第4話 叛逆の一歩
業炎将軍ジルベキスタンの指揮する魔族軍は、漆黒の闇に溶け込むように進軍していた。前方には、人族の守る都市「エルヴァレン」の灯りが微かに揺らいでいる。
俺は、魔族の重装歩兵たちに混じり、冷たい夜風を頬に受けながら進んでいた。
「覚悟はできているか、人よ」
ジルベキスタンが低い声で問いかけた。彼の目は、炎のように揺らめく赤い瞳で俺を見下ろしている。
「できています。願いを言える立場ではありませんが、頼みます。先陣を切らせてください」
俺の声には、迷いがなかった。この世界に連れてこられ、捨てられたとき、唯一手を差し伸べてくれたのは魔族だった。
煉獄魔将ヴァラクが俺に与えた居場所――それを受け入れるためなら、たとえ同族を敵に回しても構わない。
「よかろう。ただし、我々の防御結界が敵の魔法陣に触れるまでは、陣中に留まれ。無謀な突撃は許さぬ」
俺はうなずき、前方に視線を向けた。エルヴァレンの城壁には、無数の松明が揺れ、人族の騎士たちの甲冑が鈍く光っている。彼らは、魔族の襲来に備え、緊迫した空気に包まれていた。
(あれが…俺の“敵”か)
胸の奥で、かすかな痛みが走った。しかし、それはすぐに消えた。この世界の人間は、俺にとっては所詮“他人”だ。
この世界で味わった孤独と裏切りに比べれば、この程度の罪悪感など取るに足らない。
魔族軍が人族の陣地から数百メートルの地点に到達したとき、ジルベキスタンが右手を上げた。
「防御結界、展開! 全軍、突撃準備!」
紫色の魔法陣が魔族軍全体を覆い、人族の放つ最初の魔法攻撃を無力化した。矢の雨が結界に当たり、火花を散らす。その轟音の中、俺は自らの剣に手をかけた。
(さあ…行くぞ)
「先陣、突撃せよ!」
ジルベキスタンの号令と同時に、俺は防御結界から飛び出した。足元から爆発的な力が湧き上がり、人族の最前線にいた槍部隊の頭上を飛び越えた。兵士たちの驚いた顔が一瞬視界に映り、そして――
背後に着地し、振りかぶった剣を横一文字に振るった。
「ぐああっ!」
俺の斬撃が最初の兵士を鎧ごと両断する。血しぶきが夜空に舞った。周囲の兵士たちが慌てて振り返り、槍を構えるが、その動きは俺にとっては鈍く映る。
(速い…俺の動きが、以前とは比べ物にならないほど速い)
煉獄魔将の配下となってから、俺の身体には魔族の戦闘技術が刻み込まれていた。
彼は俺にこの世界での戦い方を教えてくれた。肉体強化本能のように戦い方がわかり、敵の隙間が手に取るように見える。
二人目、三人目――剣が鎧を貫き、骨を砕く。悲鳴と金属音が混ざり合い、俺の周囲には次々と敵兵が倒れていく。
「君は魔族に操られているんだ! 目を覚ませ!」
どこからか、人族の騎士の叫び声が聞こえた。銀色の甲冑に身を包んだその騎士は、聖印の刻まれた盾を構え、俺に向かって突進してくる。
「操られてなどいない!」
俺は叫びながら、騎士の盾撃を受け止めた。衝撃が腕に走り、足元の地面が割れる。騎士の目には、怒りと悲しみが入り混じっていた。
「なぜだ! なぜ人族でありながら魔族に味方する!」
「なぜって…」
俺は力を込めて盾を押し返し、間合いを詰めた。
「人族が俺を必要としなかったからだ!」
剣が盾の隙間を突き、騎士の脇腹を貫いた。騎士は苦悶の表情を浮かべ、その場に崩れ落ちた。彼の最後の目には、理解できないという困惑が浮かんでいた。
(そうだ…お前たちにはわからないだろうな)
俺は剣を抜き、次の敵に向かった。心の中では、この世界で味わった孤独と絶望がよみがえっていた。誰にも必要とされず、どこにも居場所がなかったあの日々。
煉獄魔将は、そんな俺に初めて人として扱ってくれた。
たとえそれが人族を滅ぼすための利用であっても、偽りの言葉であっても――少なくとも、魔族は俺を“必要”としてくれた。
戦場は混乱に包まれていた。魔族の本隊が防御結界を解除し、人族の陣地に怒涛のごとく押し寄せている。エルヴァレンの城門は炎に包まれ、守備兵たちは次々と蹴散らされていく。
俺は戦場の中心で、血に染まった剣を構えていた。周囲には、俺が倒した十数人の兵士が転がっている。息は荒く、腕は震えていたが、心は奇妙なほどに冷静だった。
(これが…叛逆者の道か)
「よくやった」
背後から、ジルベキスタンの声が聞こえた。彼は炎の鞭を手にし、周囲の敵を薙ぎ払いながら俺に近づいてきた。
「ヴァラク閣下に報告する価値ある戦いぶりだ。お前は確かに、我々の戦力となり得る」
俺はうなずき、頭を下げた。遠くで燃え盛るエルヴァレンの城を見つめた。今夜、多くの人間が死に、家族が引き裂かれた。その原因の一端に、俺がいる。
胸の奥で、かすかな後悔の念が芽生えかけたが、俺はそれを振り払った。
(もう戻れない…戻る場所もない)
この一歩を踏み出した以上、俺は魔族の道を歩み続けるしかない。煉獄魔将の配下として、より強く、より多くの戦いに身を投じていく。
「次はどこへ向かうのですか? 将軍」
俺が問うと、ジルベキスタンは満足げに笑い俺の方に手を置いた。
「まずは、ヴァラク閣下の元へだ。お前の正式な配属を決めねばならん。さあ、行くぞ」
俺は最後にもう一度、燃える城を見つめ、振り返る。深く息を吸い込んだ。
(これでいい…たとえ全てを失っても、この道を進む)
ジルベキスタン将軍とともに戦場を後にする俺の背中には、叛逆者としての新しい人生が待っていた。そして、その一歩目は、今夜の血と炎の中で確かに刻まれたのである。




