人の会話に私も会話に参加する。仕事中だけれど。……というか、マスターだって今は仕事中のはずなんだけど。
『声が出なくても問題ない仕事に就いててよかったですよ。もしもアーティストになってたら、今頃はもっと大変だったでしょうし』
そんなことをさらさらと紙に書いて笑う隼人は、強いと思う。
私が隼人なら、きっと笑えないから。
『そういえば、最近かすみちゃんの話が出ませんね。彼女、元気ですか?』
隼人の渡したメモ用紙を見て、マスターの顔が曇る。どうしたのだろうと思ったら、マスターはがっくりと肩を落として呟いた。
「……あの子、彼氏ができたのよ。ラブラブの、ハートマークが乱舞してるような写メを送ってこられてね。お、親としてどう反応すればいいのか……!」
頭を抱えるジェスチャーをしたマスターは、本当に、心の底から悩んでいるようだった。
彼氏さんはどんな人なんです? と訊いてみたら、「私よりもダンディーな男前なのよ」という答えが返ってきて、思わず笑ってしまった。
仕事も無事に終わり、隼人と一緒に帰宅して晩御飯を食べた。最近は、私も料理するようになった。――まともに作れるのは、チャーハンくらいしかないけれど。近々、肉じゃがを作れるようになる予定だ。……あくまでも、予定だけれど。
食後、隼人が新しく書いていた楽譜を読んだ。彼に教えてもらったおかげで、ある程度なら読めるようになったのだ。メロディーを口ずさみながら、歌詞を目で追う。思っていた以上に、サビのリズムが難しい。この曲をちゃんとうたえるようになるまで、まだまだ時間がかかりそうだった。
気分転換をしようと、真っ暗な空を見ながら窓を開けた。回転寿司の看板が浮き上がって見える。春の温かな日差しは夜の空気に吸収されてしまったようで、肌寒かった。隼人の方を振り返ると、彼はコーラを飲みながら、催促するような目でこちらを見ていた。
いいの? と訊いた日のことを、今でも鮮明に覚えている。私としては、隼人の前で『その話』を出すのはいけないんじゃないかと、思っていたから。
私は隼人の目を見て頷くと、月を見上げた。冷たくて、けれど綺麗な形をしていた。
押入れから出してきた手書きの楽譜を彼が手渡してきた時、私は戸惑った。
だってそれは彼が作った曲で、――私なんかが、
「私がうたって、いいの?」
彼は、穏やかな顔で頷いた。
泣いていた私のためにうたってくれたあの歌を。
ずっとうたい続けてくれたその歌を。
――私は。
大きく息を吸い込んでから、私はゆっくりとうたいはじめた。
彼のためだけにうたう、その歌を。