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ヴィクトリア朝の特許事務所 ― 魔法の権利、保護します  作者: みんとす
第一章 魔法を特許庁に出した日
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1. 証明で回らないもの

「特許庁に魔法を出願した日」https://ncode.syosetu.com/n4770lx/ の連載版です。第一章として大幅加筆しています。

 一八九八年のロンドンでは、神秘でさえ、遅かれ早かれ登録されるべきものになりつつあった。


 川は測量図に引き直され、発明は公報に刻まれ、世界の秘密を暴くことと、その周りへ縄を張ることが、ほとんど同時に行われていた。


 エドウィン・フェアチャイルドは、暴くことを愛し、縄を張ることを軽んじていた。

 それが、彼のほとんど唯一の慢心だった。



 キングズ・カレッジで解析学を教えるようになってからも、その性分は変わらなかった。学生に愛嬌は見せない。冗談も少ない。しかし、分からないことを分かったふりで流さず、合っていることしか合っていると言わない。その点だけで、彼は信頼されていた。


 そして二十九歳の冬、エドウィンはついに、人間の曖昧さではなく、自然そのものの曖昧さに出会った。



 十二月の廊下は石壁から冷気が滲み、ガス灯がぼんやりと黄色い輪を落としていた。窓の外ではテムズの霧が対岸の灯を呑み、石炭の煙が湿った空気に低く垂れている。


 実験室へ向かう途中、エドウィンは窓台の計算用紙に足を止め、三行目の符号の誤りに赤鉛筆で印をつけた。「頼まれてもいないぞ」とブライスが後ろから言った。「間違ったまま出したら落とされる」「だからお前は学生に怖がられるんだ」


 物理学科から借りている実験室の床には、黒板よりも大きな黄銅板が置かれていた。六角形で、表面に細い溝が刻まれている。銀線がその溝に沿って張られ、周囲には白チョークの記号が連なっていた。降霊術師の道具に見えなくもないが、エドウィンにとっては違う。


 あれは、誤差を閉じ込めるための装置だった。


「半径八インチ。東西方向固定。

 第三高調波補正、〇・〇一八。

 中央支持座、黄銅。

 銀線張力、昨夜の較正値から動かすな」


 彼が言うと、壁際でトマス・ブライスがうんざりしたように肩を落とした。


「頼むから今日は煙だけにしてくれ。昨日はガラスが割れた」


「昨日ガラスが割れたのは、お前が窓を開けたからだ」


「窒息すると思ったんだ」


 ブライスは物理学講師であり、エドウィンの数少ない友人だった。友人というより、長年の悪口相手に近い。だがエドウィンが失敗を見せられる相手は、結局この男だけだった。


 もう一人、部屋の隅に立っている男がいた。

 器械係の技師、サミュエル・ソーベル。


 背が高く、痩せて、仕立てのよいが慎ましい上着を着ていた。顔立ちそのものは目立たないのに、喋り出すと自分が舞台の中心だと信じている人間の響きがあった。ただ、手だけが口と違うことを語っていた。爪は短く、指先には旋盤油の沈着が消えずに残り、右の人差し指には古い火傷の痕がある。三十年間、学者の名で出る装置を手で作り続けた人間の手だった。


 学者たちの思いつきを形にし、壊れた装置を蘇らせ、しかし論文に名前が載ることはない。技師とはそういうものだ。ただ、彼がそれを納得しているかどうかは別の話だった。


「先生」とソーベルは言った。

「ついにこの日が来たわけですね。私は昔から思っていたのです。蒸気機関以来、次の大転換は必ず"目に見えぬ力"の制御であると。ついに歴史が、われわれの側へ追いつこうとしている」


 ブライスが顔をしかめた。

 エドウィンは聞き流した。彼にとって言葉は雑音で、条件だけが重要だった。


「見ていれば分かる」


「もちろん。だが私は、いずれこの瞬間を証言する者として名を残すかもしれませんな」


 ソーベルは微笑んだ。


 エドウィンは最後の記号を刻み、中央支持座に真鍮の文鎮を置いた。室内に、耳ではなく骨で聞くような細い振動が走る。銀線が鳴り、空気が鳴り、床板が爪先から脛へ向かって震えた。


 文鎮が震える。

 浮く。

 一インチ。二インチ。三インチ。


 そこで止まった。


 ブライスが椅子を倒した。


 エドウィンの手が震えた。

 膝が笑い、壁に手をついた。


 視界が滲んだ。涙だった。自分でも驚いた。こんなものが出るとは思っていなかった。煙が出た夜、何も起きなかった朝、銀線が切れて天井に焦げ跡を残した日——十余年の失敗が、三インチの中に消えていった。


 父の声が聞こえた気がした。


「世の中は証明では回らんぞ、エドウィン」


 父は羊毛商で、数字に強い男だった。だがその数字は、都合によって名前を変えた。損失は投資と呼ばれ、負債は先行費用と呼ばれた。世界はその程度の言い換えで十分に回ると、父は信じていた。少年だった彼は口答えをしなかった。ただ心の中で、逆に思っていた。証明で回らないものは、たいてい誰かが誤魔化している。だから数学へ進んだ。


 その男の頬を、理由の明確な水滴が伝った。


 ブライスは何も言わなかった。

 長年の悪口相手は、こういうとき黙ることを知っている。

 ただ、壁に掛けてあった自分の外套を取り、エドウィンの肩にかけた。実験室は底冷えしていた。


 ソーベルは一瞬だけ無言になった。視線が浮いた文鎮ではなく、銀線の張られた溝に落ちていた。次の瞬間には胸の前でゆっくり拍手していた。


「見事だ」


「実に見事だ、フェアチャイルド先生。私は今、歴史の誕生を見ている。いや、違うな。歴史そのものが、ようやく正しい演出家を得たのです」


 ブライスが「演出家はお前じゃない」と小さく呟いたが、ソーベルは聞こえないふりをした。


 エドウィンは文鎮を見ていた。

 変わるのは歴史ではない。

 変わるのは、自分が世界と結んでいた前提だ。

 そして——自分はもう、元の場所には戻れない。



 実験後、エドウィンはデータの記録に取りかかった。張力値、振幅の推移、浮揚開始までの時間、最終停止高。一つ一つ、あの分厚いノートに数字を刻む。


 ガルバノメータの針を読み取り、記録していたとき、ふと手が止まった。


 針が微かに振れたのだ。


 装置はすでに停止している。銀線の振動も収まっている。にもかかわらず、針が一瞬だけ——ほんの〇・二目盛ほど——外側へ動いた。まるで部屋の外から、何かが応答したかのように。


 エドウィンは黄銅板を見た。記号はそのままだ。銀線も動いていない。

 もう一度、針を見る。静止している。


 再現しなかった。


 ノートの欄外に走り書きを加えた。


  「実験終了後、ガルバノメータに微小変動。外部雑音か。再現せず。原因不明」


 ブライスが外套を着ながら言った。


「で、これ、どうする。誰かに見せるのか」


「何をだ」


「何を、じゃないだろう。文鎮が浮いたんだぞ。人に見せたら、まず驚かれる。次に欲しがられる。そして取られる」


 エドウィンは眉を上げた。


「正しく書けば足りる。データがあれば、誰が先かは明らかだ」


「お前はそう思うだろうな」


 ブライスは何か言いかけたが、やめた。代わりに肩をすくめた。


「まあ、煙だけで済んでいるうちはいい」


 ソーベルが戸口に向かいながら、振り返った。


「ブライス先生のご心配はもっともです。ですが先生、どうかご安心を。私は何も見ていない。何も聞いていない。ただ感嘆しただけです」


 ソーベルは微笑み、丁寧に頭を下げて去った。


 エドウィンはノートを閉じた。

 今夜のデータを、明日もう一度検証する。それだけが頭にあった。

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