13 お飾りの妻でかまわない
その後、ヴィルヘルムは心ここにあらず状態で本宮へ戻った。
彼を最後まで完璧に対応したマデリーンたちは、ふぅと安堵の息を吐いた。
若い侍女たちの中には、安心感から床にへたり込んでしまうものまでいた。
「あ、あの方って本物の国王陛下なんですよね……?」
そう尋ねたのは、働いてからまだ一ヵ月の新人侍女だ。
彼女は当然、ヴィルヘルムに会ったことなど一度もないだろう。下級貴族みたいだし、国王相手に緊張してしまうのは当然のことだ。
マデリーンは立ち上がれない侍女に手を差し出し、言葉を返した。
「ええ、そのはずよ。まぁ、私も信じられないけど」
「陛下、何おっしゃってるんですか。国王陛下でないなら誰だというんですか」
曖昧な回答に、横にいたエマがすかさず口を挟んだ。
(だって、私も信じられないもの。陛下が私の部屋へ来るだなんて)
三十年間特別な用事以外で、ヴィルヘルムがマデリーンの元を訪れたことは一度もない。
そんな彼が先触れもなしに突然部屋へ来たのだから、驚くのは当然だった。
「でもよかったです、何も言われなくて」
「そうね、あの言葉を信じてもらえるか心配だったけど……一旦は様子見ってことかしら」
彼もまた、マデリーンの変化に驚いているようだった。
今はまだ信じられないようだが、これから善行を積み続ければいつかは信頼を勝ち取れるかもしれない。
今世では、彼女はヴィルヘルムと側妃の恋の邪魔をするつもりは一切ない。
自分はお飾りの王妃でかまわないし、むしろ彼らの仲を応援したいくらいだ。
(当然よ、今世の私の目標は改心して真っ当に生きることなんだから!)
部屋にいた侍女が、不安げに口を開いた。
「陛下はまたいらっしゃるのでしょうか?いつ来るかわからないだなんて、何だか緊張してしまいます……」
「いや、もう来ないと思うけど」
一回来ただけでも奇跡のようなことだというのに、二回も続くするはずがない。
今回部屋を訪れたのも、ただ側妃に対する嫌がらせを注意にしに来たというだけだ。
(陛下はただ愛する人を傷付けられたくないだけよ)
前世の自分はそんな彼が憎くてたまらなかったが、今ならヴィルヘルムの気持ちを理解することができる。
マデリーンもきっと、エマを誰かに傷付けられたら相手に怒鳴り込みに行くだろう。
ヴィルヘルムのすることは何も間違っていない。
マデリーンも三十年という長い年月を経て、ようやく大人になったのである。
「そうだ、近いうちに同年代のご夫人たちを招いてお茶会を開こうと思っているの。準備しないと」
「あら、それは良い提案ですね。王妃陛下」
マデリーンの明るい一言で、重苦しかった雰囲気が柔らかく変化した。
***
王妃宮を出たヴィルヘルムは、本宮へ戻る途中で思わず足を止めた。
後ろをついて歩いていた近衛騎士たちは、慌てて数歩後ろで立ち止まった。
既に日が暮れかけている空を眺め、彼は前を向いたまま呟いた。
「……あれは一体誰だ?」
「陛下、あれと言いますと……?」
一人心当たりはいたが、あれと名指しするのはあまりにも失礼すぎる人物だ。
そのため、彼らは咄嗟に知らないフリをした。
「アレだよ、アレ!」
そこでようやく、ヴィルヘルムが振り返った。
なぜか鬼気迫る表情の彼に、騎士たちはようやく答えた。
「マデリーン王妃陛下ではありませんか……」
左右にいた二人の騎士が、同意するように激しく首を縦に振った。
もちろん、あの場にいた彼らもマデリーンの変化を信じられないのは同じだった。
「さっきの姿……本当に王妃なのか?」
とはいっても、姿形は間違いなくマデリーンそのものだった。
彼女以外にありえないか――と彼は深くため息をついた。
今日、ヴィルヘルムがマデリーンに会いに行ったのは彼女の噂の真偽を確かめるためだった。
数日間マデリーンを影に監視させていたが、彼女は悪行どころか善行を積んでいた。
使用人たちの仕事を手伝ったり、訓練中の騎士団に差し入れを持って行ったり、ボランティアとして町の清掃活動にまで参加しているほどだ。
自分の気を引くためにやっているのかと思っていたが、先ほど会ったマデリーンは以前と人が変わったようだった。
彼を見る瞳には、前のようなおぞましい執着や重すぎる愛が感じられなかったのだ。
それどころか、いつも淀んでいるその瞳は今日に限ってやけに透き通っていた。
――そのとき、ヴィルヘルムは初めて、マデリーンのことを美しいと思った。
(……俺は何を考えているんだ?)
自分でも信じられない気持ちだった。
嫌悪していたマデリーンにそんな感情を抱くだなんて。
「……俺は、どうかしてしまったようだな」
彼はポツリと呟いた。
なぜか、足が石のように固まったまま動かない。
ヴィルヘルムは、しばらくマデリーンの住む王妃宮をじっと見つめていた。
そのとき、背後から彼に近づく一つの影があった。
「……陛下」
「…………君は」
鈴の鳴るような声に振り向くと、彼のよく知る女性が立っていた。
桃色のストレートヘアに、空色の瞳。小柄で華奢な彼女は、彼のもう一人の妻だった。
「……ソフィア」
――ヴィルヘルムの側妃であり、元男爵令嬢のソフィアだった。
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