7 その頃、彼女の夫は……
マデリーンが回帰してから四日が経過し、この頃には突然変わった王妃の評判がある人物にまで届き始めていた。
「……王妃陛下、今日もいらっしゃいませんね」
「……」
本宮にある広い執務室にて。
その一言に、国王ヴィルヘルムは思わず筆を止めた。
何気なく言葉を発したのは、昔からの付き合いである侍従だった。
彼はヴィルヘルムとは幼い頃からの仲で、ハッキリと物を言うことができる関係だった。
ヴィルヘルムは振り返り、その美しい顔にシワを寄せた。
「――なぜ、王妃のことを気にかけているんだ?」
――王妃マデリーン。
元セヴェランス公爵家の令嬢で、ヴィルヘルムの妻。
妻とはいっても形だけのもので、彼は一度たりとも彼女と閨を共にしたことがなかった。
初夜からマデリーンを放置し、結婚半年で側室を迎え入れた。自分でも最低な夫だと、ヴィルヘルムはわかっていた。
しかし、マデリーンの結婚前の素行を思えば、彼はどうしても彼女を愛することができそうになかった。
彼女との結婚は先代の王が決めたもので、ヴィルヘルムが望んでいたわけではなかった。
決まってしまったことは仕方がないと、彼は婚約を渋々受け入れた。
マデリーンの話で不機嫌になるヴィルヘルムに、侍従は苦笑いした。
「セヴェランス公爵家の令嬢でなければ、王妃になどなれなかった」
「もちろん、陛下の身分は関係していると思いますが……」
侍従は一度言葉を切った。
いつもと違う様子の彼に、ヴィルヘルムはもう一度振り返った。
侍従は彼と目を合わせ、口を開いた。
「――最近、王妃陛下が変わったと噂されているのは陛下もご存知ではありませんか?」
「……」
マデリーンの傲岸不遜な振舞いは、ヴィルヘルムも知っていた。
彼女とは普段ほとんど関わることはないが、それでも噂は彼の元にまで届いてくる。
――使用人に八つ当たりし、王妃の権力を使って好き勝手している。
妻になったことで落ち着くかと思ったが、結局マデリーンは王妃になっても何一つ変わらなかった。
そのような彼女の話を聞くたびに、ヴィルヘルムは嫌悪感を隠しきれなかった。
結婚前、マデリーンはヴィルヘルムに執拗に付きまとうストーカーとして知られていた。
彼自身、彼女に迷惑をかけられたことが何度もある。
会議中に突然押しかけてきたり、他の女と話しているだけでみっともなく騒ぎ立てたり、一つ一つ挙げればキリがない。
実際、マデリーンに危害を加えられた令嬢もいた。自分のせいで無関係のご令嬢が傷付いたと思うと、彼はいつもやるせない気持ちになった。
そんな彼女が変わったとは、とても信じられない。
「……俺の気を引きたいがための演技ではないのか?」
マデリーンがヴィルヘルムの関心を引くために、いつもと違う行動に出ることは何度もあった。
わざと階段から落ちて怪我をしたり、彼に媚薬を盛ろうとしたことさえあった。
媚薬は未遂に終わったものの、あの一件でマデリーンはストーカーの前に最恐が付き、最恐ストーカーという異名で呼ばれるようになった。
ちょうどヴィルヘルムが成人を迎えた十八歳の頃だった。媚薬の件は、今でも忘れられないトラウマになっている。
渋い顔をする彼に、侍従は穏やかな口調で言葉を発した。
「どうでしょうか。私は陛下の御姿を見ていないので何とも言えません」
そこまで言うと、彼は正面にある大きな二枚扉に視線を移した。
「――しかし、王妃陛下がここ四日間陛下の元へ来ていないのは事実ではありませんか?」
「……」
ヴィルヘルムの脳裏に、つい数日前のある出来事がよぎった。
『陛下!陛下のためにお茶を淹れてきました!ぜひ、私と二人でお茶をしましょう!』
二人分の紅茶を載せたトレーを両手に持ったマデリーンが、ちょうどあの扉から入ってくるところだった。
彼女は彼の執務中に押しかけては、茶をしようだの散歩に行こうだの提案した。
彼女と結婚した一年前から続いていることだった。
ヴィルヘルムはいつも、仕事中だからと断りを入れていた。
そのたびに、マデリーンは傷付いた様子で帰って行った。
毎日毎日よく飽きないなぁと、ヴィルヘルムは一周回って感心していた。
「……演技にしては長く続いているじゃないか」
一言呟き、彼は執務を再開した。
今まではもって二日だったのが、今回は四日も続いている。マデリーンにしては長いほうだ。一体いつまで続くか、見ものである。
そんなヴィルヘルムを、侍従は悲しそうな目で見つめていた。
「陛下……」
「俺は王妃のことなんて気にしていない」
そうは言った彼だが、その日の執務は珍しく捗らなかった。
理由は他人から見ても明白である。
仕事中に他のことを考えないヴィルヘルムだが、今日に限ってなぜか妻の顔がいつまでも頭に浮かんで離れなかったのだ。
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