01
「まあ、神子様、おみ足にお怪我が!」
という少女の一声で、あれよあれよという間に祭壇から降ろされ、別室へと連れて来られた。
マンホール――果たして美邦の落ちたあの穴が本当にマンホールだったのかはもはや知りようもないが、実際何だったのかも調べようがなく、暫定的にマンホールとしておく――暫定マンホールから落ちた時に擦った傷だ。
状況の異常さに痛みを忘れていたようで、別室の何だか高そうな革張りのソファに座る頃にはジワジワと痛みが染み出していた。
擦り傷なんて小学生以来で、しかもそれなりに大きな傷だ。
周囲を知らない人たちに囲まれていなければ涙が滲んでいたかもしれない。
幸か不幸か、最初にいた祭壇のある広間から別室まで、ずっと例の綺麗な少女が付き添ってくれているため、弟と似たような歳の女の子の前で泣きたくないというなけなしの矜持で、ちょっと引きつった愛想笑いをキープ出来ている。
美邦の下手な笑みを気にした様子無く、白い服の人たちの一人が進み出て来て、ソファと同じくらいのビロード張りの台を美邦の前に置いていく。
「さあ神子様、おみ足をこちらへ」
少女が優しく微笑んで台を指す。
目の前に置かれたアンティーク調の如何にも高そうな台は足置きだったらしい。
美邦は靴を脱ぐか否かに30秒、足の置き方に30秒悩んで、結局ローファーを脱ぎ、傷を上にしてそっと足を置いた。
幸い、足置き台の価値や作法を気にしているのはこの場では美邦だけだったらしい。
美邦の逡巡をよそに、少女は穏やかな表情のまま、台に上げた美邦の足に手をかざす。
すると、白熱電球のような暖色の光と僅かな熱が傷を覆い、見る間に血の滲む赤黒い傷を消して象牙色の肌へと戻した。
「えっ……わ……!?」
「回復魔法でございます、神子様」
目を白黒させる美邦を安心させるように少女は告げたが、魔法という単語が既に美邦の理解を超えている。
有名なゲームで、確かホイ……ホイム? 違った気がするが、回復魔法という概念は知っていた。
だが実際に目にすると、これは奇跡だ。
美邦の世界で同じことを行えば、あっという間に新興宗教集団が出来上がるだろう。
この魔法がここではどれほどすごいことなのかは分からないけれど、まずお礼を言わなければ、と気づく。
「あっ……! その、ありがとうございます……!」
「恐れ多いことでございます。神子様」
「あの……お名前とか、伺っても……?」
「まあ、失礼いたしました。わたくしシェイラと申します。このアウスレラ王国の神殿長を務めております」
「しんでんちょう……? あの、偉い人ですか……?」
「まあ、神子様がお気になさることはございません。神子様はこの世で最も尊き身の上であらせられます。わたくしどもへ、そのように畏まる必要もございませんわ」
分からない単語がたくさん出てきた。
まずこの美少女はシェイラというらしく、ここはアウスレラ王国という場所らしい。
しんでんちょうはおそらく神殿長だろう、神殿の長ということは、シェイラはそれなりの立場にあるようだ。
幼いのにすごいと思う。
が、美邦はそれより身分が高くなるという。
神子というのはそれほど大事な立場なのだろうか。
「あの……その、神子っていうのは……何ですか」
何ですかという質問もあんまりだとは思ったけれど、美邦には訊く他無かったし、他に訊きようも無かった。
シェイラはまた優しく微笑みながら、美邦の幼稚園児みたいな質問に丁寧に答えてくれる。
「神子様は、聖約の神子様でいらっしゃいます」
曰く。
ここアウスレラ王国を含むこの世界には有名な伝説がある。
世界が魔のものに襲われ危機に瀕するとき、異世界から年若い女性を呼び出す儀式を行う。
そうすれば神に選ばれし聖約の力を持つ者が現れ、世界を救うという。
それが聖約の神子である。
聖約とは、神子の選んだ者に神の力の一端を与え、強化する術だとか。
ちょっと待ってほしいと止めたいところがいくつもあったものの、美邦はとりあえず一通りを大人しく聞いた。
聞いたが、全く身に覚えがない。
「すみません……あの、その神? とか聖約? っていうの、全然分からなくて……人違い、とかじゃないですか?」
「儀式は正常に執り行われ、そうして神子様がいらっしゃいました。間違いなく、貴方様が神子様でいらっしゃいます。神子様は召喚されたばかりでございますから、未だそのお力を自覚されていないことも致し方ないことかと」
そんなことを言われても。
美邦には亀の仙人のような知恵も経験も無ければ、何かに目覚めた気配も無い。
無いのに、このままではあるものとして扱われ、要らぬ期待を持たせることになる。
一回家に帰って、そのまま引きこもって警察に相談とか出来ないだろうか。
「私……家に帰りたいんですけど。どうやって帰ったら……」
「……神子様はお役目を果たされたとき、元の世界に帰還なさるという伝説がございます」
シェイラは綺麗な顔を曇らせて、言いにくそうに告げた。
それはつまり、やることやらないと帰さないぞという……美邦は顔が青ざめるのを感じた。
しかも神子とやらはこの世界が危機に瀕しているときに呼びだされるという。
魔のものというのが何か分からないけれども、万が一どころでなく身の危険も伴うのではないか。
だがここで嫌です帰りますと泣いて駄々を捏ねたところで無事に帰れるとも考えられない。
部屋にはシェイラ以外にも白い服の人々が多く待機していて、この部屋から逃げ出すことも難しいだろう。
そもそも美邦にはこの建物の構造も分からず、日本へ帰るための手段も用意出来ない。
八方塞がり、美邦はここの人たちの言うことを聞かざるを得ないらしい。
黙り込んでしまった美邦を気遣うように、シェイラはポンと手を合わせて表情明るく話を変えた。
「もちろん、神子様にもしものことなど無いよう、わたくしどもも細心の注意を払ってまいりますわ。それに……入れなさい」
シェイラが扉近くの白い服の人へ指示すると扉が開かれ、一人の男性が入ってきた。
男性は美邦の座るソファより3歩分手前で立ち止まり、跪く。
「神子様の専属として本日より護衛につかせます、シェイドという者です」
男性は黙ったまま、シェイラの紹介に小さく頷いて顔を上げた。
この人も美形だ。
跪いていると分かりづらいが、歩いて来たところを見た感じ身長が180cmはありそうだった。
光を反射して白く輝く銀髪は首元で整えられ、深い緑色の視線が美邦へ真っ直ぐ向けられている。
先ほど祭壇から見かけた華やかな美形といった感じの男性とはまた違って、少し陰のある雰囲気をしている。
カラーリングを見ると、シェイラと似ているだろうか。
護衛と言われて見れば、洋装の上に簡易的な鎧を身に着けていて、それらしい。
年頃は美邦より少し上に見える。
「どこかへ移動される際は必ずお連れください」
「…………よ、ろしくお願い、します」
とは言ったものの、綺麗な異性に跪かれるのは緊張するし、そもそも美邦は女子校に進学して久しく家族と教諭以外の男性と話す機会が無かったしで、全くよろしくできる気がしない。
しかもこの言いぶりを考えると、ずっと一緒に行動しなければならないのではないか。
トイレとかどうしたら良いんだろう。
部屋にあるのか、水洗トイレなのか、もう何から気にかけて良いのか分からない。
ここでの生活の先行きが既に暗澹とした不安に駆られている。
「神子様、普段の生活は侍女がついてお手伝いいたしますので、そのような顔をなさらないでください」
「えっ、あ……」
美邦の考えていることはそんなに分かりやすかったのか、シェイラが苦笑している。
人に傅かれること自体慣れていない美邦には、侍女がつくというのもどういうものかいまいちピンと来ない。
しかしひとまずシェイラには美邦に対する害意は無さそうに思える。
一通りの生活の面倒は見てくれるつもりなのだろう。
突如知らない世界に連れて来られた不安は晴れないけれど、一旦は流されても……あるいは、流されるしかないのかもしれない。
「じゃあその……お世話に、なります」
当面はこの綺麗な微笑みを見せてくれる年下の少女を頼って生きる。
この国の状況や、自分の役目の話は、おいおい訊いていこう。
美邦はごちゃまぜの内心を押し殺すように、膝の上で強く手を握りこんだ。




