第二十話(終) ふたつの真珠
9月5日。酉时の初め(17時)。
人魚の舞は、三ヶ月の休演をはさみ本日再開される。初日は、夕刻開演の特別開放日となった。
巨大な玻璃の函が鎮座する広間は、以前より温かみのある明かりに照らされ、古筝と笙の二重奏が流れる。
観客の期待と興奮が高まるなか、やがて鯪珠という名の美しい人魚が現れ、水で満たされた函へ入る。
それから彼女は、華やかな演奏に合わせて二刻(30分)近く、一度も水面に浮上することなく舞い続けた。
しかしその終盤───函の中を泳いでいた鯪珠の姿が、突然ふっと消える。
あるじを失った玻璃の函は、水中で岩と海藻が揺れるばかり。
照明の光もむなしくさまよっている。
いつの間にか音楽までもが止み、固い静寂に包まれた広間で、客たちは息をのんだ。
───ドンドンッ!
すると突然、軽快な太鼓の音が響く。
つづいて照明が左右の岩を照らしたと思えば───
───岩陰から、二人の鯪珠が勢いよく飛び出してきた。
場内からは、驚きと歓声が上がる。
「わあ!ほんとうにそっくりね」
「いったいいつ入れ替わってたんだ?」
「俺は左のほうが好きだなぁ」
演舞中、ふたりの鯪珠が何度入れ替わったか。飲み代を懸ける輩まで現れた。
拍手喝采のなか、ふたりの小さな人魚は、水中でくるくると回りながら互いの手を握る。
そして、揃って函の天面に並び立ち、繋いでいないほうの手を観客へと振る。
右側の阿天は、優雅な所作で客たちを魅了した。
左にいる阿海の視線の先では、小さな男児が嬉しそうに跳び跳ねている。
*
海天楼は「政府公認の妓楼・演芸場」として、国と特許契約を結んだ。
毎年定額の課銭と、さらに人魚演舞の席料十の一を納めるのを条件に、「人魚の舞」を独占的に興行する権利を与えられたのだ。
今後この都では、他の店が同じような演目を行うことは許されない。
妨害する者が現れないよう、店は定期的に皇城司による治安保護が行われ、時には外国使節や官府宴席も招かれる、政府御用達店となったのだ。
『真実から目をそらし続けていては、本物を得る機会を永遠に失う』
ありのままの笑顔を見せる鯪珠たちを前にした玄晏の頭に浮かんだのは、無咎の言葉だった。
彼らが明らかにした真実は、「ひとり」という虚構をただ壊すのではなく、「ふたり」という本物へ組み直したのだ。
双子の人魚の物語に感涙した皇帝が、お忍びでここを訪れる日も近いかもしれない。
*
客席で拍手を終えた玄晏は、隣の無咎へぐっと顔を寄せる。
「なあ無咎どの。教えてくれ」
演舞はもちろん素晴らしかったが、いま彼の頭はそれどころではなかった。
「函の底板が斜めに配置されていたことや、それが持ち上がりそうだった、という所まではわかった。だが私ならやはり『床下のどこかに鏡板が収納されているのでは?』と考えてしまう。なぜ貴殿は直接目にせずとも、“底板そのものが鏡板”だと確信できた?」
無咎は困ったように肩をすくめた。
「そりゃあ……他の可能性を潰しまくった結果だが、最後の決め手は────水位だな」
「……水位?」
うなずくと、手元の匙をとる無咎。
そして自分の「人魚の涙」の中に入っていた二つの圓子(白玉団子)を取り出し、玄晏の器へポチャポチャと移し入れた。
「水の中に物が入ると、その嵩(体積)の分だけ水位は上がる。逆に中の物が消えれば、水位は下がる。これはわかるな?」
玄晏の器には、青い水の中に圓子が四つ。
その水面は、圓子なしの無咎のものより明らかに高い。
「ああ」
「だけどあの函は、中に隠し部屋……つまり鏡板があってもなくても、同じ水位だった。もちろん、給水される量が毎回きっちり同じだってことは事前に確認済みだ」
函の作業員が口にした「いつも天面から七寸(21センチ)くらい下」という水位は、当然「鏡板(隠し部屋)あり」の状態を指している。
しかし、後日無咎が確認した「鏡板なし」の函でも、水位は同じ「七寸下」だったという。
「それはおかしいぞ。あんなに大きな鏡板が二つもあって、それが消えるのだから、水位はいつもより下がっているはずだ」
「そのとおり。鏡板のような異物を『外から持ち込んで』いるのなら、必ず水位に変化が起きる。だが、その異物が最初から水の中にあれば、変わらない」
無咎は、玄晏の「人魚の涙」を引き寄せ、中の圓子をコロコロとかき混ぜた。
「水中で大きな鏡板が平らに寝ていようが、立ち上がっていようが、ただこの中で圓子が転がってるようなもんさ。水中に存在する物の嵩(体積)は変わらないから、水位も変わらない」
その事実に気づいたとき、無咎は「鏡板は、函の底板そのものだ」と確信した。
───という話を聞き終えるなり、玄晏は深くため息をつく。
「貴殿には、到底及ばないな……」
玄晏は無咎の考えを理解し、少しでも近づきたかったのだ。
だが対等に渡り合える日は、とうぶん来ないだろう。
ところが───
「いや、あんたの推理はぜんぶ当たってた」
飛び出した意外な言葉に、玄晏は顔を上げる。
「『水面に顔を出して呼吸する』『岩の後ろに人が隠れる』───これはあんたが最初に言ってたことだ。俺は否定したが、結局はそのとおりだった。それに、鯪珠が裸でうろついてたり、子供に手をふってるのにも、あんたはまるで“別人でも見たように”驚いてた。俺ひとりだったら、ただ二面性のある変わり者で片付けてただろうな」
「そうか……そうなのかっ!」
玄晏は目を輝かせる。
といっても、過去の自分の発言など、ほとんど覚えていない。
彼はいつも、その場で思ったことをそのまま口にしているだけなのだ。
「それに───……」
「うん?」
「いや……」
玄晏が聞き返すと、無咎は目をそらし、白い圓子を口に放り込んだ。
*
今日の開演前、無咎はひとり鯪珠の部屋をたずねていた。
人魚の秘密は暴いたものの、どうしても腑に落ちないことがあったのだ。
「……あの日、なぜあなたは水に落ちた我々を、この部屋へ招き入れたのですか?たしかに昼餉に誘い出すのは、計画の内だったかもしれません。しかしこの部屋を見せたのも、生い立ちを語ったのも、あなたにとっては大きな痛手だったはず。あれがなければ俺は、あなたが双子だと確信できなかった」
すでに人魚の衣装に身を包んだ阿天は、優しい眼差しで、前に座る阿海の髪を梳いていた。
「そうね、確かにあれは計画になかったことよ。本当のことを話そうと思ったのは───懐かしくなったから、かしら」
「懐かしい、とは?」
「幼い頃、わたくしは故郷の海で鮫に襲われたことがあるの。その時、阿海が自分の身も省みず、海へ飛び込んで助けてくれた」
危険をものともせず、ただ目の前の姉を救おうと海へ飛び込んだ阿海。
その姿を思い描く無咎の中で、あの日の玄晏が自然と重なる。
水中で目の当たりにした玄晏の必死な姿、身体の熱、そして怯えるような眼差し───。
「あの日、水に落ちたあなたを助けようと、脇目もふらず飛び込んだ玄晏さんを見て、思わず昔を思い出した。それでたぶん、自慢したくなったのね。阿海のことを」
茶目っ気のある口ぶりに、無咎はクッと皮肉混じりの笑みで返した。
「俺はあなたの監視を掻い潜るために、常に考え抜いて行動していた。でも結局あなたを負かしたのは、直感で動いたあいつなのか……」
悔しさと誇らしさの入り交じった、複雑な本音を漏らす無咎。
そんな彼を前に、阿天はふふっと笑った。
「いつだって人の心を動かすのは、まっすぐな想いなのよ」
ねえ、と微笑みかけられた阿海も、嬉しそうにうなずいた。
「真珠を渡そうと思ったのも、その時よ」
「これを?」
無咎は懐から、小さな真珠を取り出した。
「ええ。あなたたちに渡した真珠はね、実は同じ貝から採れたものなの」
珠母貝(アコヤ貝)から二つの真珠が採れるのは稀で、双子真珠と呼ばれる。
粒自体が小さい上に形も歪なので、市場にはほとんど出回らないという。
「双子真珠は、ひとつの命を分けあっている証。これを持つふたりは、けして離れないわ。たとえ運命に切り裂かれても、最後は必ず同じ場所へ戻ってくる」
「ええ……?」
満足そうな双子を前に、無咎はぎょっとして、手にした真珠を落としそうになった。
いっそ落としてしまえば良かったのかもしれない。
まさかこんな───恐ろしい縁結びの呪物を持たされていたなんて!
*
無咎は甘い圓子を頬張りながら、玄晏の探るような視線をやりすごす。
───今後はなるべく、隠し事はしないと約束したが……これは黙っておこう。
そして手の中の小さな真珠を、また懐の奥にしまった。
【第二章 完】
お読みいただきありがとうございました。
コンテスト応募(文字数制限あり)のため、本作はここでいったん完結扱いにさせていただきます。
最終的な落としどころや無咎の素性、次の謎も頭にはあるので、来年あたり続編を書ければ!
改めまして、白音堂と海天楼、ふたつの謎にお付き合いいただき本当にありがとうございました。




