対決
ようやくと言うか、遂に完結です。
長かった・・・・。
二人は件の小箱を地上へ運び出した。無論人目につかない様に――そしてある程度は様子を見る事が出来るように地下への出入り口に程近い施設の物陰に陣取った。
問題の箱は重いと言うワケではないが確かな質感と言うのか重量感と言うのか、どっしりとした感触があった。枝松はこの時初めてこの箱を目にしたが、かつて牧谷が語った様に「洋風の宝箱」を思わせる形で、スウェードのような生地で覆われていた。大きさは目測で横30cm、幅20cm、高さ25cm といった所だろうか。
簡単な留め金を外して蓋を開けると、聞いていた通りの光景が展開された。7本の金属製の支柱で箱内部に浮かぶ形で固定された黒く大きな宝石。表面には赤い筋が幾条か走っている。大きさは不規則なカッティングのせいで一概には言えないが、ざっと直径10cmぐらいだろうか。そして何よりも奇妙な特徴は、この石自体が発光している事だった。よく見ると箱の内側までスウェードの様な生地で覆われている。
二人は覚悟を決めてこの妖しい宝石を支柱から外そうとしたが、どうやって固定しているのか全くビクともしなかった。支柱はこの箱から直接伸びているかの様に見える造りで、可動部が何処にも見当たらなかった。懐中電灯で照らして調べたがネジの様な回転部分もスライド部分も全く見当たらなかった。
「仕方無いな。手荒な手段は好みじゃないんだが・・・」
枝松が小声で呟きながらポケットから折りたたみナイフを取り出して刃を展開する。パチンと軽い金属音が響き、新たな緊張感が生まれた。
「牧谷。この箱をしっかりと押さえておいてくれ。恐らく箱の外板は何かの金属なんじゃないかと思う。ソレに直接支柱を溶接しているんだろう。きっとその過程でこの石を挟みこんで固定してあるに違いない。なら、この石に直接衝撃を加えて力ずくで外してやるんだ。ソレが一番手っ取り早い」
「同感だ。しかし・・・意外と大胆な発想をするんだな君は。今まで知らなかった君の一面を知る事が出来た事だけは収穫だよ」
「軽口が叩けるようになったんだな、少し安心したよ。さぁしっかり押さえておいてくれ」
右手に握ったナイフを逆手に持ち変え、左手をグリップエンドに当てて振りかぶる。
「フッ!」と鋭い呼気と共に空気を切り裂いたナイフが輝くトラペゾヘドロンに当たり、硬質な音を立てて止まった。
懐中電灯で箱の中を照らして確認し――二人共に落胆する。石は外れるどころか傷一つ付いていなかったのだ。そう、髪の毛一筋程の傷も。
二人は顔を見合わせて頷き合い、2度3度と繰り返し――言葉にし難い嫌な音を立ててナイフの先端が欠けるまで繰り返して、更なる落胆を強いられたのだった。
「どうなっているんだ、これだけやっても外れないどころか全く傷一つ着かないなんて」
「いや、まだ諦めるな牧谷。先端が欠けている方がしっかりと力がかかるってもんさ。前向きに考えるんだ、さぁやるぞ!!」
「当事者たる僕よりも気合いが入ってるな。こりゃ気落ちしている場合じゃ無い」
先程よりも更に力強くナイフを振り下ろす枝松。今度はガシッという音が響く。何度も何度も繰り返し振り下ろし、汗にまみれ疲れた頃に役割を交代する。枝松が箱を押さえ牧谷がナイフを幾度も振り下ろし――疲れ果てた。石の表面に傷一つ付ける事も叶わないままに。
少々休んだ後、どちらからともなく箱の外側から破壊を試みる事にした。例え破壊が叶わなくとも、変形させる事が出来れば輝くトラペゾヘドロンは外れるハズだ。幸いココは工事現場なので大きい石など幾らでもある。
推定数kgから10kgを超えると思われる石を幾つか集め、力の限りに叩きつける二人。叩きつけた石が割れるとその破片の上に箱を載せ、そこへ更に大きな石を叩きつける。勿論ある程度の音がしてしまうので、付近を通る車の音に合わせてカモフラージュするのは忘れない。
が、この努力も報われる事は無かった。
「どういう事なんだ、これだけやっても僅かな窪みさえ出来ないなんて・・・」
「いや、この箱を覆う生地もみてみなよ、裂けたり剥がれたりしてもいない。どうなってるんだ・・・・」
どうする? どうやってコレを破壊する? 例えばブルドーザーで轢いてみるか? 確かに強烈な方法だが、高校生の自分達には不可能だ。誰か大人に頼もうにも日中コレを持ち出すなどまず不可能だろう。プレス機にかけてみるか? いや先と同じ結論だ。第一引き受けてくれるかどうかも分からない。どうすればいい? コレを物理的に破壊する事は不可能なのか?少なくとも僕達には。
その時枝松の頭に天啓が閃いた。
「そうだ! 物理的には無理でも化学的には何とかなるかも知れない!」
「化学的? おいおい、コレだけやってもどうにもならないのに化学反応のエネルギーでどうにかなるのかい? 悪いが他の方法を・・・」
「いや、一つあるんだよ、僕達にも可能で尚且つ強烈なエネルギーを出せる反応が。テルミット反応だよ!!」
「テルミット・・・そうか!アレなら確か3000℃近い熱が出せる!」
アルミニウム粉末と酸化金属による還元反応であるテルミット反応は兵器としても使用されている。使用する酸化金属にもよるが、場合によっては5000℃近い高温を発する事もあると言う。
「こうなったらコレにかけるしかないだろう。材料も安くて済むし、学校で実験もしたじゃないか。シャレにならない程の高温だから危険はあるけど、ロウソクを上手く使えば簡単な時限発火装置も作れるしね。その間に避難しておけばいい。ただ火事を起こすわけにはいかないから・・・」
「消火だけは必要だな。でも外に持ち出してやるワケにはいかない。流石に周りから発見される可能性が高いからね。ならこの地下室でやるしかない。あの反応は劇的に進む分、反応時間は短かったよね? 離れて見ておいて、反応が終わったら即消火だ。テーブルが焦げるぐらいは仕方ない。僕だって人生がかかっているんだ」
そう、牧谷は身体を乗っ取られようとしているのだ。テーブルぐらい何だと言うのだろう。この施設を丸ごと燃やしでもしない限り気にする筋合いはあるまい。子供っぽい正義感かも知れないが、場合が場合だ。自分を正当化するのも緊急避難と言えるのではないか?枝松はそう考えるのだった。
「よし、じゃぁ日を変えて材料を揃えよう。アレは身近な材料で出来るからね、怪しまれずに準備が出来る。牧谷、君もそろそろ地下室に戻る方がイイだろう。いつ元に戻るか分からないからね」
「ああ、枝松も早く帰らないと御両親が心配なさるだろうしね。後は明日学校で相談しよう」
こうして牧谷は輝くトラペゾヘドロンが納められた箱を左手に抱えて地下室への入り口を開け、友を振り返る。
「枝松・・・」
「何だ?」
「・・・今日は本当に有難う」
「気にするな」
「・・・なぁ、僕は本当に元に戻れるんだろうか?」
中年男の姿で問いかける友の後ろ姿。まだ18歳にならないと言うのに人生を奪われかけている友に何と答えればいいのだろう? 正直に「分からない」と言うべきなのだろうか? それとも根拠のない自信に満ちた強がりを言えばイイのだろうか?
「・・・君の親父さんが何を考えているのかは分からない。けど、どんな理由があろうとも息子の人生を奪ってイイはずが無い。少なくとも僕は認めない! 逆らえるだけ逆らってやろう。目にモノを見せてやるんだ!」
「そうだ・・・そうだよな。有難う。じゃ、また明日」
「ああ、また明日」
少し気力を取り戻した様に見える友人を見送って家路につく。走りながら様々な思いや考え、記憶が頭の中を巡り続けるが、結論は一つだ。
見ているがいい。僕達は黙って破滅を受け入れたりはしない。全力で逆らってやるぞ、僕達をたかが子供と思っているんだろうがそうはいくものか。
帰宅すると予定時間をかなり過ぎていたが、「思っていたよりも身体がなまっていた。」でごまかせた。普段の行いの賜物だろう。
翌日。
牧谷は普段通りに登校して来た。牧谷氏の様子も普段通りだった事を聞き旨を撫で下ろす。こうなると後は決行の日時だけだ。テルミット反応の材料は安価だしすぐに手に入る。放課後にでも買いに行く事にした
。
「ベストな配合比率は既に化学の青野先生から聞いてる。前もって実験はしておくけどね」
「くれぐれも怪我はしないでくれよ?」
「ああ、分かってる。で、決行の日時なんだが、やはり夜になるとは思うんだが・・・夜はよくああなるのかい?」
「ああ、最近は大体あの時間になるよ。父は予定通りに動くタイプだからね。ただ、工事はあと一週間程で終わるらしいんだ」
「工事期間が終われば夜も人が居る様になるかも知れないな・・・。よし、今日材料を買ってきて実験、決行は明日にしよう」
放課後、牧谷が資金を出して材料を買い込む。詳しく書くワケにはいかないが、本当に普通に手に入るものでできるのだ。牧谷はいつ人格交換が起こるか分からないので帰宅しておき、枝松は一人で無人の廃倉庫へ向かった。ここは何年も無人のまま放置されており、子供の頃はよく入り込んで遊んでいたので内部構造も分かっている。何よりも床がコンクリートなので、少々の事では火事になりそうも無いのが、ココを実験場所に選んだ一番の理由だった。
倉庫の中央に陣取り実験の準備を始める。簡単な上皿天秤と鉄のフライパン――コレらもまとめて購入した――と反応させる2種類の金属粉末を取り出す。どちらも塗料店で購入したものだ。
コレを化学教師から聞いた比率で混ぜ、フライパンの上に乗せる。長めの棒の先にロウソクを取り付けてそっと点火させると、眩い光と燃焼音が生まれた。そしてあっという間にフライパンに穴が開いてしまった。
「こりゃ凄いな。コレならなんとかなりそうだ」
ようやく希望を見出した枝松は更に何度か実験を繰り返し、より上手く反応させる為のノウハウを学んだ。一回目の実験は反応の進み具合にムラがあったのだ。
準備万端整ったと確信した枝松は帰宅して牧谷と連絡をとり、翌日の決行を伝えた。
そして決行当日。
日中は普段通りに過ごし、静かに夜を待つ。心中は決して穏やかでは無かったが、ソレを悟られるワケにはいかない。どんな理由があろうとも違法行為―と言うか犯罪行為なのだ。人格交換など証明しようも無い事なのだし、見つかればどんな言い逃れも不可能だろう。だからと言って諦めるワケにもいかない。人一人の、ましてや友の人生がかかっているのだ。
星の智慧派教会施設に潜入した夜と同じ午後10時に同じ理由で家を出るつもりだった。が――午後8時過ぎに牧谷から電話があった。
「枝松、拙い事になった。父がこれから例の教会に来いと言うんだ」
「お、おい、ソレってまさか――」
「ああ、最悪の事態かも知れない。もうお仕舞いだ・・・」
「待て! 最後まで諦めるな! いいか、僕もこれから教会へ向かう。地下室へ入りこんであのロクデナシの石を焼き尽くしてやる! だからいいな、僕が行くまでもたせるんだ、いいな!」
「ああ、分かった。やれるだけやってみせるよ、僕自身の問題だものな」
受話器の向こうからやや力無い声が別れを告げ、会話を打ち切った。
――もう手段を選んではいられない。非常事態だ、例え教会が火事になってもしるものか――
事前にリュックサックの中に必要な品を詰め込んで準備しておいたのが功を奏し、すぐさま出かける事が出来た。一応消火の為に庭のバケツを一つ手に取り走り出す。
だが慣れないリュックとバケツのせいか、前回よりも早く息が上がってしまうのだった。
(いけない、こんな事では到底間に合わない。)気ばかり急くのだが身体が着いて来ないのだ。
バケツはまだしも――いやよくは無いが――リュックを置いて行くワケにはいかない。
「考え込んでいる暇があったら走れ!! 」
自分を叱咤激励して走り出す。一歩でも前へ、一秒でも早く。無様でも不格好でも構わない。ひたすら前へ。
やっとの思いで教会へ辿り着いた枝松の目に明かりが見えた。建物の数少ない窓から明かりが。そっと中を覗き込むと、牧谷とその父である牧谷氏が言い争っている。牧谷氏の向かって左側には司祭と思しき外人の男――長身痩躯で金髪に浅黒い肌をしている――が古びた本を左手に抱え、薄笑いを浮かべながら二人の言い争いを見守っている。
「親子喧嘩を笑いながら眺めるとは、いけ好かない奴だな。しかしコレは急がないといけない」
そっと教会施設の南側に回り込み、地下室へと潜り込む。案の定扉に鍵はかかっていなかった。例の箱も、中の石――輝くトラペゾヘドロン――もあの時と同じだ。
「よし、見てろよ。ほえ面かかせてやる」
リュックを下し中身を取り出す。反応させる2種類の金属粉。点火に使うロウソクとライター。ノートを切り取って作った風除け。そして反応させる台に使う薄い木材が数枚。金属はあっという間に溶けてしまうが、木材なら燃えても炭になって形を保つはずだ。これでより効率よく反応熱を石に与える事ができるだろう。
箱の底に木材を敷き、2種の金属粉をよく混ぜてそっと乗せていく。具体的には言えないが、かなり容赦無い量を準備している。ソレを全て投入した。前回の事が頭にあったからだろう。
ロウソクで簡単な時限発火装置を作り、風除けを立てる。少し待ってから――粉塵爆発を避ける為だ――ロウソクに点火した。実験では10分もあればテルミット反応が始まるハズだ。
「これだと下敷きの木材は必要無かったかもな。さぁ、あとは時間稼ぎと駆け引きだ」
一人呟くと上の施設に向かった。
施設内に入ると牧谷親子が言い争う声が聞こえて来た。が、よく聞くと若い聞き慣れた声が相手を「お前」「正明」、中年男の声が相手を「お父さん」とと呼んでいる。
まさか・・・間に合わなかったのか?
「牧谷!!」
大声で呼ぶ。二人の反応を見て確かめる為だ。
「枝松・・・」中年男が呟く。
「何をしに来た部外者めが!!」高校生が怒鳴る。
間違い無い。既に二人の精神は入れ替わっているのだ。
どうする? このままあの石を破壊したら二人は元に戻るのか? それとも、永遠にこのままになってしまうのか? 残された時間は移動や消火を考え後5分少々だろう。それまでにカタをつけなければ。
「牧谷、こっちへ来てくれ。話がややこしくなりそうだ」
「ああ、そうだな。来てくれて有難う」
中年男が隣へ来る。高校生の体をした牧谷氏が何か大声で言いだそうとする前に枝松が左掌を向けて機先を制す。
「牧谷さん。貴方が何を企んでいるのかは知りません。が、息子の体を奪ってイイ道理などあろうハズが無い。今なら間に合います。元に戻して下さい」
「ひよっ子が何をほざくか!!」
コレがあの牧谷の体から出る声なのだろうか。音声自体は紛れも無く牧谷正明のものだが、込められた力が桁違いだ。裂帛の気合とでも言うのだろうか。やはり人生経験の違いなのだろう。
「ワシはこの司祭が持って来た輝くトラペゾヘドロンによってナイアーラトテップ神の加護を受けたのだ! そしてナイアーラトテップ神はワシにこの国の未来を垣間見せ給もうた。この高度経済成長は間もなく終わる。そして間をおいてバブル経済と呼ばれる空前の好景気がやって来る。それ自体は良い。だがバブルは必ず弾ける。空前の不景気がやって来るのだ。
それは出口の見えない前代未聞の冬の時代だ。どれだけ倒産・自殺がでると思う?生産拠点は海外に移り産業の空洞化が進み国内の雇用は減り続ける。国の借金は嵩み膨大な負債を抱える事になる。そして政治の堕落は進み諸外国からの信頼を失っていく。ソレがどれだけの悲劇を生むか分かるか?ソレを防ぐためにワシはこの国を変えて行くのだ!
一代で出来る事では無い。2代3代とやって行かねば不可能だろう。だが今から経済や政治を教え込む時間が惜しいのだ! それでは間に合わんのだ! ワシがやり続けねば到底間に合わんのだ! 今からでもワシならば牧谷家を日本最大の企業グループに出来る。未来を見たのだからな。全て分かっておるのだ。いつバブルが始まりいつ弾けるのか。どの分野が発展し、どの分野が廃れていくのか。どの分野を保護すべきなのか。
だがそれを成し遂げるには力が必要なのだ。政治力と経済力が。それを手に入れるにはまだまだ時間が――若さが必要なのだ!!」
静かに聞いていた枝松が口を開いた。
「黙って聞いていれば虫のイイ事を・・・」
「何だと?」
「虫のイイ事ばっかり言ってんじゃない!! 間に合おうと間に合うまいと知った事か!! そんな事はそれぞれの世代が自分達の責任でやって行くべき事だ! 貴方は貴方の世代でやるべき事をやればいいんだ。政治が堕落すると言うならそうならない人材を育てればいいだろう! ナントカ経済がだめならそうならない様にする人材を育成すればいいだろう!」
「そんなに簡単にできるなら、誰も魔神の力になど縋るものか!」
「だからって息子の人生を奪うのか!」
「犠牲なしで大事が成せると思うのか!」
「知るものか! 大体その未来が本当である保証が何処にある! ソレに貴方はそうやって未来を変えようとしているんだろう! なら未来は変えられるって事なんじゃないのか!? 一人じゃ難しくても、仲間を集めれば――」
若い牧谷の体をした牧谷氏の表情が僅かに変わったと見えた瞬間。何かが焦げる異臭が鼻をついた。枝松の後ろに煙が侵入し始めたのだ。
「しまった!時間が経ち過ぎたか!」
「じゃぁ枝松、成功したのか?」
「貴様、一体何をした!」
枝松は輝くトラペゾヘドロンを焼き尽くす計画を話して聞かせた。
「馬鹿め、あの神秘の石が人の手でどうにかなると思っているのか?」
「ああ、確かに普通の手段じゃ無理だろうな、けどテルミット反応ならどうかな?」
「テル・・・なんだと 」
「普通の火事じゃイイとこ数百度ぐらいだけどね、テルミット反応なら数千度の熱が生み出せる。流石にただじゃ済まないだろうね」
「なんだと・・・?」
牧谷氏は青ざめた顔で走り出した。目的は――当然地下倉庫だ。扉を蹴り破り、煙を噴き出す地下への入り口を持ち上げる。噴き出す熱風と煙に顔を叩かれながら階段を駆け降りていく牧谷氏。
「父さん! 待ってくれ!」
追いかけようとする中年の体を持つ牧谷を羽交い絞めにして枝松が止める。
「待て! あの中に入って行ったら助からないぞ!!」
紅蓮の炎が倉庫の入り口から凄まじい勢いで噴き出している。全てを焼き尽くさんとするかの様な火勢だった。――おかしい。確かに一面分厚い木材で覆われているが、ここまでの火勢になるのだろうか? 酸素が足らなくなるのではないか? ――不審に思う枝松だが、実際に燃えている以上どうしようも無い。消防署に連絡をしようと牧谷に告げる枝松の頬に水滴が落ちて来た。空を見上げると、それまで星が見えていたのが嘘の様に一面黒雲で覆われていた。あれよあれよと言う間にバケツをひっくり返したような豪雨となり、鼓膜が破れる様な雷鳴が轟く。
「これじゃ身動きが取れない。この教会に電話はないのか?」
「こっちだ!!」
五芒星の中央にあたる部分に大きなテーブルがあり、そこに黒電話があった。急いで119番をかけるが――なんの音もしない。まだ繋がっていないのか。
「くそ、近くの家に頼んで消防車と救急車を――」
声をかき消す轟音。近くに雷が落ちたのだ。同時に周囲が――街灯から民家から一斉に真っ暗になる。さらに続け様に落雷。
「お、おいコレは・・・」
「ああ、明らかにおかしい。一体どうなっているんだ?」
それだけ話す間にも数回の落雷。これでは外に出る事も出来ない。手詰まりだった。もう牧谷氏=牧谷の体は手遅れだろう。窓から地下への入り口を見たが脱出した様子も無い。
無力感と罪悪感に押しつぶされる枝松の視界にオレンジ色の輝きが見えた。民家に落雷して火災が起きたのだろう。この土砂降りの雨で早く鎮火すればイイのだが。そんな事を頭の隅で考えながら枝松は牧谷に向き直り頭を下げた。
「すまない。君の体と父さんを僕は・・・」
「いや、イイんだ、頭を上げてくれ」
「しかし・・・」
「こうなる運命だったんだよ。きっとね。君が来る前に父は何と言っていたと思う?父はね、君が間に合えば僕は助かってこの国未来は不確定となり、自分の運命も想定外の事になると言っていたんだよ。」
「じゃぁ僕は間に合ったのか・・・」
「きっとね。」
「だが、君は助かったとは言えないじゃないか」
「僕はまだ生きている。ソレが一番の救いさ」
雨霰と落ち続ける落雷に耳を塞ぎながら言葉を交わす。
その夜、S市及びK村では夜明けまでに合計1500回を超える落雷が観測され、甚大な被害を受けた。また一部のでは稲妻に浮き上った雲の形が、蝙蝠の翼を生やした巨人の様に見えたと言う噂も囁かれた。
翌日、教会の地下倉庫の火災を警察に報告し、調査・取り調べを受けた枝松は黙秘を通した。あそこでテルミット反応を起こした理由を説明するには精神交換を話さなければならない。だが得体の知れない魔術めいた人格交換など証明の使用もなかったのだ。
結局牧谷氏の姿をした牧谷正明が自分が二人を教会に連れて行き社会見学をさせ、息子は落雷による不幸な事故であったと証言したため無罪放免となった。
そして2011年4月。O県立S高校の図書室で枝松は教頭として倉科京子に過去の出来事を話している。
「――と言うわけだよ。おかげで私は経歴に傷一つつかなくてすんだのだ」
「しかし教頭先生、その後牧谷さんはどうなったんですか?」
「牧谷正明の肉体=自分の葬儀を終わらせた牧谷は、弁護士に全ての資産を処理させて海外に旅立ったよ。表向きには息子を失った傷心の為としているが、実際にはあの司祭を探す為だ」
「司祭は・・・行方不明なんですか?」
「ああ、あの火災発生の時から一度も姿を見かけていない。そして――輝くトラペゾヘドロンもだ。警察の捜査でもあの地下室に金属や鉱物は何一つ発見されなかった」
「そんな・・・じゃぁ失敗だったと言う事ですか?」
「さてね。ナイアーラトテップは人を弄ぶ神だと言う。我々全員が弄ばれたのかも知れないね。そして暫くして牧谷からエアメールが来た。その気があるなら、この忌まわしい事件を引き起こした輝くトラペゾヘドロンと、それに纏わる旧支配者と呼ばれる邪神の研究をする気があるなら、それらについての研究が最も進んでいるミスカトニック大学へ行けと。私はその話を信じ、――当時は既にO大学に進学していたので――留学し、エイボンの書を研究し製本したと言うワケさ。無論ミスカトニック大学から許可はもらっているよ。そして私の意思を継いでくれる者が何年か毎に現れて、徐々に魔道書が増えて行ったというワケだ」
「私も受け継ぎます!」
「いや、倉科君。コレは命だけでは無く、下手をすれば魂まで危険に晒すかも知れない危険極まりない事なのだ。よく考えて決めてくれたまえ」
「私には十分は理由があると思います」
思い詰めた表情でまっすぐに枝松の目を見る京子。その熱意に折れたのか、或いはどうやって止めるのか考えているのか、枝松は一度俯いてから柔らかい眼差しで京子に答えた。
「君がこれからもこの魔道書の研究を続けるならば、いずれ<月の梯子><銀の鍵の門><イースの大いなる種族>といった謎の言葉の持つ意味を幾つも知る事になるだろう。そしてそれらが持つ宇宙的な恐怖も知るだろう。決めるのはそれからでも遅くは無い。・・・さて、私はそろそろ行かねばならない。君も暗くならないうちに帰りなさい」
「はい。今日は有難うございました」
一礼して枝松を見送り、魔道書を一番奥の棚に戻しながら一人思う。
――確かに危険だろうし、怖い思いもするだろう。だけど、もう智之君の様な犠牲者は出させない。結論は決まっているんだ――
だがソレはまだ本当の恐怖に出会っていないからこその決意なのかも知れない。遠からず出会うであろう人知を超えた存在に直面していないからなのかも知れない。
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やっと終わりましたが、いかがでしょうか?
書いているうちにどんどん話が広がって、何とかまとめたと言う感じですw
彼女(京子)はもう一回登場する予定ですが・・・・さてどうなります事やら。