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問無抄 ~のら猫と忠犬の虚実録~  作者: ぐるた眠
第一章 白音堂~死者の声が聞こえる村~

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第九話

「どういうこと?いったい何があったの……」


跪拝台の中では、先ほどまで息子の声に耳を傾けていた司馬夫人が、とり残されたように困惑の声を漏らした。


「夫人。驚かせたことをお詫びいたします」


無咎(むきゅう)は拱手し深々と頭を下げる。

そして、彼らが都から来た商人というのは嘘で、ある人物の命により、この教団の闇を暴くために派遣された調査員であることを明かす。


なおも状況を呑み込めない夫人へ、玄晏(げんあん)が静かに歩み寄った。その(てのひら)には、隠し持っていた皇城司(こうじょうし)佩玉(はいぎょく)が鈍い光を放っている。


(あるじ)はこの白音堂で、本当に死者の声が聞こえるのか調査せよと仰せでした。しかしその真意は、あなたを貴妃さまのもとへ連れ戻したいという思いでしょう」


「ああ……」


貴妃の名を出したことで、彼らの主が誰なのか夫人も理解したようだった。


玄晏(げんあん)は夫人の体を支え、信者たちの集まる座席へと案内する。


「言いがかりはおやめなさい」


堂内には白菊の静かな、しかし強い声が響いた。


「故人の御声が、参拝者おひとりにしか聞こえないなどと、我々がいつ申し上げましたか? 現に白樺さまにはすべてが届きますし、私にさえ聞こえることもございます。御声が誰に届くかは、聞き手の修行や特性、そしてその折の気の流れによるもの」


白菊は乱れた衣を整え、一点の曇りもない聖者の顔でこちらを見据えた。


「つい一昨日来たばかりの部外者が、妄言をもって神聖な儀式を汚すとは。……万死に値する無礼ですよ」


彼女の毅然(きぜん)とした態度に呼応するように、不安に揺れていた信者たちも口々に無咎(むきゅう)を非難しはじめた。


「白菊さまの言うとおりだわ!」


「俺たちを馬鹿にしてるのか?」


「御声が嘘なわけないわ。私が聞いたのは姉の声だったし、私たちしか知り得ない話をしていたもの」


最前列の女が立ち上がって叫ぶも、無咎(むきゅう)は冷静に切り捨てる。


「単純な話だ。あらかじめ聞き出した情報や、提出させた伝え書きをもとにしている。それとも、あなたはこの里で死んだ姉について一言も話していないのか?」


「それ、は……」


女は悔しげに唇を噛み、腰を下ろした。


「待ってくれ。私は伯文兄さんのことを一切話していないし、伝え書きにも記していない。兄さんのことは私しか知らなかったのだぞ?」


たまらず口を挟んだ玄晏(げんあん)を、無咎(むきゅう)はじろりと睨みつけた。


「……あんた。一体どっちの味方だ」


「う……。す、すまない」


玄晏(げんあん)はつい己の役割を忘れ、まるで観衆のように無咎(むきゅう)の推理に呑み込まれてしまったのだ。


まるで叱られた犬のように肩をすぼめる相棒に、無咎(むきゅう)はあきれたような吐息を漏らした。


「まあいいだろう。実は情報がなくとも、故人を演じることはできる。ここで証明してみよう」


無咎(むきゅう)にうながされ、玄晏(げんあん)は一昨日と同じように、跪拝台の中で小さく膝を折った。


「あんたの『伯文(はくぶん)兄さん』の第一声はどんな言葉だった?」


そして、正面に立って腕を組む無咎(むきゅう)の質問に答えていく。


「……細かな口調は定かではないが、『そこにいるのは誰か』と聞かれた」


「それで、あんたは何と答えた」


「『私だ。玄晏(げんあん)だ』、と」


無咎(むきゅう)は「やっぱり」と言わんばかりにうなずいた。


「互いの姿が見えない以上、『私だ』とだけ言っても相手にはわからない。あんたは最初に名乗らざるを得ないわけだ」


そう言うと、無咎(むきゅう)は軽く目を閉じる。

まるで、これから寸劇の幕が上がるといわんばかりに。


「“玄晏(げんあん)……”」


いつもと違う声色で名を呼ばれ、玄晏(げんあん)は戸惑いながらも、何とか当時を再現する。


「伯文……兄さんか?」


「“ああそうだ。まさかお前がここに来るなんて……。何か聞きたいことでもあるのか?”」


「……」


玄晏(げんあん)は言葉を失った。一昨日、この場所で繰り広げられたやり取りと、一言一句同じだった。


「掴みはこんな感じだろう。互いの顔が見えないという状況を逆手にとって、まず自分と相手の名前を引き出す。そして再会の感動に浸る間も与えず、『何か聞きたいことでも?』と、すぐに本題へ誘導するわけだ」


御声聴きには制限時間がある。

目の前で小さくなっていく線香を見れば、信者も自然と急かされる気持ちになり、相手が本物かどうか確かめる余裕もなくなる。


「しかし声色はどうする?俺は伝え書きには『死んだ母親と話したい』と書いたのだぞ。教団が演じているのだとしたら、まずは女の声がするはずだろう」


「最初に聞こえたのは、本当に男の声だったのか?年齢はどのくらいだ?」


「それは……」


「あんたも言っていただろう。『はじめは遠く、くぐもっていてよくわからなかった。話をするうちに、だんだんと兄さんの声に近づいていったような気がする』と」


無咎(むきゅう)の言うとおりだった。

玄晏(げんあん)の耳にはじめて届いたのは、かなり聞き取りにくい、ある意味人間離れしたような声。

それがあたかも、ここではないどこか遠く、まるで黄泉の国から届いたように感じられたのだ。


「たとえば年配の女の声というのは、聞きようによっては男の声にも聞こえる。似たような声で喧嘩をする年配の夫婦を、一度くらい見たことがあるだろう」


「では、私が聞いたのは…… ?」


「最初に聞いたのはおそらく、年配の女の声だ。演じ手は最初、伝え書き通りにあんたの「母親」を演じていたんだ。しかしあんたはそれを、心の奥底で求める人間────つまり『伯文兄さん』の声と錯覚した。向こうの演じ手はあんたに『兄さん』と呼ばれたことで、女から男へと交代したのだろう」


無咎(むきゅう)はその場でゆっくりと膝を折り、閉じた扇を玄晏(げんあん)の目の前に差し出した。

唖然とする玄晏(げんあん)(あご)を、扇の先端でくいと持ち上げる。


「つまり伯文兄さんとやらの声は、あんたが自分の中で勝手に作り上げたんだ」


そう囁く無咎(むきゅう)の声もまた、玄晏(げんあん)の耳の奥を甘く揺らした。


しかし────


「すべて、あなたの推測にすぎません」


そばで聞いていた白菊が、なおも冷たく反論する。


「『そうかもしれない』という推測を積み上げ、さも真実であるかのように吹聴する。皆さんの心を巧みに操作するあなたの方が、よほどの策士に思われますが」


「策士、か……」


無咎(むきゅう)は信者たちをゆっくりと見渡した。


「では聞いてみよう。皆は、故人とどのような話をするためにここへ来た?死後の暮らしについてたずねるため?それとも懺悔だろうか」


急に問われた信者たちは、戸惑いを浮かべた顔を見合わせた。


「それに、何の関係が?」


一見脈略の無さそうな問いに、玄晏(げんあん)も疑問の声を漏らす。


「一昨日から今日にかけて、食堂や宿舎で十数人の信者に話を聞いた。どうやら彼らが最初の御声聞きで故人にたずねる内容は、数例に限られるようだ。それこそが白音堂による印象操作のたまもの。この教団が策士の集まりだという証拠だろう」


無咎(むきゅう)は扇を開き、その陰から信者たちを眺めながら続けた。


「最も多いのは『黄泉の世界はどうだ』というものだった。これには『快適だ』などと適当に答えれば良い」


初めからそうたずねるつもりだったというよりは、いざ故人の声が耳に飛び込んできて、咄嗟にそう口にしてしまった者が多かった。


この質問は、演じ手にとっては最も都合がいい。

人の死後について知る者など存在しないので、どれだけ口から出まかせを語っても怪しまれることはない。

黄泉の国について長々と語って聞かせてやれば、そのうち時間切れとなる。


「次に多いのは、故人への懺悔。玄晏(げんあん)、あんたもそれだな」


「……ああ」


「懺悔には『許す』。どんな過ちを犯した者に対しても、一切(とが)めずただ許せばいい」


玄晏(げんあん)は腑に落ちないといった様子で眉をひそめた。


「私の場合は、確かにそうだった。しかし、いくらなんでも『許す』が全ての人に通じるわけがないだろう」


あの時聞こえた伯文の声は、確かに彼を「許す」「気にするな」と言い、玄晏(げんあん)はそれを彼だと信じた。


しかしそれは、自分達が皇城司という、常に命の危機に晒される立場にあったこと、そして何より伯文の性根が特別優しく、おおらかだったからにすぎない。


すべての故人が、彼のように聖人君主であるわけがない。死んでもなお相手を(いさ)めたり、罵倒するような者もいるはずだ。


しかし無咎(むきゅう)は、主張を曲げない。


「どんな大罪人でも、本人しか知り得ない事情を抱えている。だから皆こう思うのだ。『自分だけは許されるのではないか』と」


無咎(むきゅう)は扇を静かに閉じた。


「仮に、殺人犯がここに現れ、殺した相手の声を呼び出したとする。その声が『許す』『仕方なかったことだ』と言う。(はた)から見ればあり得ない話だが、殺した本人だけは信じてしまうだろう。懺悔する者は、最初から許し以外を求めていないからな」


堂内にざわめきが広がる。


玄晏(げんあん)は黙って信者たちの顔を見回した。

この中の何人かは、自分と同じように故人から『許された』人間なのだと、直感した。


「それから、故人の死因を調べるためにここを訪れた者も少なくないようだ。何者かに殺された者、自殺者、不慮の事故で亡くなった者に対し『あなたを殺したのは誰か』『なぜ死を選んだのか』『どのような事故だったのか』と聞く」


「さすがにこれは、人によって答えはさまざまだろう」


「いいや、これも答えはひとつだ」


「……ひとつ?」


「『自分にもわからない。気がついたら死んでいた』」


「……は?」


あまりにも簡単で、かつ軽薄な答えに、玄晏(げんあん)や信者たちは耳を疑った。


「もちろん疑問は残る。しかし故人が苦しまずに()ったとわかれば、遺族は少なくとも納得する。殺しや自殺だと思っていた事件が、実は不慮の事故だったと胸をなでおろす者も多いだろう」


「そんな曖昧な答えを、本当に信じるのか」


無咎(むきゅう)は自信たっぷりにうなずいた。


「信じるさ。他人を演じる秘訣は正確さではなく、『聞き手が最も望む答え』を与えてやることだ。あやしげな宗教にまですがる遺族にとって、『故人は苦しまずに死んだ』───これ以上の喜びはない」


堂内が静まり返った。


誰も反論しない。

否定したいのに、言葉が出てこないようだった。


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