あなたがそばにいてくれたから
馬車がグレーデの領地に到着したのは、昼を回ったころだった。
「準備は?」
「問題ない」
「根回しは?」
「とっくに済んでる」
「タイミングは?」
「ばっちりだ」
どう考えても、普通の訪問の会話じゃない。
顔を引きつらせるレティをよそに、二人は淡々と密談を交わした。
どうやら、ここで待ち合わせしている人物がいるらしい。一体何を企んでいるものか。
「ところでレティ、君はこの屋敷に来る直前、とても怖がっていたようだけど」
「……許可なく戻ってきたら、全身の毛をむしられたあげく、庭で逆さ吊りなんですよ……。絶対に顔は見られたくないです」
「すげえなそりゃ。鶏か何かか?」
ルカは半分面白がっていると思う。あと、チビもどきがチビに降格した。こんな状況でなければ、断固抗議したいところだ。
だが、ここに来たかったのもまた事実だった。
(枯れ大樹の枝が……)
あの後、ボールドウィンの屋敷に戻ったレティは、真っ先に若木の元へと向かった。
お礼も言いたかったし、どうなっているのか気になったのだ。
だが、その場所に到着したレティは呆然とした。
若木は同じように生えていたが、レティが持ってきた枯れ枝は、真っ白に変色し、幹が細かくひび割れていた。
「なんで……どうして?」
急いで膝をつき、枯れ枝を取り上げる。
そっと触れたのに、先端がぱらぱらと崩れていく。もはや命が通っていないのは明らかだった。
(そうだ、祈りを)
枯れ枝を握りしめてレティは祈った。
どうか助かって。元に戻って。
他の言葉なんて浮かばない。ただそれだけを願い、祈りを込める。
枝はそれに応え、かすかに光っては消えていく。けれど、それが長く続かない事も明らかだった。
最後の光が瞬いて、すうっと消える。
後には、真っ白になった枝だけが残されていた。
「……そんな……」
レティと一緒に過ごしてきたのは、この枝だ。
雨の日も風の日も、毎日祈りを捧げてきた。
本体は大樹だけれど、この枝だって同じだ。ここに連れて来られて良かったし、ずっと一緒だと思っていた。
新しい木が生まれても、それは変わらないと信じていた。
――それなのに。
その場にへたり込んだレティの背後から、ウィルとルカがやってきた。
二人とも枯れ枝を見て目を見張り、ウィルは痛ましそうに、ルカはきつく眉根を寄せる。
「……領地の人たちを守ってくれたのか」
「うちだけじゃない。隣もだ。……いや、向こうが正式な居場所なら、うちの領地まで救ってくれた」
それぞれ膝をつき、胸に手を当てて感謝を捧げる。最上級の敬意を伴った挨拶だ。
そういえば、枯れ枝が彼らを拒んだ事は一度もなかった。
だったら後悔はしなかっただろうか。いやむしろ、自分から動いたのかもしれない。
そうだったらいいなと思ったけれど、うまく言葉にならなかった。
「……触れても?」
ウィルに聞かれ、レティは頷いた。ルカも目線で許可を取る。困った顔をしているのは、レティが泣きそうな顔をしているからだろうか。大丈夫だと言いたかったが、今は声にならなかった。
ふにゃっと笑うと、ウィルはもっと痛ましそうな顔になり、ルカはますます顔をしかめて、最後には顔をそむけてしまった。
困惑するレティを見て、ウィルが困った顔で笑った。
「皆を救ってくれたこと、心から感謝します。……ありがとう」
「言葉に尽くせない恩がある。何があろうと必ず返す」
彼らが触れると、枝は灰のように崩れ、サアッと風に散っていった。
あとには、指先ほどの小さなかけらが残された。
――ボールドウィンの領地では、作物が育たない。
木は弱り、草木は生えず、果実はしなびて朽ちていく。それすべて、ボールドウィンにはびこる呪いのせいである――
(……違う)
レティはかけらを握りしめた。
そんな事はなかった。
この領地はずっと、力を蓄えていたのだろう。いつか枯れ大樹を目覚めさせるために、命を芽吹かせるために、その時を待っていただけだ。
レティの事で機嫌を損ねていたのも確かだろうが、本当の目的は違う。
領地の人々を守る事。
グレーデだけではない。大地に境目がないように、この世界にも本来の意味での境目はない。大樹の力が及ぶ範囲で、できる限りの命を守る事。
それが枯れ大樹の役目であり、グレーデ家の役割だったのだ。
それが終わった今、枯れ大樹は。
目を閉じると涙がこぼれてきて、どうしても我慢できなかった。
泣き続けるレティのそばで、二人が頭をなでてくれた。
その手つきがやさしくて、涙はなかなか止まらなかった。
それから数日後の事だ。
ウィルに突然、「グレーデに行くから支度をして」と言われたのは。
***
「支度って言うから、てっきり美肌の薬を追加で持って行くんだとばかり思ってました。まさかこんな仮装をすることになるとは……」
馬車が到着してもなお、レティの不安は消えなかった。いや、むしろ増している。
「さっきも言ったけど、似合ってるよ。大丈夫」
「ていうかお前、十六歳の貴族令嬢ならそのくらいの服装はむしろ普通だからな? それより、この期に及んでまだそんな寝ぼけたこと言ってやがるなら、いっぺん頭を振ってやろうか。法外な値段をふっかけるならともかく、普通に貢いでるんじゃねーよ」
「でも、あの肌じゃ……」
「それこそ自業自得だ。それに、あいつらはとっくに顧客になってる。適切な値段で適切に売ってやってるから、お前は心配しなくていい」
「……な、なるほど」
「適切」の言い方に引っかかるところがあったものの、手に入るなら問題ない。女性にとって、肌の悩みは深刻だ。
しばらく見てみぬふりをしてしまった手前、ちょっぴり罪悪感があったのだ。
だがもしそんな事を口にすれば、二人そろって、ものすごーーーーく可哀想なものを見る目で見られる事も分かっている。実際、何度か同じ目を向けられた。
「それよりも、お前は堂々とふるまうことに集中しろ」
全力で行け全力でと、ルカが無茶な事を言う。
「ぜ、善処いたします」
「そこまで気合いを入れなくても大丈夫だよ。レティにしてもらうのは、本当に簡単なことだから」
「……何度かおっしゃっていましたが、それは一体?」
「まだ内緒」
微笑んだまま片目をつぶり、しいっというポーズを取る。その姿まで見とれるほど格好いいなんて、なんだかちょっとずるいと思う。
(問い詰め……問い詰められない……!)
ぷるぷると震えるレティに、ルカが不穏なセリフを吐く。
「こいつの家訓に、ごまかす時は最高の笑顔でってのがあるんだよな」
「えー……」
「失礼な。僕はいつでも清廉だよ」
「清廉の意味な?」
ルカが突っ込んだところで、軽く居住まいをただした。
「そろそろ着くぞ」
よく見ると、馬車の外の景色が見覚えのあるものに変わっている。
とうとう戻ってきてしまった。
逆さ吊りだけは勘弁してほしいと思いつつ、レティはごくりと息を呑んだ。
お読みいただきありがとうございます。吊るされたくありません(切実)。




