↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
杜陵遺誡録 ~【1話完結】日常を侵食するルール系ショートホラー~  作者: ぐるぐる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/15

007_学生寮における寮母の目撃事案(追記)

環境安全ガイドの更新作業は、今も手作業でHTMLを書き換えている。


古いページは構造が複雑で、ほんの少し修正するだけでも、思いのほか時間がかかる。


紅葉寮の自室で作業すればいいのだが、あの部屋に一人でいると、昔からどうも気が滅入ってしまう。


だから私はいつも、サークル棟の冷たく古びた軽音部室に逃げ込んで作業をしている。


しかし今は、どこへ逃げても無駄だった。


視界の端に、あの「目と口が空洞の女」が立ち続けている。


東雲からその特徴を聞いて以来、あのエプロン姿の女は四六時中、私に付きまとっていた。


極度の疲労と睡眠不足で、思考が泥のように重い。


サイトのデータをアップロードするためだけに、重い足取りで紅葉寮の自室へ戻る。


部屋の隅に立つ女の気配に耐えながら、私は携帯を開いた。


自分一人では、もう限界だった。


私は『杜陵遺誡録』の前管理人である先輩のメールアドレスを呼び出し、親指を動かした。


『夜分すみません。詳細は伏せますが、寮の中で目が合って以来、何かに付きまとわれています。心当たりはないですか』


*


翌日。


部室に、甘い匂いをさせた人物がやってきた。


現在は主婦をしている、都筑キョウカ先輩だ。


「差し入れのシュークリーム。ヒカリちゃん、ひどい顔してるね」


都筑先輩は、私の顔を見るなり苦笑した。


メールの文面だけで、先輩には何のことか察しがついたらしい。


私は、東雲から特徴を聞き、そこから自分にも女が見えるようになった経緯を淡々と説明した。


「それは『寮母』だね」


都筑先輩はシュークリームをかじりながら、あっさりと言った。


寮母はひどく曖昧な存在で、感受性が強い者や、その存在を知る者にしか見えないらしい。


そして、寮のルールを破った者の前に姿を現し、付きまとうのだという。


「ルールを破っても、必ず現れるわけじゃないんだけどね」


「寮に入って四年目ですが、初めて聞きました……」


「ヒカリちゃんは、これまでの経験で感受性が高まってたんだと思う。そこへ東雲さんから『目と口が空洞』っていう特徴を聞いて、見える条件がそろっちゃったんだよ」


「では、私が何かルールを破ったということですか?」


「そう考えるのが自然だね。寮の掲示板に貼ってある張り紙を、もう一度よく見直してみなよ」


都筑先輩はそれだけ言うと、あっという間に帰っていった。


*


紅葉寮に戻った私は、エントランスの掲示板を見上げた。


色褪せた規則一覧の中に、こんな一文があった。


『火気厳禁(室内での喫煙・火気の使用禁止)』


もちろん、その規則があることは知っていた。


だが、換気扇の下で吸えば誰にも迷惑はかからないだろうと勝手に解釈し、自室でこっそり煙草を吸うことが、いつの間にか日常になっていたのだ。


あまりに当たり前になりすぎていて、張り紙の文字を直接目にするまで、それがルール違反だと意識することすらなかった。


私は自分の甘さを呪いながら、部屋のドアを開けた。


窓際に、エプロン姿の女が立っていた。


私は引き出しからライターと煙草を取り出し、床に置いた。


そして、空洞の顔に向かって、勢いよく土下座をした。


「すみませんでした。部屋で煙草を吸ったことは、私が悪かったです」


額を床につけたまま、必死に言葉を続ける。


「もう室内では絶対に吸いません。二度とルールは破りません。だから、どうか許してください」


しばらく、返事はなかった。


やがて、ふっと部屋の空気が軽くなった。


顔を上げると、女の姿はどこにもなかった。


呆れたのか、謝罪を受け入れたのか。それはわからない。


ただ、私は助かったのだ。


翌日、私は東雲を部室に呼び出した。


私の視界はすっかりクリアになっていたが、パイプ椅子に座らされた東雲は違った。


彼女はガタガタと震えながら、部室の暗い隅から目をそらせずにいる。


私は、都筑先輩から聞いた『寮母』の性質――寮の規則を破った者の前に現れるという話を東雲に伝えた。


「東雲、何か思い当たることがあるんでしょ?」


私が冷たく言い放つと、東雲はビクッと肩を跳ねさせた。


「……ごめんなさい」


ポロポロと涙をこぼし、彼女は白状した。


静粛時間に、自分の彼氏をこっそり寮の自室に連れ込んだのだという。


「私にはもう見えない。でも、あんたには見えてるんでしょ」


私は、東雲が怯えきって見つめている暗がりを指差した。


「……『寮母さん』に謝りな」


東雲は床に這いつくばり、しゃくり上げながら必死に謝罪の言葉を繰り返した。


*


すべてが終わった後。


私は都筑先輩に一通のメールを送った。


『なぜ、この寮母の件や謝罪という対処法が、『杜陵遺誡録』に一切記載されていなかったんですか?』


数分後、返信が届いた。


『昔の編纂者のことは知らないけど……彼氏を部屋に連れ込んだなんて、公式のノートに書けるわけないでしょ(笑)』


『杜陵遺誡録』に記録がなかった理由はわかった。


だが、同じ怪異に遭遇した者が、対処法を知らないまま苦しむことは避けたかった。


顔の具体的な特徴は伏せておこう。少なくとも、私が東雲から聞いたような情報を、そのまま後継者に伝えるわけにはいかない。


私はノートパソコンを開き、環境安全ガイドに新たな記録を書き加えた。


『杜陵大学周辺 環境安全ガイド』


更新日:二〇〇八年六月五日


【事例017】(追記)学生寮における寮母の目撃事案


【症状】


伝聞による概念伝播のほか、施設内の規則に違反した際、感受性の高い者や対象の存在を認識した者の前に顕現し、執拗な付きまといを行う。(※概念伝播を防ぐため、対象の具体的な視覚的特徴は記載しない)


【対処法】


自身のルール違反を自覚し、対象へ向けて直接謝罪を行うこと。誠意が認められれば、事案は収束する。


【備考】


原因となった女子学生の事案は、謝罪により収束。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。