ちゃんと
梅雨空から青空が覗く土曜日の午後、テレビの画面は、阪神と中日の試合を映し出していた。阪神のエースが打ち込まれ、五点リードされて敗戦濃厚だ。親父が、リビングの三分の一ほどを占めるリクライニングシートに体を沈め、時折、阪神の選手に小声でヤジを飛ばす。俺は、背中にヤジを面白く聴きながら、同じく試合を眺めていた。八回の裏、阪神の攻撃が無得点で終わると、画面が唐突にニュースに切り替わった。
「蒼太、もう少し、ちゃんとしろ」
「ん?」
床の上で上半身をねじって視線を親父に移す。親父は、テレビのリモコンを握ったまま油粘土のような色の顔をしかめていた。
「そのもじゃもじゃの髪、何とかならんのか?」
三か月前、俺は、親父の手術を機に、東京から大阪の実家に二十年ぶりに戻ってきた。親父は、ステージⅣの食道ガンで、後二年の命を宣告され、先週退院してきたのだった。パジャマのボタンの間から、腸瘻のためのチューブが飛び出している。
「四十超えてるんやろ?」
俺は、デジタル機器関連のフリーランスライターをしている。パソコンさえあれば、どこでだって仕事ができるし、メールで仕事の受け渡しをしているため、ほとんど外部との接触はない。せっかくサラリーマンのスーツ生活とさよならできたのだから、髪型と服装は自由にさせてもらっている。髪型は横と後ろを十センチほど刈り上げて、上半分の髪を耳の下あたりまで伸ばし、パーマをかけて、ゴムで後ろにまとめている。服装は、上はTシャツ、下はジャージまたはデニム。フォーマルとは程遠い。それでも、それなりに社会常識は身につけてきたし、清潔感を保つように気を付けている。
「会社に通ってるわけじゃないし、髪型が自由でも差し支えない業界やし」
俺にとって、何よりも優先されることは、締め切りを守ることだ。高い品質を維持しつつ、短い工期を確実に守ることこそが売りなのだ。それさえ守っていれば、髪型がどうあれ不都合なことは何もない。
親父は、リクライニングシートの手すりを握ると、上半身を起こして、不快感を露わにする。
「いくらフリーやいうても、その身なりやったら信用してもらえへんぞ」
一般的な社会人とは、少し違うポジションにいることは理解している。こんなときは、少し声のトーンを抑えて、自信ありげに答えるのが効果的だ。
「大丈夫よ。もう、これで十年以上食べてきてるんやし」
不服そうにリクライニングシートに体を埋め直す親父を見てから、テレビの方に向き直った。親父がため息をついたのが聞こえたと思ったら、その続きに激しく咳き込み始めた。体を丸めて、波打つようにして力を絞り出す。喉の奥で痰が不快な濁音を立てている。立ち上がって親父の背中をさすると、背骨の硬さと凹凸が手のひらに深刻な病状を伝えてきた。
「大丈夫?」
吸気とともにヒューヒューと苦しげな音が漏れてくる。親父が頭をもたげ、肩で息をしながら俺を見上げる。
「ほんまに、それでええのか? ちゃんとしろ」
「わかったから、しゃべらんでいいよ」
弱く冷房を入れているせいで、軽く動いただけで汗が滲み、その匂いに寄ってきた蚊の羽音が耳元にしつこくまとわりついてイライラした。




