そろそろ宴の始まりです
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マロリーは内心で焦っていた。
「で、では、枯れ大樹の見物も済んだことですし、次は家の中でお茶でも……」
「いや、もう少しここにいたいんだ。構わないかね?」
馬車から降りてきた老人は、思ったよりも小柄だった。
漆塗りの杖を手に持ち、片側をフォンドア子爵が支えている。無口な彼だが、祖父の事は大切にしているらしく、その表情には気づかいがあふれていた、
「祖父がこう言っている。許可をいただけるだろうか」
「は、それはもう、ご自由に……」
立場が下である男爵家にしてみれば、そう言うしかない。「感謝する」と告げると、彼は祖父を促した。
フォンドア翁が、これほどまでに枯れ大樹を気に入るとは予想外だった。
当初の予定では、一通り木を見て満足した翁を客室に招き、お茶とお菓子でもてなすつもりだったのだ。案内するのはここから一番遠い部屋だ。それなら、客人が来ても気づかれる事はない。
それなのに、今は。
一刻以上が経とうというのに、老人が木から離れない。
「この木を受け継いだのが、そちらのお嬢さんということだが、間違いはないだろうか」
「は、はい」
ヒルダが気取った様子で進み出る。
「朝晩祈りを捧げているそうだね。とても見上げた心がけだ。夏はともかく、寒い季節は辛いだろう。毛皮か厚手のコートでも仕立てようか。お嬢さんはどちらがお好きかな?」
「そ、それはもう、いただけるのでしたら、どちらでも……あ、でも、毛皮だととても嬉しいのですけれど」
「では毛皮を。足りなければコートも用意しよう」
「それに似合うドレスも必要ですね。だとすれば、宝石も。靴も用意した方がいいかもしれないな。ヒルダ嬢、好みの店を後で教えてくれないか。特になければ、うちの領地で仕立てよう」
「ありがとうございます、子爵さま」
ヒルダは期待に目を輝かせている。マロリーもほくほく顔だ。
ところで、と老人はゆったりとした口調で言った。
「うちの領地にも噂が届いたのだが……咳流行りが、グレーデ領で起こったそうだね」
「ええ、本当ですわ。下の娘もかかりましたの」
「聞いたよ。我が身を顧みず、村人のために薬を配っていたと。しかも、二人もいたらしい。片方はパメラ嬢だろうが、もうひとりはそちらのお嬢さんで間違いないのかな?」
ぎくり、とヒルダが身を固くした。
「お、おほほほ……。そうですわね、わたくしのことです」
「まさに聖女のような行いだ。それを聞いた時、なんと心の美しい令嬢だと思ったものだよ」
「そんな……。大したことではありませんわ」
ヒルダが謙遜しつつ、ばれやしないかと冷や汗をかく。噂はどこまで届いているのだろう。下手に正確な話が広まっていたらまずい。いや、おそらく大丈夫だ。その証拠に、彼らはヒルダこそその娘だと思っている。
「そんなことはないだろう。咳流行りは重い病だ。見舞いに行き、薬を配って回るなど、貴族の令嬢にできることではないよ」
「それほどでもありませんわ。領民のためなら、まったく辛くはありませんもの」
実際は屋敷にこもったまま、お茶とお菓子を楽しんでいただけだ。使用人の家族に病人が出たと聞いても、薬どころか、食べるものさえ与えなかった。
「なるほど、本当に見上げたお嬢さんだ。お前も幸せ者だな、オーガスト」
「恐れ入ります」
フォンドア子爵が頭を下げる。
やや居心地の悪い顔になったものの、二人とも愛想笑いを浮かべて頷いた。この誤解は都合がいい。わざわざ訂正する事はない。
「そうそう――その際に、村人から聞いた話なのだが。黄金の果実を持って現れた乙女がいると」
それは少し前から領地で囁かれている噂だった。
見知らぬ少女が突然現れ、病人を治して回ったというのだ。彼女は黄金の果実を手にしていて、それを食べた村人はたちどころに病が治ったという。
彼女はすぐに立ち去ってしまい、その正体は分からなかった。中に数名、森で見かけた事のある人間はいたが、少女の名前さえ知らないという。
――フォンドア領までは広まっていないと思っていたのに!
ヒルダは内心で舌打ちした。
「その様子は正に、伝説の『緑の乙女』のようだったらしい。今日はもしかすると、その乙女に会えるかもしれないと思っていたのだが……それももしや、そちらのお嬢さんでは?」
「そ、それは……」
「だとすれば、贈り物を追加しなければ。実は、馬車の中にも色々用意してきたのだよ。あまり仰々しい形なのはどうかと思ったので、あくまでもささやかなものだがね」
先に見てみるかいと言われ、ヒルダは一も二もなく頷いた。マロリーも目を輝かせている。
促された馬車の中には、目もくらむような宝石がきらめいていた。
「どれも最上のものを選んだから、王宮でも見劣りすることはないだろう。我が子爵家は、石だけはよく採れるんだ。お嬢さんが――ヒルダ嬢がお望みなら、もっと贅沢なものを用意させよう」
「まあ……」
ヒルダはうっとりとした顔でそれらを見つめた。
金や銀がふんだんに使われたブローチに、まばゆく輝く耳飾り。首飾りに使われている宝石は、見た事もないほどの大きさだ。純金の髪留めはきらきらと輝き、銀細工の小鳥がきらめく。繊細な彫刻の施された冠には、色とりどりの宝石がはめ込まれている。指輪に至っては、細かな花模様がいくつも刻まれ、砂粒のような宝石がちりばめられていた。
どれもこれも、ため息が出るほど見事な品だ。
「これを、全部わたくしに……?」
「ヒルダ嬢が緑の乙女なら、これくらいでは足りないくらいだ。この先もいくらだって用意しよう。たとえ孫との結婚がなくとも、緑の乙女のためならなんでもない」
あなたは本物なのだろうと、フォンドア翁は熱っぽく問いかけた。
「どうか隠し事をしないでいただきたい。病の村人を助けた緑の乙女とは、ヒルダ嬢、あなたのことなのだろう?」
ぼうっとしたままヒルダは頷いた。
嘘をつく罪悪感など、この贅沢な品々の前には消え去っていた。
「そうですわ。実は、わたくしがその乙女ですの」
「やっぱり……。なんと素晴らしい」
「でも、内緒にしてくださいませ。実を言うと、その力は使えなくなってしまったのです」
「なんと。それはなぜ?」
「この間の咳流行りが原因です。あの時に、力を使い果たしてしまったのですわ。その証拠に、ほら、大樹が枯れかけているでしょう?」
本当はその前から様子がおかしかったのだが、これ幸いと罪をなすりつける。
「おお……確かに、これは」
「どれだけ世話をしても駄目でした。大樹もわたくしを慕うように、懸命に命をつなごうとしてくれましたが……。今はもう、そんなこともないのです」
嘘である。
枯れ大樹は今でもヒルダを嫌い、これ以上近づくと報復される。マロリーも同様だ。そのため、不自然にならない程度の位置で立ち止まり、さりげなく距離を取っている。
だが、この大樹が枯れそうになっているのは本当だった。
ある時から突然、大樹の元気がなくなったのだ。
世話をしないせいかと思ったが、何かするのはおっくうだった。
元々、庭仕事は好きでもなかったし、虫も日焼けも嫌だった。下手に近づいてひどい目に遭うのもご免だった。レティにすべて押しつけている方が、はるかに楽な事だったのだ。
マロリーはああ言っていたが、実際のところ、レティを追い出す口実に使っただけだ。フォンドア子爵に調べられてもいいように、体裁を整えただけだろう。
そのおかげで木は元気をなくし、今にも枯れかけている。
まさに一石二鳥と言っていい。この木がなくなれば、緑の乙女とやらも有耶無耶になる。
(ほんっとうに、都合がいいわ……)
そう、どうせばれっこない。
木に花を咲かせる事のできる人間はいない。黄金の果実もでたらめだ。すべて村人の作り話か、さもなければ見間違いだろう。大方、熱に浮かされた村人が見た幻覚に違いない。
みんな同じ幻覚を見ているのが気になるが、そんな些細な事はどうでもいい。
何よりも、この大樹はもうすぐ枯れる。大樹がなくなってしまえば、何の証拠もないのだから。
(さっさと枯れてしまえばいいのに。あの子と同じで、本当にしぶとい木)
そもそも、この大樹の持ち主はヒルダなのだ。レティから取り上げたものは、みんな自分のもの。たとえ世話をしなくても、それは変わらない。
もうすぐ自分は大金持ちだ。うまくすれば、子爵との結婚が消えた後も贅沢三昧できる。老人ひとりくらい、いくらだって思いのままだ。
そして自分はボールドウィン伯爵の妻になる。それはとても素晴らしい想像に思えた。
(これは、とんでもない幸運だわ……)
ヒルダの夢は膨らむ一方だった。
そしてマロリーも喜びに震えていた。
目障りな兄の娘を追い出してから、自分達に運が向いてきた。
肌だけは思うようにならないが、それも金で解決するだろう。今も厚塗りの肌はかゆく、ヒルダも白すぎるほど白粉をつけているが、そんなものは問題ではない。
彼らにとって、緑の乙女の方が大事なのだ。容姿は二の次、だとすれば、そばかすなど些細な事だ。
(まずは美肌の薬を買って……ドレスも、宝石ももっと欲しいわ。婚約をできるだけ引き伸ばして……いいえ、婚約がなくとも、ヒルダが気に入られれば問題ない。だとすればやはりボールドウィン伯爵の方が……)
とりとめのない妄想だけが肥大して、壮大な夢に浸っている。
彼女達の夢と妄想は、これ以上ないほどふくらんでいた。
声をかけられたのはその時だった。
「旦那様、奥様。その……お客様でございます」
「誰?」
不機嫌そうに振り向いたマロリーが、立っている人物を見て固まった。
「失礼。先約がありましたか」
黒い帽子に手をかけた長身の青年は、柔らかな声で挨拶した。
「お約束の時間になってもいらっしゃらないようなので、直接こちらに伺いました。お招き感謝いたします。男爵、並びに奥方。ヒルダ嬢もご機嫌いかがですか? お会いするのはあの日以来ですね」
一度見たら忘れられない若草色の瞳。見とれるような金髪が陽光にきらめき、彼の美貌を引き立てている。
そのそばに付き従う黒髪の青年が、無言で完璧な礼をした。
「お久しぶりです。ウィルフレッド・ボールドウィン、参りました」
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